第2章(1986年12月4日)
第32話
「次のニュースです。
人気歌手の沢埜梨香さんが、3日、民放の音楽番組内で、
交際を仄めかす発言を行い、話題となっています。
沢埜さんは19歳。16歳でデビューして以来、
歌手として着実に人気を集め、
昨年は公共放送音楽祭に初出演を果たし」
ぷつっ
……あのオカタイブルーカラーの七三分けにまで、
こうも淡々と話されるとおぞけづくな。
この世界における沢埜梨香への関心の凄まじさを実感する。
阿鼻叫喚の地獄絵図、とまでは言わないが、
民放テレビ、ラジオは大災害クラスの速報を打った。
Kファクトリーの事務所前は各社のカメラが勝手にガムテーブで固定されており、
某宗教団体の立ち入り事件を彷彿とさせる状況だ。
文字通り、
列島を揺るがす激震。
勿論、こんなシーンは、原作にはない。
原作の梨香ルートは、梨香の完全引退の後の交際の仄めかしに過ぎないから、
こんなド派手な混乱などあるわけがない。
誰が言いはじめたか知りようもないが、
民放のラジオでは、「FF事件」と呼ばれてしまっている。
この世界ではもう、某ゲームの略称で使われることはなくなるかもしれない。
さすがにこの状況では、雛が俺を迎えに来るのは無理だろう。
今日のバイトは、休むしかないのではなかろうか。
ぴんぽーん。
ん?
朝っぱらから、誰だ?
……状況が状況だけに、警戒せざるを得ない。
雛でないことは確かだろう。今頃忙殺されているはずだから。
なら、白鷺楓花か?
今は猫の手も借りたい状況だろうから、あのカマトトも対応させてるはずだ。
戦力になるかは覚束ないだろうが。
……だと、すると。
記者か、それとも
「純一君。」
ん?
この声は……
一応、覗き穴から確認する。
「急いで身支度して。
あ、お金持って出てね。」
え?
後ろに誰もいないことを気配で確認し、
財布と身の回り品だけを持ち、手早くドアを開ける。
「御崎、さん?」
分かっていても、確認してしまう。
モデルといっても通るような容姿で、
ワンレンパーマなのに、どこか優しく見えて。
なんで、また。
「うん。おはよう、純一君。
じゃあ、ドライブに行こっか。」
……は?
*
「……社長がね、そうしろって。」
なる、ほど。
そういうこと、か。
俺のところにもメディアが来ると予想したんだろうか。
「雛さんには知らせてあるから。
大丈夫だよ。」
御崎さんの大丈夫には不安しかないが。
そういえば御崎さん、原作でも免許、持ってたわ。
取り立てのはずだが、ちょっと慎重なだけで、運転はきちんとできてる。
「……いちおうね、聞いておこうと思って。
沢埜梨香さんの『あれ』って、純一君のことよ、ね?」
……
(人としてよ?
君のこと、好きよ。大好き。
……ね? ふふふ。)
(……ありがとう。
一杯、受け取ったから。)
……あぁ。
言い訳を並べたくなるな、これは。
編曲を片隅で手伝っただけだし、
自分から求めたことは一度もないし、
身体を触ったわけではまったくないし
……ちがう、だろっ……。
「……僕には、由奈がいますから。」
そう、答えるべきだ。
俺は、そのためにいるんだから。
湧き上がって来る息苦しさと苦味を、踏みつぶしてでも。
白川由奈を、裏切るわけには、絶対にいかない。
俺の命が尽きるとしても、だ。
大丈夫。
大丈夫だ、俺は。
「……そう。」
……まずいな、分かられてる。
隠しきれるようにしないといけない。
「……純一君。」
「はい。」
「もし、もしよ?
私が考えているようなことがあったとして、
純一君が表で、梨香さんのことを否定しちゃったら、
梨香さん、あの時の私みたいになるわ。」
っぅ!?
(……由奈。)
(……私ね、純一君に棄てられた時、
死んじゃおうかなって思って。)
……そんな、ことは。
あんなに自立心旺盛で、自信に満ちた天下人が。
い、や。
原作の梨香は、毒兄に棄てられそうになっただけで、
あれだけ病みまくり、意味不明な行動を繰り返していた。
その依存体質が、まったくなくなったとは考えにくい。
なにより、ここは、浮気系鬱ゲーの金字塔、
『Assorted Love』の世界。
この金言を無視して、万が一にでも梨香を死に至らしめれば、
毒兄や由奈に、ごく普通に連鎖するだろう。
ただ。
「……御崎さんが考えているようなことは、ありません。」
それは、ない。
なにも、ない。
これだけは、確かな事実だ。
……額に唇を当てられたことはノーカウントだ。
トロッコに乗って駆け落ちしたくはない。
だいたい、あんなコストの掛かる美女を養える甲斐性などあるはずがない。
身分違いの恋は、必ず、破滅を招く。
……それ言ったら、
由奈だってもう、立派なトップアーティストなんだけど。
チャート番組に5週も名を出せるくらいに。
やばい、混乱してる。
原作の純一そのままの心理になってきた。
あぁぁぁぁ……
「……だ、大丈夫?」
っ。
「な、なんでもありません。
そ、それより、御崎さん、これ、どちらに向かって
っ!?!?
「お、し、お、きっ。
言ったでしょ?
高校の時みたく、紗羽って呼んでって。」
い、いや、それは。
「私、講義休んで、運転手してるんだけどな?
ガソリン代の分くらいは、優しくしてよ。」
……あぁ。
御崎さん、ちょっと、強くなってる。
……そうだ。
ここは、純一をしっかり被らないと。
「……わかりました。
紗羽さん。」
「!」
「で、目的地はどちらなんでしょう。」
「……
純一君の意地悪。」
なにがですか。
*
って。
「着いたよ、純一君。」
……バイト先じゃん。
てっきり、今日、休みかと。
「ふふ。
ほんとうはもっと、遠くに行きたかったのになぁ。」
「明日、家庭教師のバイト入ってるじゃないですか。」
「……知ってくれてるんだ、嬉しいな。」
うわ。へんな地雷踏んだ。
おっとりストーカーモードが炸裂してる。
「……もう。
はやく降りて。名残惜しくさせないで。」
降ります、降りますとも。
「……ありがとうございます。」
よっと。
……ほんと、わかりづれぇトコにあるよなぁ…。
悪い意味でオフィスビルに溶け込んでる。
一応、地上階なんだけどね。
「……
じゃぁ、またね。」
車の排気音が大人しめに響く。
持ち主の性格を表すというか。
……ふぅ。
気配はない、か。
まぁ、由奈の彼氏情報が一部に出回っていたとしても、
梨香の交際相手に浮上する可能性はほぼゼロなんだが。
……だから、交際相手じゃないっての。
断じて違う。
あぁ。
これも言い訳か。
言い訳って無駄に湧き出てくるよな。
……ん?
からんからん
「あ、おかえり、純一。」
……奏太?
……ほぅ。
いつもより、片付いてる。
ちゃんと掃除、したんだなぁ。
「マスターが呼んでるって。
伝えたからね、ボク。」
……。
そっか。
まぁ、猶子達の一大事だからな。
事情を聞きたいってのは普通の反応だ。
「わかった。
ありがとな。」
「うん。」
マスターの所在地は、ゲームの通りならば、
開かずの間となっているパントリーの横のドア。
鍵を差し込むと、よく似た小さな階段が出てくる。
これを下ると、やっぱり穴倉が出てくる。
地下空間、広すぎるんだよなこの建物。建築基準法的に大丈夫なのか。
……。
さて、と。
これで、原作通り、か。
「藤原です。」
「……入れ。」
ちゃんと、やってくれるだろうな。
なんせ
がちゃっ
「!?」
えぇぇ……。
銃、こんなな
ぱぁんっ
うわ。
どさっ……
……。
「……麻酔銃だ。」
……うん、知ってた。
これ、原作由奈ルートでもあったもの。
針で後ろからぷすっとやってた気がするが。
目の前に、奏太を装っていた者が倒れている。
変装としては、実によくできている。
アマチュアのやり口じゃない。
「……なぜ気づいた。」
原作通りだったから。
ではなくて。
「簡単ですよ。
奏太は、『お帰り』なんて言わないですし、
自分から片付けなんかしませんから。」
働き者だったのが仇になるなんて、考えもしないだろうな。
それに、万が一掃除なんてしてたら、奏太なら、
(やったよ、ボク。)
(そうでしょ? ふふん。)
とか言って、ドヤ顔してたろうし。
奏太の外面だけを見てたってトコか。
「……ふん。」
しかし、まぁ。
確かに、背丈はよく似ていたが。
そりゃ、知らんわな、奏太のことなんて。
現実の奏太はもっとナヨナヨしてるし、
仕草はもっと、いや、かなり女よりなんだよ。
困ったことに。
「……藤原。
しばらく、ここにいろ。」
「はい。」
おそらく、奏太を演じていた者を片付けるのだろう。
そのやり方は、原作通りなら、聞かないほうがよさそうだ。
でもって。
……うーん。
この部屋、マジで原作通りだ。
ビンテージもののアンプにジャズの名盤達。
ヘッドフォンは業界垂涎、テク〇カ製品のハイエンドモデル。
オーディオマニア、汐屋隼士の面目躍如だろう。
この部屋を維持するのに、どれだけの資金が投じられているのか。
チーズケーキを1万個売ったくらいでは足らないだろうな。
名士と言うには、顕示欲に乏しいが、
世捨て人と言うには、世と繋がりを持ちすぎている。
だいたい、世捨て人の部屋だったら、
こんな高級な椅子が、二脚セットになってるわけがない。
で、これ、事前に座っちゃダメなやつ。
なぜなら。
がちゃっ
「……待たせたな。
まぁ、座れ。」
って言われるところまで込みで原作追随だから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます