第29モフり 邂逅の時、尻尾りと……

「……どうしても駄目?」


「駄目というより無理です。……もういいですか? 私忙しいので」


 そう吐き捨てるように彼女は俺に言って立ち上がる。

 それは困ると、俺は彼女を引き止めようとする。


「ええ! アッ、ちょっとォ! 待って! 待ってくださいよォ!」


「それでは」


 だが彼女は俺の願いを聞き入れてはもらえず、扉を締めて何処かへと行ってしまった。このままでは厄介事が更に面倒くさくなってしまう。

 どうにかしたい俺だが柱に縛られている状態ではどうにもすることは出来なかった。俺はただ今の気持ちを吐露するだけだった。


「……あ、えぇ」


 ◆


 その後、和倉わくらは屋敷の外へ出ていく。辺りの時間帯は夜となっているために、人通りも少なく静かさに満ち溢れていた。

 彼女は屋敷を取り囲む壁に背中をくっつけて今日のことを振り返る。


「……はぁ。随分とおかしな人間が迷い込んだものです。もしかするとどこからか入ってきてしまったといった神隠しのような類。……つまり、神狐界しんこかいと人間界を繋ぐ境界に歪みでも生じたのでしょうか? いえ、それではあのお粗末な狐耳と尻尾の説明にもなりませんし……なんだかよくわかりませんね」


「まぁ正直な話、あの人間のおかげで姉様がお叱りを受けるというのであれば、私はそれで一向に構わないのですがね。ふふ」


 そう不敵に笑い、泣き崩れる自分の姉の姿を思い浮かべる。

 すると何やら暗闇の方から誰かが近づいてくる足音が聞こえてくる。このような時間に人が通るなど珍しいと彼女は音の方向へ顔を向けて誰かを確認しようとする。


「そこの娘さんや少し良いかい?」


 暗闇から現れたのは老婆の狐娘だった。どこか不気味な雰囲気をまとっているが気にせず彼女は聞かれたことを問う。


「何ですか? 私に何か御用でも?」


(それにしても老婆? 何かの趣味?)


 あまり優しい口調ではなかったものの老婆は気にせず話しながら近づいてくる。


「いや大した事はないんじゃがちょっとお願いしたいことがあってねェ。どうかこの老婆の願いを叶えてはくれんじゃろうか?」


 後生だからと言わんばかりに懇願する姿勢に彼女は困り果てる。まだ何のことかも分からないというのにそのような物言いをされるのは困るし、少しだけ不快に感じたからだ。

 まずは用件について詳しく聞こう、そして話はそれからだと老婆へ伝える事にした。


「そんなへりくだられても困りますよ。私にだってできる事とできない事くらいあるんですから。それで何です? 取り敢えず話を聞いてからでいいですか?」


 彼女はそんな自分が今発した言葉に違和感を覚える。


(誰かもわからない他人の急なお願いを聞くなんて……それこそ、自分の願いばかりを口にする人間みたいで反吐が出そう。自分で言うのも何だけど少し甘い気がする。それになんだかおかしな老婆の神使のようだけど、神使は助け合いって教えられているし、まぁいいか)


「おお、そうかいそうかい! それはありがたいのう……では」


 老婆はそっと彼女へ近づき、一瞬にして彼女の直ぐ側まで近づく。あまりの速さに彼女は気付けなかった。そして彼女を正面から抱きしめて耳元でこう囁く。


「娘さん、あんた随分と悪い子の匂いがするよ」


「!?」


 その一言で何かを感じ取った彼女はすぐさまここから逃げ出そうと足掻くも、老婆による腕力でそれは叶わなかった。もはやそれは老婆のようなしわがれて皮と骨しかない肉体で成し得る腕力ではなかった。そしてみるみると老婆は若返っていく。


「おっとぉ……もう無駄だぜ? 駄目だなぁ立派な神使さんがそんなにすさんでちゃあ。聞いたことはないかい? 悪い子は鬼に連れ去られるって話」


「あな、た……まさ……ぁ」


 彼女は意識を奪われていく。よもやこの神狐界しんこかいには人間だけでなく、鬼までも侵入してきているとはついぞ思わなかった。この事を誰かに伝えなくてはいけない、だがもう遅い。既に毒牙にかかってしまった彼女ではもう無理なのである。


「さーて、気づかれんうちに仕込み・・・をしておくかねぇ」


 そう赤い角の生えた金髪の鬼は言い、作業に取り掛かる。

 ……………………………………………………。

 ……………………………………。

 ……………………。

 起きな。


「うっ、うーん……。はッ!」


 壁に背を付けて地面に座り込んで眠っていた彼女は目を覚まし、慌ててあたりを見渡す。


「ここは?! ……さっきの場所? 鬼はいないし、連れ去られてもいない?」


 もう既に先程の鬼の姿は無く、それにどこへも連れ去られてはいなかった。確かに鬼に襲われた記憶はあるものの、それにしては何も異変は見つからなかった。


「……体は別に何ともないし何の以上も感じられない。……まさか夢?」


 彼女は今まで見ていたものは自分の夢だったのかもしれないと思い始める。思えば、現実で起きたことにしては不信な点が多かった気がするからだ。


「それに好き好んで老婆の姿を取るだなんてあまり考えられないし、そうなのかも」


「……はぁ、ストレスによる疲れで眠ってしまうとは情けない。……さて、もう戻らないと」


 そう納得した彼女は屋敷内へと戻っていた。

 そして先程まで彼女が立っていた場所には一本の金色の髪の毛が落ちていたのだった。


 ◆


 時は遡り、和倉が建物から出ていった後瀧ケ崎時哉たきがさきときやは途方にくれていた。


「はぁ……なんとかして紐ほどけねぇかな? く、くそ!」


 俺は紐の結び目に手を伸ばし、何とかしてほどけないかと挑戦する。

 だが、腕の可動域があまりにも狭いせいで、例え日が昇るほど時間を掛けたとしても無理そうだった。


「こういう時、映画とかだったら隠し持ったナイフ的なもので切って脱出! ってのが定番だけど……都合よくそんなもん持ち合わせちゃいないしなぁ」


 俺はこの挑戦を無謀だと諦めた。

 すると、何やら建物の外側から物音が聞こえてきた。


「ん! 今誰かの足音のようなものが聞こえたような? ……耳を澄ませるか」


 俺は耳を澄ませる。すると足音だけではなく、声のようなものも聞こえてきた。


「……感じる。何かを感じる。……匂いがする。スンスン……」


 途切れ途切れ程度にしか聞こえないが、このようなことを言っていた。

 俺は誰かの話し声でもない独り言のような声に疑問を浮かべる。


(んん? 匂い? 一体何の事なんだ? ていうか誰この声? あの双子の声じゃなさそうだけど……)


 するとまた、声が聞こえてくる。


「うーん……ここら辺な気がするんだけどなぁ」


(何だ? 何かを探しているのか? だがこれは好機チャンスだ。誰かは分からないが助けてもらえれば、ここから脱出できるかもしれない! 早速助けを……)


(いや待てよ。あの双子が俺のことを知らなかったように、近くにいる人も俺を同じ様にするかもしれない。……やっぱり助からないのかなぁ)


 あの双子のような展開が待ち受けているだけかもしれない。そう思い悩むも、俺にはもはや他の選択肢はないと腹を決める。


「いや、もうここは賭けるしか無いな。……もしもの時はもはやそれでいい」


「おおぉぉい! 助けっ……てぇ……」


 俺は大声で助けを呼ぶ。だが、俺は見てはいけないものを見てしまった。

 そう……この建物の扉が少し開いてて、月光が差し込めている。

 そしてそこにはとてもが逆光となって影が濃くなっていた。


「ここに居たんだね♪ と・き・や・くん♡」


(お前かぁぁぁぁぁあああッ!!)


 さながらヒューマンサイコホラーとしか思えない出来事に俺は驚愕と恐怖を交えた雄叫びを心のなかで上げた。

 人間本当に驚いたり、恐怖したりすると言葉が出ないものだとよく実感した。


(まさか喜久彌きくやの足音だったとは……。え、じゃあ『匂い』って……ウェッ俺の!? ……色々と衝撃的だが、まぁでも彼女ならば助けてくれるはず! これは幸運なことだよ……きっと)


 若干の不安要素はありつつも、これで助かる。そう俺は安堵して話しかける。


「き、喜久彌きくやさん。どうしてここが? というかその、助けてくれません?」


「うーん……どうして君がこうなっているのかは分からないけどぉ。まぁいっかこれはこれで」


 そう言うと、彼女は建物内に入ってきて扉をそっと閉める。俺は困惑する。


「え、何が」


「まぁまぁそれはこれから分かることだよ♡」


「え、なになになになになになになにィッ!?」


 俺の言葉に一言もその耳を傾けてはくれず、彼女は楽しげな足取りでこちらへ近づき、俺の真横まで歩いてきたらその場に座り込んで俺と目線の位置を合わせる。

 そして俺の目を彼女は自身の手を使って塞ぎ、耳元――人耳のほう――でこうささやいてくる。


「ねぇ聞いてくれる? ボクのお話」


「……は、はい」


 一体何を話そうというのか? きっと碌でも無い事だと、俺は体を身構える。


「ボクね、君を捜すように言われてきたんだ」


「えっ、あーそうなんですか」


 どうやら彼女は誰に言われたかは分からないが俺を捜しに来てくれたらしい。きっと狐朱こあけか、青葉あおば辺りであろうと俺は想像する。

 すると彼女は俺の言葉遣いが気に食わないのか、このようなことを言ってきた。


「もーさっきから変に肩肘張って話さくても別に良いんだよ? 気を楽にして、砕けて話そうよ」


「はぁ……」


「それでね……まぁちょっと疲れちゃったんだ、ボク。……分かるよね?」


「……いや分からな――ッ」


 俺がそう言いかけると、彼女は急に俺の耳を一舐め……してきたのだ。

 彼女は舌舐めずりをして言う。


「ふふ、美味しい」


「え、あ、え」


 俺は顔を赤らめた。あの日、あの海の日にからかわれた時は耳を甘噛してくる程度だったのにも関わらず、今回は耳を舐めてきたのだ。

 俺の心臓は跳ね上がる。体温が上昇するのを感じる。とても暑い。暑すぎて呂律も回らなくなる。思考の回転数が落ちていく。


「どうしたんだい? そんな惚けた顔をして……女の子になっちゃった時より、女の子の顔……してるよ?」


 そんな俺を見て彼女は軽口を叩く、いやこれは殺し文句なのだろうか?

 何も分からなくなった俺は言葉を必死に振り絞って質問をする。


「あ、いや、えっと……どうしてこんな、急に?」


辿々たどたどしくなってるねぇ。それにどうしてかって? そんなことは当の昔から知れたことだよ。……君は知っているはずさ」


 当の昔……確かに彼女には初めて会った時から何度もからかわれてきている。だから知っていると言えば確かにそうだ。だが質問の意図には沿っていない答えだ。


「まぁ……そうかも、だけど」


「なーに、気にすることはないさ。君は今はこのボクのおもちゃとしてジッ……としてれば良いんだよ」


「え、いやそれは、ちょっと……」


 それは困る。なぜなら絶対これで済まない気がしてならない。それはまだ心の準備というものが出来ていないから勘弁して欲しい。と、俺は考えるも彼女は気にせず質問してくる。


「なぁに? 別に嫌じゃないでしょ?」


「いやまっ……確かに嫌ではないし寧ろ嬉しいけども! 俺の心が持たな……ヒャイッ!!」


 彼女はまた俺が言い切る前に耳を一舐めしてくる。


「じゃあ別にいいよね? それじゃあ続き……しようか」


 ◆


 そこは夢の世界。そして遠い遠い記憶の世界でもある。

 曇天の空に焦土と化す戦場いくさば、幾多の命潰えた戦いの末。

 地べたに這いつくばり、霞む視界の中で見上げた先にソレはあった。


「グッ! グハッ!!」


「……これで終いじゃ」


「ハァ……ハァ……ッ!!」


 胸を貫かれたものがこちらに気づく。


「ニ、ニゲロッ……」


 そう聞こえたような気がする。続いて、貫くものがこちらに気づく。


「ん? そう案ずるな。あれも滅ぼしてくれる」


 それを聞いた貫かれたものは最後の力を振り絞って抗う。


「ングッ! グアアアアアアアアアアアアッ!!」


「こ、此奴っまだそんな力がッ! やめろおおおおおおおお!!」


 まばゆい光が辺りを照らし始める。全ては真っ白な世界へと変わっていく。

 ただ……を残して……。


 ――時は巡る。


「――ッ!? ゆ、夢か? 今のは」


 青葉あおばは目を覚ます。彼女は起き上がり、辺りを見渡す。そこには飲んだくれて酔いつぶれた狐朱こあけたちが居た。


「……あの後そういえば酒呑んでたんだった。まさか酔ったまま寝ちまうとはな」


 辺りを見渡した彼女はここに喜久彌きくやが居ないことに気づく。未だ捜し続けているのだろうか、それともどこかで何かしているのか……。


「たくっ……。にしても喜久彌きくやの野郎、まだ戻ってねぇのか」


「……まぁいいか。しょうがねぇ、アタシも捜しに行くとするか」


 どうにも夢見の悪かった彼女は取り敢えず気分転換も兼ねて散歩をする感覚で時哉ときやを捜しに行くことにした。

 部屋を出た彼女は闇雲に捜すよりここにいる神使に聞き込みをすることを閃く。


「……一応、ここの奴らに聞いてみるか」


 彼女は誰か廊下を歩いていないか、そう思いながらしばらく廊下を歩いていると、とある神使の少女を見つける。


「おーい! そこのあんたちょっといいか?」


「はい、何でしょうか! 青葉あおば様!」


 少女は元気よく返事をする。その眼差しは仕事としてのもてなしの側面だけでなく有名で憧れの存在、そんな立派な神使を見ているかのような眼差しでもあった。


「いやな、ちょっくら聞きてぇ事あんだけどよ……時間いいか?」


「はい! 私は全然大丈夫です!」


 少女はハキハキと喋り、受け答える。

 青葉あおばは何だか少しやりにくそうな物言いで話す。


「えーっとな、まず喜久彌きくやの奴見なかったか? ほら、あの茶髪でだらしのねぇたらし顔の……奴」


「えーっと……すみません、お見受けしておりません」


「そうか。たくっあんの野郎どこほっつき歩いてんだか……。まぁいい、それよりもだ。ここで見かけなかったか?」


「えっ! 人間……ですか?」


 少女はひどく驚く。それはまるで、このような神聖な場所に人間如きがいるだなんて信じられない……そういう反応であった。


「そうだ。トイレに行ったっきり帰って来なくてよ。なんかそれらしいやつ見てねぇか?」


「え、いやぁ見てない……です」


 少女は動揺しているのか、先程までの丁寧な物言いは崩れ去っていた。


「そうか? ならしょうがねぇか。ま、見かけたらアタシ等がいる部屋まで案内してやってくれ。そんじゃ時間取らせて悪かったな」


「いえいえ、お気になさらず……」


 知らぬ存ぜぬと言う少女の言葉を聞き入れた彼女はその場を去っていった。

 彼女が見えなくなった所で少女は焦るように行動し始める。


「……急いで何とかしなきゃ!!」


 そう言い、少女……陽火ようかはあの建物へ走って行った。

 だが、その姿を青葉あおばは見ていた。そこから去るふりをしていたのだった。


「……やっぱり知ってんじゃねぇかよ。どういうつもりだ?」


 青葉あおば陽火ようかを追いかける。

 その先に時哉ときやはいるのだろうか? ……もしかするとおまけで喜久彌きくやにも出会うかもしれない。


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次回予告 怒髪天! 尻尾の逆鱗に触れる

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