第8話


 「御承知置きと思いますが、

  10月18日、由奈さんのデビューシングルが発売されます。

  それまでの間、せいぜい逢引を楽しんで下さい。」


 ふぅ。

 雛に対して精神的優位に立てていることだけは有難い。

 

 「そうですね。

  全国ツアーに廻られたら、手は出せませんから。」

 

 「……無知なあなたのためにお伝えして差し上げますが、

  ツアーは早くても来年2月以降、アルバム制作を終えてからです。」

 

 あぁ、そこは原作通りなのか。

 アルバムの製作スピードまで速まったわけではない。

 アルバムも出ないデビューシングルが、

 キャンペーンなしで、ああも売れるって言うのは。

 

 「……あなたは、本当にこの国で生きてこられたのですか。

  沢埜啓哉と、梨香兄妹が、どれほどの地位を築かれたかを、

  ご存知ないのですか。」

 

 「残念ながら、邦楽はあまり聴かないもので。

  この一点では、啓哉さんと、仲良くなれそうかと。」

 

 「……由奈さんの曲も、邦楽に入りますが?」

 

 「いえ。

  由奈の彼氏ですからね。聴かないと褒められない。」

 

 「……。」

 

 なんとも表現し難い無表情ぶり。

 色欲魔の頭の中なぞ見たくないが。


 ……要するに、俺の時代のNNaotoKKinuをでかくしたような存在なのだろう。

 ある一時代、NKファミリーの音楽が完全に席巻していた。


 極端に膨張したアイドル市場のスタンダードを作ってしまったオトコ。

 それがあの薄縁銀眼鏡精神病み口から嫌味吐き野郎なのだろう。

 

 だから、飽きてきて飽きてきてしょうがないんだろうな。

 シミュレーションゲームで、カネが余って、

 新規の投資先が無くなった時みたいな感じ。

 

 普通、そういうオトコは、日本なんぞに住まない。

 実際、NKはロサンゼルスの高級住宅街に居を構えていた。

 そういえば、沢埜啓哉も一頃ロンドンに住んでたんだっけな。

 そこでなんかヘンな絵を買い漁ったけど全部偽物で


 「……着きました。

  さっさと降りて下さい。」

  

 ……はは。

 なんだかんだいって、大学から家に送ってくれるのは助かる。

 学割定期はあるけど、電車は少し、遠回りだから。


 「あぁ。

  藤原さん。」

 

 「なんでしょう?」

 

 「あなたのご要望通り、

  共演者の口、一人、ので。

  ご報告です。」

 

 ……ぞわぁっ。

 なんてえげつねぇ目をしてやがったんだ。

 

 間違いない。あの女、捕食者プレデターだ。

 いっそジェニー・ヒナと呼んでやろうか。

 

*


 ふぅ。

 

 ……ほんっと、客、来ねぇ。

 電気代すら稼げてねぇだろうな。

 

 ま、でなきゃ、由奈も来られねぇ訳だけど。

 ……そろそろ、来る筈なんだが。

 

 からんからん

 

 「遅かったね。ゆ……」

 


 「こんばんは、純一君。」

 


 え。

 


 「……梨香、さん?」

 


 「そうよ。

  なぁに? 幽霊でも見たような顔して。」

 

 今日、来るなんて、聞いてない。

 まぁ、聞けるわけもないが。

 梨香のスケジュールなんて、把握できるわけないんだから。

 

 スマホがない時代は、事前連絡すらできない。

 だから、本当に予想もつかない突然が、ある。

 

 「アイスコーヒー。

  それと、こないだのチーズケーキ。」

 

 お客だ。

 お客である以上、お客として遇さないといけない。

 例え、お客が十人を切っていたとしても。


*


 「兄さん、来たんだって?」

 

 互いに筒抜けかよ。

 ここは21世紀で、GPSでもつけてるんじゃないか。

 

 「あはは。

  言ってたから、こないだ。

  純一君のこと、面白い青年だって。」

 

 青年、なんだよな。

 歳の差を殊更に強調してくる。

 ま、実際、それだけの差はあるわけだが。


 2020年代と違って、1980年代は、

 オトナであるほうが偉かった時代だ。


 少年少女であることは、無力であることであり、

 背伸びして大人の真似事をすることが流行った時代。

 40を超えて10代の服を着る現代とは、価値観が真逆だ。


 だから、沢埜梨香も、

 10代であるにも関わらず、オトナっぽく、

 ゴージャスに見える服装を選んでいる。

 

 だけど。


 「兄さん、私のこと、

  気に入らないって言ってなかった?」

 

 楽しそうだ。

 兄を出し抜いて喜ぶ、無邪気な子どものような笑顔だ。


 「もちろん、私だって、この世界長いのよ。

  兄さんの言いたいことは良く分かるわ。

  だから、テレビの入ってるところでは、

  私も演じ切ってるつもり。プロとしてね?」


 スイッチャーが目まぐるしく入れ替わるカメラ演出を踏まえて、

 世上に振りまいた幻想を、完璧に演じ切っている。


 「でも、伝わっちゃうかもね。

  兄さんの見えない、ディレクターも気づかないところで、

  私なりの表現をいろいろ試しちゃってるから。」


 悪戯がばれたように笑う梨香は、

 作られた天使像とは違っていて。


 それすらも、あの病みシスコンに気づかれている筈だ。

 面白がるよりも、苛立つだろう。

 ぜんぶ思い通りにやれば飽きる癖に。

 

 勝手なオトコだ。

 オトコとは、勝手なものだ。

 

 

 「だからね。」

 

 

 生気に満ちた華やかな藤色の瞳が、

 一ミリの場所に来るまで。

 甘い吐息が鼻に掛かる、その瞬間まで。

 

 俺は、

 を、

 予想、なんて。

 

 「……新しい、表現のカタチ。

  由奈には、内緒だよ。」

 

 そ。

 んな。

 

 馬鹿、な。

 

 避けなければいけなかった。

 だけど、想像もしていなかった。

 

 強制力の存在を、どこかで軽んじていた。

 逃げられている、外れられているだろうと。

 

 確かに、病的な依存こそ、していない。

 だけど。

 

 

 「……

  純一君、可愛い。」

 

 

 使なんて。

 


 からんからん

 


 「!?」

 


 「あ。

  由奈。どうしたの?」

  

 「ど、どうしたのって、梨香ちゃんこそ。」


 「あ、ココ? うん、たまに来るよ。

  移動と移動の間とか。

  時間潰しにちょうどいいかなって。」

  

 「そ、そうなんだ。

  ……。」

 

 見られた、ろうか。

 いや、そんなはずはない。

 

 甘く華やかな梨香の残り香が、微かに鼻腔を伝っていく。

 凄まじい背徳感が、背中を走り続ける。

 雛の毒牙から、逃れた筈なのに。

 

 「できたの?

  ファーストシングル。」


 いまを時めく希代の才媛の美声は、

 明るく、自然で、なんの躊躇いもなくて。

 

 「う、うん。

  それを、純一君にって。」

  


 「そう。おめでとう。

  これで、晴れて私の後輩。

  、かな?」


 

 「……うん。」

 

 「あはは。

  じゃ、わたしは御邪魔虫だね?

  またね、純一君。」

 

 クールに見せかけ、熱量を感じさせる笑顔。

 鳴り響くベルの音が、やけに乾いて聞こえる。

 

 変装もせずにネオンサイン溢れる街へと消えていく天使の後ろ姿を見つめながら、

 CDを持つ手を震わせている由奈の、

 袖口の不自然な揺らぎが、否応なく、目に入ってしまう。

 

 修羅場は、ずっと前から始まってしまっていた。

 まだ、本編すらはじまっていないのに。



浮気ゲーの主役に転生しちまった

序章


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