【第一章】井ノ口の敗北

【1】雷天龍ヴァルデュギート

 

 

 

 気がつけばヴァルデュギートは雲海を突き破り、地上へ落ちようとしていた。

 木々に覆われた山が眼前まで迫り、ぐいっとヴァルデュギートは首を引き起こし、高度を上げた。

 

冥皇龍ヘイディアンドラゴンは……逃げられた!? いや……!』

 

 敵の強大で邪悪な存在感──負のオーラというべきものが、燃え尽きた蝋燭ろうそくのように消え失せる瞬間を、ヴァルデュギートは確かに感じとっていた。

 つまり間違いなく冥皇龍はほふったのだ。

 だが同時に呪詛が完成し、ヴァルデュギートはどうやらそれによる『転移』に巻き込まれたのだった。

 

『……どこだ、ここ……?』

 

 ヴァルデュギートが先ほどまで冥皇龍と戦っていた場所──エウドロジア大陸の北東端とは、いくらか時差があるようで、すでに日が傾いている。

 天候も違っていたのか、俄雨にわかあめのあとのように土や草木の濡れた匂いが漂っている。

 だが少なくとも、ここは人間が住んでいる土地だった。

 山の周りには農耕地が広がり、家もあちこちに建っている。

 ただし山に近いところは大きな火事に巻き込まれたか、ほとんど焼け跡と化しており、ところどころでまだくすぶり続けている。

 いや、ただの火事ではない。

 戦火だ。

 槍や剣を手にした人間の兵士が、地上にうごめいていた。

 ならば、彼らの敵は何か。

 魔族か。

 亜龍エピゴノイドラゴンか。

 翼龍ワイヴァーン火蜥蜴サラマンドラのような龍の亜種が狩られているのであれば、ヴァルデュギートは彼らを救うため、人間と戦わなければならない。

 知性を持たない亜龍でも龍は龍なのである。

 龍族の頂点に立つモノとして、ヴァルデュギートには同胞をまもる義務がある。

 だが、よく見れば兵士たちは、山から離れるように一つの方角へ向かっていた。

 ヴァルデュギートの体内磁石によれば、その方位は南であった。

 そちらには、人間が渡るには舟が必要な程度の幅で、流れもいくらか早い川が、東から西へ流れていた。

 そして、その岸で人間の兵同士が戦っていた。

 というよりも、そこに追い詰めた敗残兵を、追撃側の兵がほぼ一方的に蹂躪じゅうりんしているかたちだ。

 川の上にも兵士を乗せた小舟が十数ばかりいて、泳いで逃げようとする敵兵に矢を射かけたり、舟を漕ぎ寄せて槍で突いたりしている。

 あらためて最初の山を見れば、東西に幅のある形状だ。

 東側は木に覆われているけど、西は大部分が伐採されて随所にとりでが設けられていた。

 ただし恒久的な軍事拠点ではないのか、施設はいずれも木造の粗末なものである。

 山賊のような非正規兵の根城ねじろかもしれない。

 どうやら敗走した側の兵士は、その山を攻めようとして失敗したらしい。

 砦に籠もっていた兵士に逆襲され、川岸まで追い立てられたようである。

 戦場の少し下流で、川は南へ流路を変えているけど、その先には船頭らしい平服の人間の死体を載せて流されていく舟が何十艘も見える。

 どうやら山を攻めようとした兵士たちは、その舟で上流か下流、あるいは対岸からやって来たのだろう。

 そして主力の兵が山に攻めかかっている間に、徴用された民間人であろう船頭たちは川岸で待機していたのだろう。

 警護の兵がいなかったわけではないであろうが、船頭たちが勝手に持ち場を離れないよう見張るのが主な役目で、数は多くなかったろう。

 そこを、伏兵──おそらく、いま川を漕ぎ回っている十数の小舟──に襲われた。

 船頭たちと見張りの兵は蹴散らされ、舟は川に流された。

 山に攻めかけた兵たちもまた、何らかの事情で攻撃に失敗した。

 さらには舟をうしなったことで退路を断たれ、殲滅せんめつされようとしているわけだ。

 ……というのは勝手な想像だけど、たぶん間違えていないはず。

 さて、どうしようかとヴァルデュギートは思案する。

 その場をなんとなく旋回飛行しながら。

 冥皇龍を屠ったからには、自分のへ帰りたい。

 ただの山の中の洞窟だけど、人間やほかの邪魔者が入り込むことのない、静かで居心地のいい場所なのだ。

 そのためには、まず自分がいまいる場所がどこなのか知らなければならない。

 人間と接触を持つのが手っ取り早いけど、眼下で殺し合いをしているヤツらは論外だ。

 彼らがどういう理由で殺し合っているのか、ヴァルデュギートは興味がない。

 人間なんて毎日どこかで個人同士あるいは集団同士の敵意から、あるいは敵意がなくとも欲得ずくで、殺し合いをしているのだから。

 ただ、殺し合っている最中の頭に血が上った人間とコミュニケーションをとるのは難しい。

 というより面倒くさい。

 まずは戦場から離れたところに移動して、それから人間に声をかけてみよう。

 そんなことを、ぼんやりと考えているうちに、地上の人間たちが空を飛ぶヴァルデュギートに気づいたようだ。

 彼女を指差し、何やらあれこれ喚いていることに、ヴァルデュギートもようやく気がついた。

 なんだよ。

 そんなに騒がなくてもいいじゃん。

 ただの龍じゃん。

 金色で目立つけど。

 その割にチビっこいけど。

 考えることも騒がれることも面倒くさくなったヴァルデュギートは、とにかくその場を離れることにした。

 旋回飛行の途中でそう思い立ったので、向かう方角が南になったのは、たまたまのことだった。

 

 

 

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