第36話

 ヘンドリック4世。

 ギルベー公国の大公が、俺の目の前に居た。


 今俺が居るのは、謁見の間ではなく大公の執務室である。老人クルトによると、大公ヘンドリック4世が個人的に俺に会いたかったのだと言う。


「ヴィル・ポンポン。今や、この公都ブリュトワープに残った薬師はキミだけと言っても過言では無いだろう」


 まあ、逃げずに残っていた薬師も疫病に感染してしまい、今は診療ができないと聞いている。そう言う意味では、確かに俺だけが薬師として動いているわけだから、あながち間違ってはいないだろうな。


 だが俺がしていることは、大したことではない。

 特別扱いされるのはごめんだ。


「大公殿下。私は他の薬師とやっていることは変わらないでしょう。それに今は偶然私1人になっているだけです」


「いやいや。典医ですら黙って逃げ出したのだ。そのような中で、キミの働きはとても立派だよ。クルトもそう思うだろう? 」


 と、大公は俺の横にいる老人クルトにそう訊ねる。


「はい。殿下の仰る通りでございます」


 老人クルトがそう言う。


「それで、彼にはどれほどの報酬を与えている? 」


「はい。日当として金貨2枚を支払っております」


「何だと!? それでは少なすぎるではないか」



 いや、個人的に日当金貨2枚は悪くない。

 それに、薬を作るための費用も公都ブリュトワープから出ているのだ。つまり日当金貨2枚がそのまんま手に入るわけである。


「で、殿下……」


 老人クルトが、困ったようにそう口にする。


「彼は1人で公都ブリュトワープのために働いているのだ。日当金貨10枚以上にせよ。これは大公令だ! 」


 と、大公が言う。

 しかし俺としては、早いところ公都ブリュトワープから離れたいわけだ。倫理的には公都ブリュトワープで患者たちのために診療を続けた方が良いのかもしれないがな。


 もちろん、既に俺が診療している患者については最後まで診るつもりだが、今後は新規の患者を増やしたくないのである。


「大公殿下。誠に申し上げにくいことなのですが、私は公都ブリュトワープを離れようと考えておりまして……」


 もしも激高でもされたら、いっそのことガリヌンス王国の王子であることを明かしてしまおうか。あまり好まれたやり方ではないが、大国であるガリヌンス王国を利用してしまうのも手である。


「何と!? 公都ブリュトワープを出ようとしているのか」


 大公よりも、老人クルトが先に反応した。

 何だかんだで、老人クルトも公都ブリュトワープの政務総裁だしな。今の状況で俺にいなくなられては困るのだろう。

 

 とはいえ、俺が診ている患者は公都ブリュトワープの中でのごく一部に過ぎないが。


「確かキミはガリヌンス王国の出身で、今は旅をしているのだったな? 」


 大公がそう訊いてくる。

 俺がガリヌンス王国の出身で今は旅をしているという話は、既に老人クルトから聞いているのだろう。


「はい」


「なるほど。旅をしているということは、目的地でもあるのかな? それとも行く当てのない放浪の旅でもしているのか? 」


 目的地は無い。


 何故ならこの旅は、俺の個人的な好奇心による旅だからだ。まあ、アンリ4世からは諸外国に赴いて知見を広めよという王令が下されているが、何か報告書を書く等、そのようなことは全くないわけである。


 つまり、俺の自由な旅というわけだ。


「目的地……ですか。実はローマニア王国へ行こうとしているのです」


 俺は咄嗟の思い付きでそう言った。目的地を言った方が、公都ブリュトワープから抜け出せると思ったからである。

 

「ローマニア王国? よりにもよって、どうしてあんな僻地に行こうとしているのだ」


 僻地か。

 この大公は、随分と差別的な表現をするようだな。


「ローマニア王国では異形の化け物によって度々襲撃を受けているそうです。そこでローマニア王国は、化け物たちの領域に対して近々大攻勢を行うとの発表があると聞きました」


 俺はイオンから聞いた話を、そのまま大公に話す。


「異形の化け物か。なるほど、ローマニア王国も地理的にあり得る話だな。それで、キミがローマニア王国に行こうとしている理由と、どう繋がるのだ? 」


「ローマニア王国では、大攻勢に伴って従軍薬師の募集をしているようでして、私はその募集に応じようと思っているのです」


「なるほど。ならば、一刻も早くローマニア王国に行きたいわけだな」


「はい」


 別に直ぐにローマニア王国に行きたいわけではないが、俺はそう返事をした。


「わかった。では特別にキミとその同行者たちには、公都ブリュトワープを出られるようにしておこう」


「あ、ありがとうございます! 」


 良かった。

 ようやく公都ブリュトワープから出られる目途がたった。まあイオンによれば、公都ブリュトワープから出ることの制限は撤廃されるかもしれないとのことだったが、こうして具体的に目途がたったのだ。

 安堵する他にない。


  それから俺は、大公家から報酬として大金貨10枚を貰ったのである。

 大金貨10枚だ。まさか、このような流れで大金をゲットするなんて思ってもいなかった。日当金貨2枚でも充分だと思っていたのにな。


 そして公都ブリュトワープを発つ日程についてだが、今現在俺が診ている患者については最後まで診てから、発つということで話がまとまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る