第44話


 「あ。

  そこの付き人さん、水とってきてくれる?」

 

 ……はは。

 もう、いいか。

 

 俺が広告代理店側の視界から消え去る絶妙のタイミングで、

 雛がラウンジのドアを閉めた。

 

 梨香に忘れ物を取りに行かせ、

 代理店の連中を2分だけ待たせる。滅茶苦茶な難度の話だ。

 往復5時間半強の移動、表で2時間弱の打ち合わせで、

 ひねり出せるのはたった120秒。

 

 「化粧品のCMっぽくない話だったね。」

 

 「ほんとね。

  でも、面白そうじゃない?」

 

 要するに、レコーディングの風景を出しながら、

 基礎化粧品のCMの絵を取る、という企画。

 ほんとにうまくいくのかと思ったが、

 こっちはイメージを下げないし、ギャラは入ってきてちょうどいい。

 

 「……ふふ。

  ちょっと無理をした甲斐があったな。」


 もの凄く無理をやらかしてると思うけど。

 

 「カジュアルの純一君を見られたし。

  うん、いいよね。新鮮っ。」

 

 いわゆるAD付き人ルック。

 ケーブル捌いて蹴られる奴ね。

 

 「もう1分半もないよ。十万円以上掛けてるのに。」

 

 「純一君と逢えるなら、その百倍でも安いよ。」

 

 ……なんでこう、

 口説き方がオトコらしいのかね、梨香さんは。

 

 「それにね。

  ずっと、見てたから。」

 

 確かに。何度も、見られてた。

 向こうからは、ミネラルウォーターのラベルを見ているとしか思えない角度で。

 広告代理店が間違ってミネラルウォーターの貢ぎ物を贈ってきそう。

 

 「あーあ。

  このADさん、連れて帰りたいんだけどなー。」

 

 考えてみると、AD向けカジュアルルックスは原作踏襲なのだ。

 さんざん、この格好でテレビ局を連れまわされていたのだから。

 

 「クリスマスでツアー、終わりでしょ。」

 

 「そうだけど。

  ……うん、そうだね。

  それまで、由奈を牽制しとく。」

 

 うわ。

 

 「もちろん、フェアの範囲でね。

  あはは。」

  

 ……なんて言っていいか分からない。

 

 って。

 

 「これくらい、いいでしょ?

  わたし、なにもしてないんだから。」

 

 さ、三センチの距離っ。

 

 < 梨香さん、見つかりましたか。 >

 

 「……よし、と。

  

  はーい、行きますー。」

 

 振り向いて、余所行きの声を出したかと思うと、

 

 !?

 

 「監視カメラ、死角だから。

  じゃね、純一君っ。」

 

 ……手、

 思いっきり出してるしっ……。


 や、やってること、

 由奈と、

 同じ、だけど……

 

 だ、だめだ、

 腰、抜けるぅっ……。


*


 え゛。

 

 「ど、どうしたの、その恰好。

  さ、撮影かなにか?」

 

 な、なんで、わかるんだよっ。

 っていうか、どうしてこういうタイミングで彩音に逢うんだっ?

 

 「わ、私は、だって、

  これから、搭乗するから、

  ちょっと、こっちに休みに来ただけで。」

 

 あぁ。

 こっちは、雛が、迎えにきちまうんだがっ。

 

 「そ、そうなんだ。

  僕はこれから、雛さんが来るから。」

 

 「う、うん。

  わ、わかった。

  

  あ。」

 

 ん?


 「……

  ありがとね、みんなのこと。」

 

 ああ。

 

 「いいリーダーだったみたいだね、柏木さん。」

 

 「……ちっとも。」

 

 < 常務? >

 

 !

 

 「じゃ、じゃあ、またねっ!」


 ほっ……。

 

 って、よく考えると、隠れるようなこと、なんにもないんだけどな。

 なんとなく、罪悪感が凄まじい。

 

*


 Gジャンをブランドジャケットに替えるだけで、ADっぽくなくなる不思議。

 ミラーに映る純一、ルームナンバー砂に書いてるチャラい業界人って感じで嫌。


 「梨香さんはいかがでしたか。」

 

 そんなこと聞くんだ、雛。


 「御変わりありませんでしたよ。

  雛さんもご覧になられたでしょう。」

 

 「あの2分の間です。」

 

 「……それこそ、いつもの梨香さんでしたよ。」

 

 素直で、真っすぐで、明るくて、悪戯っぽくて。

 ……ちょっとだけ、手が、早い。


 「……あの方が、ああなられたのは、

  由奈さんと、純一さんのお陰ですよ。」

 

 あら、珍しく正直な。

 

 「……梨香さんがデビューして、少し売れてきた頃に、

  テレビ局のディレクターに、ピアノの場所を隠されたんです。」

 

 ぇ。

 

 「そのディレクターは、

  ある事務所から、キックバックを貰っておりましたので。」

 

 ……おおがかりな。

 

 「梨香さんは、生放送で、その事務所の看板歌手を潰しました。

  アカペラ一本で、その歌手の新曲を、完璧に歌いこなしたんです。」

 

 ……あぁ、やりそうだなぁ。

 

 「それで、出る杭路線を貫いたと。」

 

 「はい。

  共感されるよりも、恨まれ、恐れられるほうを選んだわけです。

  ただし、啓哉さんのお考え戦略の範囲で。」

 

 ……空洞を作って、入り込めるように、か。

 

 「梨香さんは、自分の醜さをあなたに出すことを恐れておられます。

  殊更に明るくふるまっておられるでしょうが。」

 

 ……なるほど。

 まぁ、こんな世界にいれば、ありそうな話だとしか思わないけどな。

 

 「……

  さん。」

 

 ……

 え。

 

 「ふふ。

  あなたが、どうしてまだ生きていられるのか、

  私は、本当に不思議です。」

 

 ……。

 あぁ。

 そうなんだよ。


 美しいんだよな、雛。

 だから、純一は導かれて、あっさり堕ちてしまったわけだし。

 

 「これ以上、増やされますと、

  こちらも管理できなくなりますので。」

 

 「何の話ですか?」

 

 「天河さんですよ。」

 

 は。


 「いたって事務的な話でしたよ。」

 

 「……あなたにとってはそうなのでしょうね。

  一応、お伝えはしましたので。」

 

 はぁ。

 それにしても。

 

 「少女倶楽部の例は、アイドルでは一般的ですか。」

 

 「……あれはまだ、大人が監視しているほうでした。」

 

 うわ。

 煙草を肌に当てるやつで、か。

 

 「若さしか、売るものがありませんから。

  どうしても。」

 

 雛、口を濁したな。

 いろいろあったんだろう。想像を絶するようなことが。

 でないとプレデターに堕ちるわけがない。

 

 「そう考えると、御前崎社長は、

  才能がある人を集めてますね。」

 

 「……。

  かも、しれません。

  それを引き出したのは、純一さんですが。」

 

 「啓哉さんもそうでしょう。」

 

 「引き出したのはお認めになられるんですね。」


 んっ!?!?

 あ、笑ってる。

 雛、なんかちょっと若返ってる?


 「普通の人間が気づくのは、

  自分よりも低い能力や才能です。」

 

 まぁ、そうだろうな。

 テレビ局のダメディレクターが典型的にそうだろう。


 「純一さんは、逆ですね。」

 

 「暗に能無しと言ってませんか?」


 「そうかもしれませんね。」

 

 ……うわぁ。

 解けたような微笑みで嫌味を言われると、どう返していいんだか。

 

 「だから。

  私も、賭けて見たくなったんですよ。

  あなたに。」


 「……。」

 

 雛が、安らいだ瞳で、安定感抜群の運転を続ける。

 沈黙が、苦にならないくらいの距離ではいられている。

 

 「……あの三人の話、

  由奈さんは、納得されているのですか。」

 

 あぁ。

 ……確かに。

 ちゃんと、話さないとだな。


 「もし、断られたら。」

 

 「説得はします。

  でも、由奈のコンサートですからね。

  由奈がどうしても嫌なら、流しますよ。」

 

 それは、当然のことだから。

 地位を濫用するつもりはない。


 「……。

  それを伺って、安心いたしました。

  その場合は、私のほうで、代替先を手配致しますので。」

 

 「助かります。」

 

 「……三人の目標は、どちらに。」

 

 これは、決まってる。

 

 「春フェスです。」

 

 「!」

 

 「まぁ、端っこの奨励賞を取れれば最高レベルじゃないですか。」

 

 それまでに、シングルを最低一枚出さなければならない。

 どんなに早くても2月になってしまうが。原作上のタイムリミットぎりぎり。

 

 「……出演自体、難しいでしょう。」

 

 「そこは隼人さんの領域でしょうね。

  きな臭い話ですから。」

 

 「……。」

 

 「塩谷一族が、どちらに付くか次第ですが、

  僕らが関知し得ない領域は、隼人さんに委ねましょう。

  僕らは、隼人さんが窓をこじ開けた一瞬に、最良のものをぶつける。

  それに専念すべきでしょう。」


 「……

  はい。」


 「それで言うと、

  僕はひとつ、疑っていることがあります。」

 

 「……?」

 


 「例の事件、

  多すぎるんですよ、が。」


 

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