第38話


 晴れて俺たちは、公都ブリュトワープを後にした。

 大公ヘンドリック4世と会った日から、さらに約2週間が経過している。快復した患者も多くいたが、同時に死んでいった患者も数多くいた。


 公都ブリュトワープでの思い出は、とても良いものではない。

 まあ、老人クルトという知り合いができただけでも御の字か。彼とは、今後も定期的に手紙のやり取りをすることになった。


 またローマニア王国からやって来たと言う商人イオンからは、お近づきの印と言われてペンダントを貰ったのである。


 因みに、結局のところ俺と御者のおっさんは疫病に罹ることは無かった。

 もちろん公都ブリュトワープを出たばかりなので、あと数日の間は油断できないが、最後の患者の快復を確認してから1週間を自宅で過ごしていたので、発症する可能性は無いと思ってる。


 さて公都ブリュトワープを出たその日には、ギルベー公国からも出国した。今はエルセン公国領を横断している。


「ヴィルの旦那! あと30分くらいですかね? そのくらいで馬車駅に到着すると思います。今日はそこで休むとしましょう」


 御者のおっさんがそう言う。

 既に日も傾きつつあるし、彼の言うとおり今日は休むのが無難だな。


「ああ。そうしよう」


 俺がそう言うと、マリー嬢とオレリーも頷いた。


 だが、俺たちはそれから馬車駅に着くまでに数時間を要することになったのである。何故かと言えば、間もなく馬車駅だというところで渋滞に出くわしてしまったのだ。


 結局、馬車駅に到着するも宿屋は満室であった。

 とはいえ、これ以上の移動はしんどいので食堂で一夜を明かすことにしたのである。まあ、食堂ではビールも飲めることだし御の字だろう。


 俺は早速ビールを4杯と干し肉を注文した。当然マリー嬢の分も含めてであるが、仮に彼女が飲まなければ俺が飲めば良いだけだ。


 そして直ぐにビールと干し肉が運ばれてくる。

 俺と御者のおっさんは、直ぐにビールを飲み干す。


「たまんねえな。これのために生きていると言っても過言ではないな」


「ええ。旦那の言うとおり、ビールがねえとやってられませんね」


 俺と御者のおっさんがウキウキになる脇で、オレリーがゆっくりとビールを飲み徐々に頬を赤くする。だが意外なことに、オレリーよりもマリー嬢の方が先にビールを飲み干したのであった。


「しかし、どうしてこんなに混んでいるのだろうか」


 俺はそう呟く。

 

「何か、この付近であったのかもしれません」


 と、頬を赤くしたオレリーが答える。


「オレリーさんの仰るとおり、何かあったのかもしれませんね」


 マリー嬢もそう言う。

 確かに、2人の言うとおり本当に何かあったのかもしれない。仮にそうだとすると、その≪何か≫がどういうものかが問題になってくる。巻き込まれると面倒な目に遭うのは御免だ。


「何だ? あんたら何も知らないのかぁ」


 と、不意に酔っ払いの1人が近づいて来てそう言った。


「おいおい。やっぱり何かあったのか」


 御者のおっさんが、反応した。


「賊による襲撃があったんだよ。それも馬車数台を同時に狙うといったものだ。しかも、賊は女1人だという。馬車数台は無残に焼かれて、中にいた連中は焼死してしまったらしい。そのおかげで、ここ一帯は大渋滞に陥っているというわけだ」


 うん。

 巻き込まれると面倒な類の話だったようだ。


 それにしても賊1人による襲撃か。とてつもない戦闘力を持っているに違いない。願わくば、その女とは出くわしたくない。


 そして、酔っ払いは早々に立ち去って行った。


「賊ですか。私たちも注意しなければなりませんね」


 オレリーがそう言う。

 一応は彼女は俺の護衛なわけだが、彼女1人ではどうにもならないだろう。俺もある程度、鍛えるほかあるまいな。


 それから俺たちは、それぞれ2杯目のビールと夕食になるまともな食事を注文した。


「ヴィルさん。私と飲み比べしてみません? もちろん貴方の大好きなビールで」


 突然、マリー嬢がそう言ってすり寄って来る。


 ほう。ビールの飲み比べか。だが、マリー嬢よ。悪いがビールの飲み比べでは、俺に叶うまい。


「よっし! やってやる」


「望むところです」


 そして、唐突に俺VSマリー嬢のビール飲む比べが始まったのであった。最初はみるみる元気になる俺だったが、次第に頭がクラクラしてきた。一方マリー嬢は余裕そのものである。


 負けてたまるか、どんとやるぞ!


 しかし頭がクラクラする。

 もう……駄目だ。一体何杯飲んだのだろうか。


「一杯二杯三杯失敗……うう」


 俺はそう言って、意識を失った。


 



「ここは? 」


 ふと目を覚ますと、馬車の中であった。

 まだ辺りは暗いので、朝にはなっていないようだ。先ほど食堂で大量にビールを飲んだことは覚えている。だが二日酔いのような症状は全くなかった。


 それにしても体が重い。


「殿下」


 どういうわけか、マリー嬢が俺の上に乗っかっていた。

 

「ま、マリー……」


 心臓がバクバクする。

 これは拙い。拙い。拙い!


「殿下の全てを私の物にしたいです」


 その言葉に俺の下半身が反応してしまう。男であるが故の、その逆らえない性(さが)というものをここで強く痛感する。

 女に誘惑された男は、赤子のようにとても脆くなってしまうということだろう。


 だが俺は理性を総動員して、必死に抵抗した。


「ダメだ。旅の最中に子供でも出来たら拙いだろう」


「なら、口づけくらいならよろしいですよね? 」


 マリー嬢はそう言うと、半ば無理やり口づけをしてきたのであった。だが俺は抵抗をすることは無かったのである。それ故に、欲望がさらに高まる。

 

 しかし、これ以上は何としてでも我慢するほかない。

 


 結局、今日は何とか口づけだけで終わった。

 助かったという気持ちと、吐き出したい欲望の2つの矛盾した気持ちが俺の頭を支配している。


 もし今度もこのようなことが起これば、次こそ俺はマリー嬢に欲望を吐き出すことになってしまうだろう。


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