第8話

 初めて美桜を見たのは入学式の後、教室で担任を待っている時だった。初対面の顔ぶれが多い中、ぼっち生活を回避しようと必死に友人作りをしているクラスメイトたちの中で彼女だけが異質だった。

 彼女は、まるで自分は他とは違うのだとばかりに周囲の様子を窺うこともなく机に頬杖をついて窓の外を眺めていた。今と同じ、窓際の一番後ろの席で。

 その横顔は先月まで中学生だったとは思えないほど大人びていて綺麗で、自然と周囲の目を引いていた。同時に三奈は何を気取っているんだろうと微かに苛立ちも覚えていた。

 誰かから声を掛けられることを期待して待っているのだろうが、彼女が纏う雰囲気は初対面の人間には近寄りがたい。きっと誰も自分から話しかけたりはしないだろう。誰も来ないとなれば、自らどこかのグループに入れてくれと媚びて回るに違いない。あの気取った顔に作り笑いを張り付かせて。

 そう思っていたのだが、翌日になっても翌週になっても、そして翌月になっても彼女はずっと一人で窓の外を見ていた。休憩時間も昼食も、いつでも一人で。それが自分の日常なのだと言わんばかりの平然とした様子で。

 一人が好きなのだろうか。変わった人間がいるものだ。そう思っていた三奈だったが、ある日の授業で見てしまったのだ。

 それは適当に班を作って実験をするというイレギュラーな授業だった。いつもは無表情な美桜の顔には明らかな不安の色が浮かんでいた。そして、焦りの表情。


 ――ほら、やっぱり。


 いくら気取っていても、やはり誰かと一緒にいたいのではないか。だったら最初からヘラヘラ笑って友達を作っておけばよかったのだ。適当なウソを並べて相手を喜ばせて、いい気にさせてそのグループに入る。簡単なことだ。しかし彼女の言動は三奈の想像とは違っていた。


「別に、今だけ班に入れてくれたらいいから」


 そんな言葉が隣の班から聞こえて三奈は思わずそちらへ視線を向けていた。愛想笑いさえ浮かべていない彼女は相手の許可を得る前に椅子を持ってきて一番端っこに座った。そしてそのまま誰かと会話をするわけでもなく、ただつまらなさそうに座り続けていた。


「ねえ、御影さんも班に入ったんだったら、ちょっとは何かしてよ」


 班メンバーから上がる不満の声。しかし美桜は「だってこれ、効率悪いからさ。やる意味なさそう」と冷たく言い放った。そんなことを言われたら誰だって腹が立つだろう。案の定、相手の女子生徒は「なにその言い方!」と声を荒げた。瞬間、教室が静まりかえる。


「いや、だってそうでしょ。なんでわざわざこんな回りくどいやり方するのか意味わかんないし」

「だったら御影さんがやり方考えたら良かったでしょ!」

「わたしが? なんで? あんたたち、わたしの意見なんて聞く気なかったじゃん」


 やがて教師が止めに入るまで言い争いは終わらなかった。いや、言い争いではなかったのかもしれない。感情的になっていたのは相手の女子生徒だけで、美桜自身はただ困惑している様子だった。

 どうして相手が怒っているのかわからない。そんな顔で、ただ素直に自分の思いを口にしていただけ。


「ウソくらい言って調子合わせとけばいいのに……」


 思わず呟いた三奈の声が聞こえたのか、美桜はハッと三奈の方へ視線を向けた。そして、なぜか悔しそうに唇を噛んで目を伏せる。その表情が悲しそうで、寂しそうで。三奈にはその表情の意味がまったくわからなかった。

 そんな顔をするくらいなら最初から周りに溶け込むようにウソをつけばいいだけだ。そうすれば波風立てることもなく、あわよくばそのグループにそのまま入れてもらえたかもしれないのに。

 自分からそのチャンスをふいにしておいて、どうしてそんな顔をしているのかまったく理解できない。


「変な子」


 三奈の呟きは、今度は彼女の耳には届かなかったようだ。美桜は授業を放棄したように自分の席に戻ると、ぼんやりと外を眺め始めた。

 その一件以来、美桜がクラスの中でさらに浮いた存在になったのは言うまでもない。

 それでもきっと彼女は構わないのだと思っていた。一人でいても平気そうな顔をしていたから。どこか諦めたように見えていたから。

 しかし、そうではないとわかったのは期末試験も終わり、夏休みが迫った一学期末のこと。

 この学校の伝統行事である研修合宿が迫った日のことだった。研修合宿は、学校と提携している宿泊施設に一泊して校外学習やゲームなどをする、言ってみれば親睦会的なイベントだった。

 この学校は三年になるまでクラス替えがないので、一年の最初の時期に生徒たち同士で絆を深めてもらおう。そんな趣旨の行事だと誰かが言っていた。当然、現地での行動は班行動だ。その日は、その班決めが行われる日だった。


「班は四人以上、六人以下だ。メンバーについては各自で適当に決めること」


 担任の言葉に教室がざわつく。だいたいグループは決まっているが、二人や三人のグループも多いので、どこのグループと一緒になろうかと品定めをしているのだろう。三奈のグループはすでに五人いるので問題はない。こういう事態も想定内だ。

 三奈は友人たちと適当に会話をしながらちらりと美桜の方へ視線を向けた。そして思わず目を見開いた。彼女は泣きそうな表情で青ざめていたのだ。


「なにそれ……」


 思わず呟く。


「ん、三奈、どしたの?」


 友人が不思議そうに三奈の視線を追う。すると「ああ、御影さんか」と馬鹿にしたように笑った。


「どうすんだろうね。あれだけ孤立してたら誰も班に入れてくれないでしょ」

「ぼっちで合宿はちょっとキッツいよね。サボるしかなくない?」

「だねー」


 そんな会話を聞きながら三奈は美桜の様子を見つめ続けた。彼女は青い顔をしながら席を立つと近くの生徒に声をかけている。しかし、やはり断られたのだろう。それでも彼女は諦めずに別のグループに声をかける。そしてまた別のグループに。やがて、彼女は声をかけることをやめてしまった。

 そしてそのまま、そっと教室を出て行く。誰も彼女が出て行くことに気づかない。担任ですらも。

 数十人いる教室の中で、三奈だけが教室から去って行く寂しそうな背中に気づいていた。

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