【2】織田三郎信長

 

 

 

 ヴァルデュギートならば「粗末」と評するであろう。

 屋根こそ瓦葺かわらぶきだが、柱と壁は木で造られた建造物である。

 だが、よく見ればその壁も柱も全ての交接点が直角を描くよう正確に採寸されており、随所に精緻な彫刻まで施され、木造であっても決して粗放ではない。

 この地方の一定範囲を支配する領主の居館なのである。

 

「──申せ!」

 

 そのあるじである少年が、叫んだ。

 居館の広間であり、庭に面している。

 その庭先で片膝をついた男が、「は……!」と深く頭を下げた。

 彼は、この地方で『物見ものみ』と呼ばれる偵察役であった。

 

「御味方、総崩れ! 対岸にて討たれる者、多数! それより先、川岸に控えてござった我がほうの舟を、上流より漕ぎ寄せた敵の伏勢ふくぜいが襲い、舟はことごとく流されてござれば、御味方は川を渡る手立てをうしのうてござる!」

「……父上は、いかがなされた」

 

 少年が問い、物見は顔を伏せたまま苦渋に満ちた声で答えた。

 

「対岸より『織田弾正忠おだ だんじょうのじょう、討ち取ったり』と声が上がるのを耳にいたしましたが、真偽は定かならず!」

「……であるか」

 

 少年は、言った。

 物見の男が思わず、ぞっとしたほど冷ややかな声音であった。

 少年といっても一年前に『元服』──この地方における成人の儀式──は済ませている。

 いまは、この地方の慣例の『数え年』で十四歳。

 満年齢では十三歳だ。

 色白で少女のように美麗な面立ちながら、眼差しは冷淡である。

 視界に入るもの全てを河原に転がる石のごとく見做みなしているように。

 苗字は織田、名を三郎さぶろう

 いみなは、信長のぶながといった。

 この地方の有力領主、織田弾正忠──諱は信秀のぶひで──の嫡子であり、自らも、ここ那古野なごや城を拠点とする領主である。

 信長は傍らに控えていた近習に呼びかけた。

 

勝三郎しょうざぶろう! 出陣の手配りを! また九郎左くろうざ古渡ふるわたりの母上のもとへ走らせ、御味方は無念の退き陣と相なったが、三郎が父上をお迎えするため木曾川縁きそがわべりへ出陣いたしたとお伝えせよ!」

「はっ!」

「それと、平手ひらてを呼んで参れ!」

「は……ただちに!」

 

 近習は一礼して立ち去った。

 信長は物見に向き直り、問うた。

 

「ともに物見に放った服部小平太はっとり こへいた小藤太ことうた如何いかがした」

「されば近くの村々へ走り、あらためて舟を手配りしてござる。殿の後詰めがござれば川を押し渡り、対岸の御味方をお救いいたしましょう」

「敵の伏勢がすでに寄せて参ったなれば、それは叶うまい。だが美濃みの方もいずれ兵を引こうゆえ、そののち落ちて参った者を迎えるに舟は役立とう」

 

 信長は言う。

 

「加えて領内の者どもを動揺させぬよう、味方に後詰めがあると見せかけねばならぬ。舟を集めておることは、その役にも立とう。上出来ぞ」

「は……!」

 

 深く頭を下げた物見の男に、信長は告げた。

 

久蔵きゅうぞうそのほう、ただちに木曾川縁へ立ち戻り、小平太、小藤太と手分けして村々を回り、清洲きよす武衛ぶえい様、守護代大和守やまとのかみ様ともに後詰めに御出陣と触れて歩くがよい」

「承知いたしました!」

 

 物見は一礼し、駆け去った。

 信長は宙空に目を向け、つぶやく。

 

「父上が討たれたか……。真実まことなれば、もはや四方が敵よ」

 

 目を伏せて、首を振った。

 

「……是非もなし。父上が敵を作りすぎたわ」

 

 そこに年配の男がやって来た。

 長身ではあるが痩せて骨ばり、薄くなりかけた白髪を頭の後ろで小さなまげに結っている。

 平手中務ひらて なかつかさ、諱は政秀まさひで

 信長の赤児あかごの頃からの傅役もりやくであり、現在は次席家老を務めている。

 が──信長は、この男が近頃では立場に相応ふさわしい働きを見せていないと考えている。

 

「物見が急を知らせて参ったと……」

 

 神妙な顔をする平手を、じろりと信長は睨んだ。

 

「平手そのほう、ただちに清洲へ参って武衛様へ言上いたせ。味方の越前えちぜん衆が崩れ立ち、やむなく弾正忠は兵を引いた。弾正忠は手傷は負うたが味方をまとめて犬山いぬやまへ逃れた。いずれ傷が癒え次第、武衛様へお詫びに参上いたしましょうとな」

「犬山と……。それは真実まことしらせにございましょうか」

 

 平手が眉をひそめると、信長は声を荒らげた。

 

「真実のことなど伝えられようか。味方は大敗、父上の生死は定かならずと知れてみよ。これにて手切れとばかりに大和守が攻めかけて参るわ。父上が無事お戻りあるか、あるいは父上の首が美濃から送り返されて参るまで時を稼がねばならぬ」

「されど、遠からず清洲にも味方の敗報は伝わりましょうが」

 

 眉間のしわを深くする平手に、ますます信長は苛立いらだった。

 

「戦に流言は付き物であろうが。いずれ真実が明らかになった折には、弾正忠は犬山へ逃れたと木曾川筋の水夫どもが申すのを物見は確かに聞き及んで参ったが、誤りであったのは申し訳ござらぬと詫びてやれ。大和守がそれでゆるすとは思わぬが、いまこの時に大和守とのいくさが始まるより上等よ」

「……お指図とあれば、そのように。早速さっそくに清洲へ向かいまする」

 

 平手はそう言って一礼し、引き下がった。

 信長は忌々しげに、吐き捨てた。

 

「平手の老いぼれからすめが。もはや政事まつりごとの勘も枯れ果てたか」

 

 

 

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