第32話
老人クルドの家にやって来た俺たちに、夕食が振舞われた。
腹が減っていたことだし、とても嬉しい。まあ、毒を盛られている可能性も完全には否定できなかったが、今のところ体調に問題はない。
むしろ、程よく寛げている。
「それでキミたちはどこから来たんだ? 」
と、老人クルトが訊ねてくる。
「ガリヌンス王国からだ。わけあって旅をしているんだよ」
俺はそう答えた。
「ほう? ガリヌンス王国から来たのか。ようこそギルベー公国の公都ブリュトワープへ。だが、やって来る時期は大いに問題があるがな」
その言葉に、俺は思い出させられる。
この公都ブリュトワープで、何かが起こっているということを。
「時期が拙かったのは、薄々感じているよ。やけに人の往来が少ないし、現に今晩泊まる宿屋にすら困って貴方の世話になっているわけだしな。それに、しばらく公都ブリュトワープの外へ出ることが制限されていることも知っている。一体この街で何が起こっているんだ? 」
「やはり、外にはあまり情報が漏れていないようだな。実は公都ブリュトワープでは疫病が流行しているのだ。感染した者は、酷い頭痛と高熱に悩まされる。死者も多数でている」
「え、疫病だと!? 」
よりにもよって、疫病が蔓延しているなんて。
これは大変な事態に巻き込まれたものだ。
てか、アンリ4世は疫病が流行していることを知っていて、俺をギルベー公国に飛ばそうとしたのであろうか……。
「クソ! ついてねえな」
御者のおっさんが悪態をつく。
マリー嬢やオレリーも、表情は硬いものとなっていた。
「まあ驚くのも無理はない。因みに薬師や薬師ギルドの連中は疫病が流行る兆候に早くから気づいたのだろう。その殆どが一目散に逃げだした。だから、この街は死の街と化しているんだよ。今は僅かに残った薬師たちが奮戦しているよ」
薬師や薬師ギルドの者たちが揃っていなくなったということは、やはり疫病が流行る兆候を掴んでいたのだろう。
だとするなら、公都ブリュトワープの外にも疫病の情報が出回っていそうな気もする。
とはいえ、今大事なのは俺たちはどうやって目の前の現実と向き合うかだ。
「熱となると、解熱薬が重宝するだろう。解熱薬にはユルチャン草とキツチャン草が必要になってくるが、在庫はまだあるのか? 」
「幸い解熱薬の材料ならまだたくさんある。だが、合法的に薬を作れるのは薬師だけだ。材料があるからと言って、勝手に薬をつくるような真似はするなよ? 」
と、老人クルトが言う。
薬師たちの既得権益は盤石なようだな。だが既得権益こそが、今のような状況の時に追い打ちとなるのだ。
「実は俺も薬師なんだよ」
俺が得意げにそう言うと、老人クルトは驚いた表情を浮かべた。
「なんと! 薬師だったのか」
「ああ」
だが、今の俺に出来ることは解熱薬を作って患者に飲ませるだけだ。症状だけを緩和させて、後は患者自身の免疫力に任せる他あるまい。
つまり、対症療法しかできないのだ。
まあ、仮にここが地球なら、疫病の根本に作用させる原因療法も可能なのだろうが、それを悔やんでも致し方ない。さらに言えば、感染予防策についてもまともな対応はできないだろうな。
「どうせしばらく公都ブリュトワープから出れないのだ。明日から俺にも協力させてくれ」
「そうか。どうもありがとう。公都ブリュトワープの政務総裁として、どうかよろしくお願いする」
老人クルトはそう言って、頭を深々と下げたのであった。
そして、俺は日当金貨2枚を貰うことになったのである。
※
公都ブリュトワープにやって来た2日目から、俺たちは忙しく動いた。
まず、老人クルトが職務上管理している家屋を借り受け、そこに臨時の診療所(兼自宅)を開いたのである。
診療所を開いてからは、次から次へとやって来る患者たちに、解熱薬を作っては飲ませるのだ。午前中はそれで終わる。それから午後は、もはや自力では歩けないほどの患者がいる家々を回ることにした。
薬を作れるのはあくまでも俺だけなので、マリー嬢とオレリーには材料の買い出しや、各患者の氏名や解熱薬を飲ませた回数の記載(まあカルテごっこのようなものだ)を中心にお願いしている。
因みに、御者のおっさんは馬の面倒を見るため毎日厩舎に出向いている。
そうこうしている内に、早くも1週間が経過した。
「ふう。今日も無事に終わりましたね」
オレリーがそう言う。
たった今、今日最後の診療が終わったところだ。
「ああ。だがやはり俺たちだけでは、たくさんの患者を診ることは出来ない。俺たちはこの街にやって来たところで、この街全体の状況には殆ど影響は無いだろうな」
それに、俺が毎日診ている患者たちが快復する兆しが全く無いのだ。
あくまでも、解熱薬の効果で症状が緩和されているだけなのである。
「そんなことはありませんよ。殿下のおかげで、患者さんたちは今日も生きているのですから」
「そう言ってくれてありがとう」
そして、俺たちの臨時の自宅へと戻って来た。
石鹸は無いが、井戸水で手を洗った俺は直ぐに居間に向かった。
「お、おい! 」
俺は居間に入ったところで、そう叫んだ。
こうなるだろうと、初めから薄々感じていたことだ。それがこうして現実になったのである。
まだ厳密にそうだと決まったわけではないが、今目の前の状況を考えれば十中八九そうに違いない。
要するに、マリー嬢が倒れていた。
「しっかりしろ! 」
俺はマリー嬢を抱きかかえ、そう呼びかける。それにしてもすごい熱だ。彼女も疫病に感染したのだろう。
「オレリー、来てくれ! マリー嬢が大変なんだ」
俺はオレリーを呼ぶ。
だが、オレリーは直ぐには来なかった。
オレリーも疲れているのかもしれない。無理に呼ぶのは止めておこう。
……。
「いや、ちょっと待てよ」
俺は直ぐにオレリーが居るだろう玄関の方へと向かう。
すると、オレリーが座り込んでいたのである。
「どうした? 」
「で、殿下。急に悪寒と倦怠感が酷くなりまして……」
そうオレリーが、言うのであった。
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