第73話


 「純一君。」

 

 「うん。」


 「純一君っ!」


 ぎゅむっ!

 

 ……はは。

 これだよ。


 レコードフェスティバルを僅か一票差で制した由奈は、

 その日の会場で、俺との交際発表と引退を宣言し、

 盛り上がる会場を混乱の坩堝に叩き込んだ。

 

 しかも、最後に歌ったのは、

 持ち歌として登録したはずの勝負曲彩音作ではなく、

 


 『Snowflakes』

 


 「するには、いい曲かな、って。」

 

 ……はは。

 ぜんぶ、仕込んでやがったんだよなぁ。


 「由奈。」


 「うんっ。」

 

 同じ部屋で、呼びかければ届く声に、

 由奈が、いる。


 ただ、名前を呼び合うだけで、

 涙が出てくるくらい、幸せな気分になる。

 ありふれた日常の尊さを、奇跡のような恵みを。

 

 でも。

 聞いておかなければならない。

 

 「……由奈。」

 

 「うん。」

 


 「由奈が芸能界に入らなかったら、

  どうなっていたの?」


 

 「……。」

 

 ……由奈も、そうなんだ。

 隼士さんや、雛と、同じように。

 

 何百回も殺され、

 何千回も命を喪わなければならなかった。

 

 「……死んじゃうんだよ、みんな。」

 

 どう、して。

 

 「最初に死んじゃうのは、

  さん。」

  

 あ。

 

 あぁぁぁっ!!!!


 そ、そ、そうだ。

 原作では、どうあっても、少女倶楽部は没落する。

 柏木彩音のような稼ぎ頭を得られなかった御前崎社長が、

 大枚を叩いて入手した絵を、沢渡啓哉に売ることに失敗したら。

 

 ありえる。十分過ぎるほど。

 たとえば、精神が左程壊れていない梨香が、雛からの情報を元に断ったとしたら。

 

 「で、、御崎先輩。

  わたしが知り合った人たち、みんな。」

 

 ……そう、だ。

 鬱の連鎖システムの源泉は、だ。

 

 奏太が御前崎社長の甥っ子であること、

 奏太が隼士さんの、塩谷一族の血縁者であること。

 

 この世界で一番フラジリティが高いのは、水無瀬奏太だ。

 そして、奏太こそ、構成要素の根幹を成していた。

 

 にもかかわらず、

 奏太だけを掬い上げるシナリオは存在しなかった。

 

 だから。

 まさか。

 

 「

  、ってこと?」

 

 「……うん。」

 

 ……なんだ、そりゃ。

 ……なんて、こったい………。

 

 あのコロコロして、推理小説を読んで、

 チーズケーキを喰ってるだけの奴のために、

 この世界が廻っていただなんて……。

 

 これほど大掛かりなことを仕組まなければいけなかったのが、

 まさか、あの奏太のためだったとは……。

 

 「よく、わからないんだけどね?

  ふだんは、そう、感じないの。


  ほら、大切な絵を隠したい時とかに、

  その絵の上に別の絵を塗ったりするでしょ?」


 ……ああ。

  

 「でも、わたし、たぶん、何回も、何回も、

  いろんなところで、いろんなやりかたで。」

 

 ……痛々しいことこの上ない。

 その絵が、何枚も、何十枚も、何百枚も塗りたくられていってるわけか。

 

 「……それで、気が付くと、また、

  雛さんとお話するところまで、戻されてしまっていたの。」

 

 ……そんな状態で、どうして。

 

 「……どうして、壊れなかったの?」

 

 「壊れてたよ。

  が、来るまでは。」

 

 「……え。」

 

 「、藤原純一君。」

 

 っ。

 

 「二度目まして、かな?」


 ゆ、由奈。

 きみは。

 

 「……わたしね、もう、こういう運命なんだって、

  ずっと、諦めてたから。


  も、

  そういう宿命なんだって。」

 

 ……。


 「だからね?

  いまの純一君が、わたしを啓哉さんから救い出してくれた時、

  ほんとうにうれしかった。」


 ……一周目の話か。

 

 「でも、わたしが考えてもいないところで、

  あの世界も壊れていっちゃって。」

 

 ……そうだな。

 まったく考えもしなかったよ。

 

 「あぁもう、だめかなって思った。

  純一君でもだめなら、

  もう、わたしに希望はないって思った。」

 

 ……。

 

 「また、雛さんが、声をかけてきてくれた。

  わたしはまた、純一君にお話をしようとしたら

  純一君が、止まって。」

 

 ……うん。

 

 「寂しいよ、って言ってくれたから。」

 

 うん。

 


 「……わたし。

  わたし。

  わたし。

  ずっと、ずっと、ずっと、

  !!!!!!!!」


  

 ……

 

 そうだね。

 そうだ。

 それはほんとうにそうだ。

 

 「あぁ、こうすればよかったんだって、

  こんなやり方あったんだって、わからなかった。

  わたしに、わかるわけ、なかった。」

 

 ……。

 うん。

 

 「……だから、信じた。

  なにがあっても。わたしが殺されても。

  わたしは、を、って。」


 ……。

 はは。

 

 (白川由奈は、藤原純一のすべてを信じます)

 

 そこまで、重い決意だったのか。

 

 ……

 よかった。

 ほんとうに、よかった。

 

 「とても信じられないようなことばかり

  あったろうけどね。」

 

 だれかれとなく女性に声をかけまくっていたわけだから。

 それも、妙齢のアイドルばっかりに。

 

 「それはいつものことだから。」

 

 ……うわ。

 なんて軽く、なんて重たい台詞だこと。


 あ。

 あぁ。


(白川由奈が、きみにつけたんだよ。

 きみ風に言うならば、『』の能力を。)


 それは。


って。)


 それは、つまり、

 辿

 

 「ね、純一君。」

 

 「うん?」

 

 「えへへ、純一君っ!」

 

 あぁ……。

 めちゃくちゃ癒される……。

 素直にそう、認めりゃよかっただけなのに。


 戦うべきは芸能界じゃなくて、己の、くだらないプライドだけだった。

 ボタンを押し間違えなければいいだけだった。

 たったそれだけのことなのに。

 

 ……まぁ、人間関係なんて、

 究極、そんなも

 

 !?!?

 

 「えへへ、もう、いいよね?

  芸能界、やめちゃうんだから。」

 

 え、は、ず、ズボンのチャック、

 じゃなくて、ボタンを、

 あらそんな、さーって、手早く

 

 「えへへ、

  えへへへへへへへへへ」

 

 あぁ……

 なんだこりゃ、雛にソックリ。

 

 じゃ、なくってっ。

 

 「あ、あのね、由奈。」


 「なぁにー?」

 

 「その、梨香さんに、

  頼まれてたことがあるんだけど。」


 パンツをずらそうとした由奈の手が、止まった。


*


 <お相手は、報道されたように、

  同じBWプロのプロデューサーの方でよろしいんでしょうか?>

 

 <はい、そうです。

  ですが、一般の方ですので、お名前はお控えくださいね。>

 

 <わかりました。

  ご結婚秒読みともお伺いしていますが。>

 

 <はい、今年中に。

  障害はすべて、なくなりましたので。>


 うーん、きっぱり答えていくなぁ。


 <そうすると、結婚を機に引退、

  ということでよろしいんでしょうか?>


 <無期限の休養です。>

 

 <それは、引退と解釈してもよろしいんですか?>

 

 <本当はきっぱり引退したかったんですけれど、

  ある方に、止められちゃいまして。>

  

 <よろしければ、その方とは?>

 

 <梨香ちゃんです。

  沢埜梨香ちゃん。>

  

 ざわわわわわわわわっ!!

 

 <わたしなんて、結婚しちゃったら、

  誰も興味ないんじゃないかなーって思ってるんですけれどもね。

  みなさんもそうでしょ?>

 

 <そ、そんなことは。>


 ……ははは。

 

 (私から、

  たったひとつだけ、お願いしていい?)

 

 の中身が、コレだった。

 

 (白川由奈を、引退させないで。

  それくらい、いいでしょ?)

  

 意味が分かるようで分からなかったが、

 沢埜梨香の、たったひとつの願いなら、叶えないわけにはいかない。

 

 まぁ、確かに。

 白川由奈の表現力は、アイドル離れしている。

 そもそも、俺の時代だと、結婚してもアイドルを続ける、

 っていうのも珍しくはなくなっていた。

 

 この世界の新しい慣行を作ってもいいのかもしれない。

 由奈が奪われることは絶対にないわけだし。

 

 <でも、わたしの身体はもう、

  旦那さんのものですからねっ。>


 ぶっ!?!?


 で、出たよ。

 時折、とんでもないことを言い出す癖が。


 「……ははは。

  相変わらずだね、由奈ちゃんは。」

 

 ……御前崎社長。

 

 「純ちゃん。

  一人だけリタイヤメント決められるとでも思った?」

  

 「それは、まぁ。」

 

 「何いってんだい。

  LP&BLittle princess and butlerなんて、まだヨチヨチ歩きじゃないか。」

 

 「沢埜啓哉がいますけれど。」

 

 「ベースしか弾かないんだろ? 知名度しかないんだよ。

  それに、ギターがされたら、若いオトコ達が一斉に技術を磨いて来るよ。」

 

 それはまぁ、そうだろうな。

 ギターって本来、そういうもんだから。

 

 「……真美には、地獄の道だろうね。」

 

 「大丈夫でしょ。

  才能の塊みたいな娘ですから。」

  

 「……どうしてわかったんだい?」

 

 ふふ。

 

 「社長が信じてたからですよ。」

 

 「……そんなこと言えるオトコ、うかうか野に放てるわけないだろ?

  逃がさないよ、純ちゃん。」

 

 うあ。

 それはまた、どうにも。


*


 (……。)

 

 ひととおり、見たわけだが。

 

 (……。)

 

 わかってる。

 もとの世界に、帰れるんだろ?

 

 (……。)

 

 そうだな。野蛮な世界だよ。

 煙草吸って、酒飲んで、路上でクダを巻いてる。

 男尊女卑がデフォルト、野球道なんてローカルスポーツが花形競技だし、

 オトコがオトコを犯したくらいじゃネタだとしか思われないし、

 接待でケツの穴に花火をつけて燃やすような連中が商売相手だ。

 

 (……。)


 お上品な世界だったよ。皆、周りを怖れて本当のことを言わない。

 堕ちていった者は情け容赦なく叩くのにな。

 

 (……。)

 

 あぁ。そっちのほうが、住み心地はいいだろうな。

 静かだし、路上でゲロ吐く奴もいないし、

 交通事故は半分以下だし、スリもかっぱらいもいない。

 なにより、街に匂いがない。

 

 (……。)

 

 でも。

 わかる、だろ?


 (……。)

 

 そうだなぁ。最先端技術がポケベルだもんな。

 そっちのことが、恋しくなるかもしれないな。


 (……。)

 

 だろう、な。

 それでも。

 

 俺は、あの娘を、裏切れない。

 絶対に。


 (……。)

 

 いや。

 あぁ、そうだな。はっきりさせよう。


 あの娘は、もう、棲んでいる。

 俺の、心の奥底まで。

 

 ……はは。

 

 白川由奈は、お前の尺度では測れないよ。

 誰の間尺でも、だ。

 

 (……。)

 

 ああ。

 うん。そうだな。


 それは覚悟してるよ。

 そうであったとしても、だ。


 (……。)

 

 うん。

 ありがとう。

 

 幸運を。

 お互いに、な。


*


 「おはようっ!」

 

 どふっ!!!

 

 あ、あぁ。

 朝かよ。

 

 ってか、原作の由奈よか、幼くなってる?

 もとから? 結婚したから?

 

 「ね、しよ?」

 

 あ、これ、本能しか入ってない顔だ。

 どうして清楚な清純派とコレが両立してたんだ。

 っていうか、もうベットに入って来てる。

 

 「一生分じゃ、足りないんだぞっ。」


 うわぁ。

 なんて重い言葉。

 藤原純一、脆弱な身体なのに。

 

 「ね、純一君。」

 

 「なんだい、由奈。」

 

 「っ!

 

  えへへへへ、

  だいすきだよ、純一君っ!!」


 ……はは。

 直球すぎて、なにもかもがこそばゆい。

 

 あ。

 あぁ。

 

 「ん?」

 

 できたわ。

 最後の、ワンフレーズ。

 

 「由奈。」

 

 「ん?」

 

 「ずっと、贈りたかったものがある。」

 

 「?」

 

 無期限休業した由奈の歌は、

 誰にも、聴かせられない。

 

 だけど。

 

 それでいい。

 それが、いい。

 

 ギターなんて要らない。

 ピアノも要らない。

 

 「聴いてくれるかな。」

 

 ただ、

 声だけがあれば、それでいい。

 

 ベットで、枕元の傍で、囁くように歌える。

 これは、そんな歌だから。

 

 あぁ。

 紡ぐように、声が、想いが、溢れてくる。

 抑えるほうが、大変なくらいで。

 

 ……あはは。

 由奈が、身体を震わせ、溜めた涙を溢しながら、俺を見上げ続けてる。

 

 涙声にならないように、身体が震えないように、

 必死に、神経を集中させて、喉を揺らすように声を紡ぎあげる。


 ただ、愛する人だけを想って、

 なにもかもを犠牲にして耐えに耐え抜いてきた娘が、

 最後に、悠久の幸せを掴む歌を。

 

 「……これ、

  なんで、うた?」

 

 ああ、仮歌γってとこなんだけど、

 なんか、すっと出てきた。

 

 だって。

 これは。

 


 「『きみのうた』だよ。」


 

浮気ゲーの主役に転生しちまった

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