第46話
これ、は。
『キスの味。
……とろけ、そう……っ』
これ、くるな……。
「これでゴーサインを出しました。
事後報告となり申し訳ありませんが。」
「いや、いいんですよ。
このプロジェクトは雛さんの権限ですからね。」
清純派、ぎりぎりの煽情感。
客観的に言えば、プロの仕事。
雛が選んだ理由は、よくわかる。
方程式としては、目的に対して実に適合的。
ただ。
あぁ。
くる、わ。
これ、めっちゃ、くる…。
ほんと、よく、アイドルと交際なんてしてるよな。
こういうの耐えられるって相当なメンタルしてると思う。
由奈がやりたいと言っている以上は止められないわけだけど。
ま。
実際の由奈は、もっとずっと煽情的なんだけどな。
はぁ。
そうとでも考えておかないと、バランス崩れてきそうだわ。
あぁ、頭痛いわ……。なんか、吐きそう……。
*
1986年12月19日。
柏木彩音の新曲が、テレビ初披露される。
前回と違って、名門音楽番組のトップバッターだ。
「さ、今週も行ってまいりましょうっ。
トップバッターは、元・少女倶楽部たった一人の良識派、
永遠の学級委員長、柏木彩音ちゃんでーす。」
その紹介のされ方はなんなの。
あんな事件になった後なのに、無神経きわまりないな。
「どうも。」
「彩音ちゃん、ソロでははじめてですよね。」
前回舐め腐ってオファーしなかったのお前らだろうが。
シレっとしてやがんなぁ。ま、そういう仕事なんだけどさ。
「そうですね。お久しぶりです。」
「今回、見事に真っっ白ですね。
歩く漂白剤ですか。」
なのだ。
純白レース。アイドルど真ん中。
「そうですね。
今回はちょっと。結果的になんですけれど。」
もともとアイドルだったから、フリフリドレスがごく普通にはまる。
アクセントでルビー色の小さめなコサージュが入っているところだけ、
ほんの少し大人っぽい雰囲気にはなっているものの。
「いっやぁ。
スポンサーまわりのプレッシャーを跳ねのけてやってきましたねぇ。」
下世話極まりない。
なまじっか当たっているだけにやっかいな。
「じゃ、新曲、まずは歌っていただきましょう。
『Emotional dependence』です。どうぞ。」
ピアノに座った彩音に、
大きな曲名と作詞、作曲の字幕が入り、
バックバンドのドラムをしおにシンセサイザーが流れ出す。
あぁ。
なんだこりゃ。
めちゃくちゃ明るいメロディ。
ほんとに好きなの、作ってきたんだなぁ。
え。
なにこれ。甘い。
媚びてないのに、めっちゃ声が甘い。
いるよ、こういう癒し声の人。
なにこの引出しの多さ。声優さん?
軽快きわまりない、60年代後半の西海岸風のビートライン。
軽やかな、しかし、フックの強い、耳にしっかり残るメロディ。
リードは甘々なシンセトーンで、ピアノはコードを弾いているだけ。
ただ。
歌詞は、甘いようで、まったく甘くない。
(純ちゃんもきっと驚くわ。)
デモテープひとつ送られてこなかった理由が、
痛いほどわかってしまった。
初めて逢った日のこと。
心を開いてしまった瞬間のこと。
好きだと分かった時には、他の人のモノだったこと。
<これは愛ではないんだと なんども言い聞かせる>
<だけど からだは あなたに疼いてる>
死にたくなるくらい、あなたが好きなのに、
あなたは、他の人のモノ。
……あぁ。
これは、売れる。
めちゃくちゃ売れる。
1990年代でも、下手したら2000年代でも売れる。
メロディのフックの強さと、歌詞の情景込みの悲惨な世界の対比が凄まじい。
その双方を、彩音の甘く響く中音域が絶妙なバランスで繋いでしまっている。
同世代女子にとって、柏木彩音は神になりかねない。
自分の感情の奔流を冷静に腑分けして切り売りできる、
理想的なシンガーソングライターになってしまってる。
と、同時に。
……
そこまで、鈍感にはなれない。
突きつけられていることくらい、分かる。
どうにもならないことだとはいえ。
ある意味、復讐をされているのだろうか。
由奈は動揺したかもしれない。
こんなに正直に、こんなに洗練された手法で、
公開告白をされてしまっているのだから。
「いやぁこれはほんとにもう、前と真逆ですね。
これ、丸の内のOLなんかにぐさぐさっと刺さりそうですねぇ。」
司会者、それ、言っていいのかよ。
自由すぎるな1980年代。
「だといいんですけれども。」
「これはやっぱり、
彩音ちゃんご自身の体験談だったりしちゃいますか。」
無神経ストレートにもほどがある。
下世話もここまで来ると笑うしかない。
「入ってはいますね。少しだけ。」
ほぼぜんぶじゃねぇのか。
「じゃあやっぱり想いが溢れてコンサートで泣いちゃったりとか?」
「そんなこともないんですけれども。」
戦場に押し出されたのは男性アイドル五人組。
柏木彩音に対し、物欲しげな目線を送っている。
コイツくらいなら手に入るって顔をしてやがるな。
……あぁ。
なんか、匂う。
鬱っぽい引力を感じてしまう。
事務所違うから、雛でブロックできない。
まぁでも、御前崎社長がなんとかするか。
そういうこと、得意そうだし。
あれ。
あのチャラそうなオトコ、みたことある。
だって、あのオトコ、原作の地雷かまってちゃんのイベントで
「次はTokyo Angelですが、その前にいったんCMです。
チャンネルはそのままっ。」
えぇ?
この時代でもまだそういう表現あったんだ。
もうちょっと古い世界の
って。
え。
『Assorted Love』の、サビ前に載せて。
アップに耐えられてしまう、透明感溢れる可憐な容姿。
チョコレート色のハーフコートを着て、
オレンジ色の包装紙につつまれたチョコがはらりと解かれ、
人差し指で口に入れた由奈が、
サビ入りのブラスの部分で、
薄桃色のリップに彩られた唇を、
前に、出して、
『キスの味』
ふるりと、舐めながら、
『……とろけ、る……っ』
……って。
これ、曲のCMになってなくない?
100%アイドルビデオじゃねぇか。
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