第27話

 

 「……ごめん、

  君に、見とれてた。」



 「えっ……。」


 ん?

 

 「いや、敬語、やめろって言うから。」

 

 「う、うん。

  いいの、いいの、それで。」

 

 「もう一回、聴かせてくれる?」

 

 「も、もちろんっ。」

 

 ……こんどは真面目に聴く。

 

 まぁ、びっくりするくらい原作通りだ。

 

 もちろん、沢埜梨香の歌唱力は、圧倒的だ。

 うまい、とか、上手、とか、そういう次元を超越している。

 神懸かり的ですらある、文句のつけようのない超一流ボーカリスト。

 俺の世界で言えば、比肩できるのは神崎菫その人だろうが、ビジュアルは桁違い。


 ただ。

 

 「正直、言っていい?」

 

 「……うん。」

 

 

 「これ、

  デモ版ってことでいいんだよね?」

 

 

 「っ!?」

 

 要するに、編曲が、

 「びっくりするくらい原作通り」のレベル。

 

 なにしろ、天才、沢埜啓哉の、針の穴を縫う編曲技術を見せつけられた後だ。

 沢埜啓哉が120%の能力を引き出すとすれば、

 これで引き出されてる梨香の魅力は、最大限好意的に見て、70%程度だろう。


 「はっきり言うね。

  梨香さんは天才的。

  編曲は、プロとしては、並み以下じゃないかな。」

 

 「そ、そこまで言うの?」

 

 ん?

 

 「まさかと思うけど、編曲、自分でやったの?」

 

 「……。」

 

 やったんだ。

 

 「その、手伝って貰いながらよ。

  兄さんの仕事、横でずっと、見てたんだから。

  私にも、できるかなって。」

 

 あー。

 やっぱ編曲って、根暗な奴がすべきなんだよな。

 言ってみれば、ジオラマの植物部分を多彩に埋めていくみたいな感じだから。


 啓哉だって、ギタリスト時代がホントにあるなら、

 その頃は絶対できなかったろうし、まして梨香なんて。

 

 たぶん、自分の声を完璧に律することの延長でやろうとしたんだろう。

 音色選びや整音ってそういう作業じゃないんだよな。


 「手伝って貰った人と、逢わせてくれるかな?」

 

 「うん。もちろんよ。

  ……でも、いいの?」


 ん?

 

 「その、目立ちたくないんじゃないの?」


 確かに。

 でも。

 

 「編曲者はさ、テレビの字幕にクレジットされないでしょ。

  作詞、作曲だけだよ。

  啓哉さんは、そっちもやってたからね。当然目立つ。

  でも、編曲者なんて、裏方だからね。」

 

 「……。」

 

 「ついでに言うと、レコードとかに名前が出るのは、

  今回、手伝ってくれた人達だから、僕の名前が出ることはないんだよ。」

 

 「……。」

 

 「そうだなぁ。

  この曲がチャートの首位になったら、

  ビデオデッキを買ってくれる?」

 

 「……ほんとに、そんなのでいいの?」

 

 「バイト代考えると、だいぶん高いよ?」

 

 「……ううん。

  ……ほんとに、お願いできる?」


 「ひとつだけ約束して。

 

  この曲をリリースしたら、

  少なくとも、啓哉さんが言い出すまで、梨香さんから、事務所を出て行かない。

  1対9であっても、だよ。」

 

 「……。

  わかったわ。

  いままで、そうしてきたんだから。」

 

 「大丈夫だよ。

  違う形で還流はされるはずだから。」


 「……どういうこと?」

 

 核弾頭の話は、さすがにまだ早すぎるな。

 

 「あと、由奈と仲良くしてね。

  くれぐれも往復ビンタとかしないように。」

 

 「本当になんのこと?」

 

 やらかすんだよな。いろいろ。


*

 

 ふぅ……

 

 なんとか無事に、帰れましたよ。

 

 いやぁ、大変だった。

 機材、アナログすぎてぜんぶ手作業だし、

 エンベロープとか表示してくれる範囲が狭すぎるし。

 なるほど、一音入魂と言われたわけだ。

 

 まぁ、そのレベルでは全然なかったけどな。

 

 アレンジャー達には、さすがに沢埜啓哉は良く知れていたから、

 基本、啓哉風を意識して音色を調整して整音しつつ、

 ベースの曲調R&Bを踏まえながら、梨香の声のエッジを立てれば良いだけ。

 

 一応100%程度にはなったと思うが、

 沢埜啓哉が手掛ければ、130%くらいはいったんだろう。

 梨香の声の得意な音域な発音、リズムの癖を知り抜いている筈だからな。


 ま、2日間急ごしらえ、しかも自分がやったんじゃないわけだしなぁ。

 凝り始めたらキリがない。そっちのために俺はいるわけじゃないんだし。

 

 忘れておこう。

 それが一番だから。

 

 ともかく疲れた。なんせ、夜行バスだし。

 流石のストーカーも夜行バスに同乗はしてねぇだろうしな。

 

 ま、いいや。

 寝よねよ。

 

*



 「留守番電話は4件です。」

 

 わ。

 まぁまぁあるな。

 

 ぴーっ

 

 「あの、紗羽です。

  その、特に、用事、ってほどのことじゃないんだけど、

  吹き込んでいいって言うから……

  

  か、考えておくね、話すこと。」

 

 ぴーっ

 

 「三日月です。

  白鷺の件で、あなたにお話すべきことがあります。

  月曜日、必ず部屋にいらっしゃって下さい。」

 

 ぴーっ

 

 「梨香です。

  ふふ、番号、聞いちゃった。

  誰からかは内緒です。

  



  ……ありがとう。

  一杯、受け取ったから。

  



  ……あはは、おかしいね。

  話したいこと、いっぱいあったんだけど、

  こんなこと、私、なかったんだけ」


 ぴーっ

 

 「……由奈です。


  ……純一君、お元気でしょうか。

  

  わたしは毎日、いっぱいいっぱいです。

  テレビとラジオ、雑誌の取材、ファンの集いと、

  レッスンとレコーディングです。

  ありがたいことなんですけれどね。

  

  来週くらいに、たぶん、ちょっとだけ時間ができます。

  雛さんに聞いて下さい。

  

  ……終わったら、また、連絡できると思います。

  わたしは、大丈夫だ」


 ぴーっ


 ……

 

 情報量、地味に多かったな。

 

 まず、ジェニーの件。

 今日、絶対家にいろってのは、

 バイトの前にどっか行くなよって釘を刺したんだろう。

 

 と同時に、これは、梨香が、雛に、

 俺に関する情報をあげていないことを意味する。

 前々から思っていたが、この二人の間には、

 ちょっと懸隔がある。原因は分からないが。

 

 で、

 白鷺の件。

 

 これをわざわざ吹き込んできた、ということは、

 『事前に警戒しとけ』、って意味だろう。

 雛は無駄なことをしない。

 今日中に、雛が来る前に、なんかあるかもしれないわけだ。

 

 ただ、なんで俺なんだろという気はする。

 白鷺の狙いはマスターで、その先は塩屋一族だ。

 11月時点の藤原純一にアクションを取る理由が良く分からない。


 ……いや。

 いまはもう、早まっていると考えるべきだろう。

 ただ、それでも、1か月半くらいのはず。

 白鷺が本性を表すのは、早くても2月に入ってからだ。

 

 ……まぁ、白鷺楓花は二次創作のキャラだからな。

 評判含めてまったくよく分からない。

 こればっかりは出たトコ勝負にしかならんだろ。

 

 ……

 

 由奈、めちゃくちゃ落ちてたな。

 裏切り以外の忍耐力は高いはずだ。

 その忍耐力を超えるような何かがあったんだろうか。


 それにしても、留守録の時間すら拉致し続けるとは、

 いくらなんでも労働強度が高すぎるな。

 

 雛や梨香に確認したほうがいいのかもしれないが、

 いま下手にあの銀髪野郎を逆上させることが良いかどうかは分からない。

 なにしろ、原作の藤原純一をトレースしそこなうと、

 どんな逆ネジを喰らわされるか分からない。

 

 最後は排除するが、どのタイミングなら最良なのか。

 由奈に関しては、情報が無さ過ぎる。

 

 それよりも。

 

 ……あぁ。

 くるわ、これ。

 

 彼女が、あんなに弱々しい声を出しているのに、

 具体的なことが、なにもできない。

 

 こないわけ、ないだろっ……。

 

 原作だと、雛が由奈への回路をブロックし、

 純一が孤独で音をあげそうになるたびに、雛が純一を激しく犯していた。

 罪悪感を植え付けまくり、由奈に声をかけようとする行為を封じていた。

 この時点でよく発狂しなかったもんだ。

 

 せめてプレゼントを送ろうとアルバイトを入れ捲って指輪を買ったのに、

 最期はペ〇〇をドドドドドされて自殺されるんだもんなぁ……。

 哀しすぎるわ、藤原純一。

 

 今回、雛がそういうことをしてきても躱せはする。

 とはいえ、雛の忠誠心が向かう先は啓哉だ。

 あの銀髪嫌味野郎の言うことをは全部聞いている。

 由奈との関係は、啓哉を通じてしか、結ばれていない。

 

 ……ただ。

 

 (由奈さんは、私のです)

 

 ……やりようがあるのかもしれない。

 最後は核弾頭に頼るとしても、だ。

 

 それで言ったら。

 

 (知ってるんだよ、あの絵)

 

 衝撃的な話だった。

 

 原作では、梨香は啓哉にべったり依存していた。

 だから、啓哉に不利な情報を持っていたとしても、

 それを使う、という発想自体が無かった。

 

 原作で純一を連れまわして由奈と啓哉に見せつけても、

 それは、少なくともトレード以前では、

 啓哉に構ってほしい以上の動機はなかった。

 

 それが。

 

 (だったらもう、いいかなって。)


 (兄さんが怒り出すかもしれないけど、

  そしたら、もう、事務所、辞めようかなって。)

 

 完全に、兄離れできている。

 キラーチューン、『Fanfare of Fate』発売前段階で、だ。

 しかも、啓哉の編曲から外れようとすらしていた。

 

 いまの梨香は、啓哉の引力圏から、ほぼ、完全に外れている。

 トレードの話が出ても、痛痒すら感じないかもしれない。

 原作で言えば、梨香ルートの3月のレベルに、もう達してしまっている。


 いや、それ以上かもしれない。



 (……ありがとう。

  一杯、受け取ったから。)


  

 ……そこまで、鈍感には、なれない。


 『Fanfare of Fate』。

 下手なものは、作れなかった。

 

 分かり得るだけの、梨香を、思い出していた。

 母音ごとの声の癖、一番伸びる高さ、声のリズムとうねり、

 最初に逢った時の訝しむような表情。車の中で五時間話し込んだこと。


 喜ぶ時、悲しむ時、驚く時、がっかりする時、

 好きなこと、嫌いなこと、許せないこと、幸せを感じること、

 何かに取り組んでいる時の凜とした顔、困った時の顔、意外に抜けている素の顔。


 笑っている時の解けた顔。

 

 由奈が、啓哉に犯されたように、

 俺も、梨香を。

 

 ……そこまでじゃないにせよ、

 受け取られてしまっていることはあるだろう。

 

 裏切ってはいない。

 身体を、交わしてなどいない。

 

 ……由奈には、気づかれていない。

 いまの由奈は、情報源は雛しかない。

 梨香に、雛は、動向を完全にはあげていない。

 

 ……背徳感が凄まじい。

 なにかしたわけではないにも関わらず。

 

 ……あぁ。

 これが、この世界の引力なのか。



 浮気系鬱ゲーの歴史的記念碑、

 『Assorted Love』の。


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