第5話


 「私に対する態度と、大分違うようですが?」

 

 「大切な彼女ですからね。

  違っていて当然でしょう。」

 

 「あなたの二重人格っぷりを、

  由奈さんにもお見せしたいものですが。」


 「あまり気にしないと思いますよ。」

 

 歯、ギリってしてやがる。

 コイツにはこれくらいでちょうどいいんだよ。

 

 「面会の時間、

  都合して頂きありがとうございます。」


 「……言っておきますが、

  こんなところで逢わせられるのは、いま時期だけです。

  デビューされたら、こうはいきません。」


 それはそう。

 なんだけど、デビューシングルがチャート番組の4位に入ってたのに、

 さっきの喫茶店とか、普通にいってたよね?

 あぁこれ、突っ込んだら負けなやつ。

  

 「承知しています。

  デビュー曲が売れたら、ですね。」

 

 「社長も私も、そのつもりですが。」

 

 「頼もしい限りですね。」

 

 「……あなたの狙いはなんですか。」


 「由奈の願いを叶えることです。

  彼氏として。」

 

 「……。

  仰っておられることが、

  真実であると、信じたいのですが。」

 

 「男は、身体で縛りつけて脅さなければ不安ですか。」


 「……っ。」

 

 そういう仕事の仕方をやってきたってことだろう。

 得意手が封じられて戸惑ってる。

 

 「そうやって余裕でいられるのも今のうちだけです。

  デビューしたら、逢う時間はどんどん減ります。

  あなたよりも優れた容姿のアイドルや俳優との仕事も増えますよ。」

 

 「そのために貴方がおられるのですよね?

  敏腕マネージャーさん。」

 

 「……っ。」

 

 このへんでやめておこう。

 まぁまぁ棒を連発で呑み続けたみたいな顔になってる。

 

 「その点でひとつ、お考え頂きたいことが。」

 

 「……なんですか。」

 

 「皆さんの努力の甲斐あって、由奈の容姿は、すっかり磨かれました。

  三日月さんが仰るように、男性アイドルや俳優との仕事も増えるでしょう。」

 

 「……。」

 

 「時には、事務所間の力関係を背景に、

  節度を越して、由奈の部屋に忍び込んでくる輩や、

  薬を使って言うことを聞かせようとする輩も出るでしょうね。」

 

 「……。」

 

 あるんだよ、原作では。

 そして元シスコンの闇兄とぶちあたり、

 激怒した闇兄が似あいもしない暴力で排除しようとするが、

 年齢差と体力差で返り討ちにあってしまい、その衝撃で耳が聞こえなくなる。

 

 そして精神がさらに病んで、ワインに毒を入れて死にきれなくて廃人になる。

 事務所は潰れて雛達は路頭に迷い、

 由奈は犯されたショックで純一と顔を合わせられず蒸発してしまう。

 でもって新潟の寒村の宿屋で暖房もつけずに凍死する。


 通称、佐渡エンド。

 「探さないで、探して。」


 絶対に、させるわけがない。

 

 だから。

 

 「予め、塞いでおいて頂けませんか。

  三日月さんの、の力で。」

 

 これこそが、毒を以て毒を制す。

 コイツを完全に敵に回さなかった理由だ。

 

 「……。

  あなたには、通じなかったようですが。」

 

 「僕には由奈がいますから。

  貴方は、十分すぎるほど魅力的な方ですよ。」

 

 「……あなたは、些か不用意な方ですね。

  他人事ながら、心配になりますよ。」

 

 「三日月さんにご心配頂けるなら、光栄の至りですね。」


 ストライプスーツ姿の三日月雛は、

 俺をギリっと睨みながら、二度、小さく首を振った。


*


 「……藤原純一君、よね。」

 

 来、た。

 予想より、ずっとはやく。

 

 奏太をはやく帰らせ、

 グラスを磨きまくって待った甲斐があった。

 おかげで使ってない奴までピカピカになっちまったが。

 

 「そうですが、貴方は?」

 

 知っている上で聞いている。

 答えてしまうとおかしなことになるから。

 なんせ。

 

 「……ふぅ。

  これで、分かるかしら。」

  

 変装してるつもりだったから。

 

 黒いグラサンと、まだ9月なのに長いコート。さぞかし暑いだろうと。

 この季節に、センスの塊のような彼女が

 この服装をしているのは、原作の強制力なのか。

 

 「……沢埜梨香さん、ですか。」

 

 「梨香でいいわ。

  ここ、本当にお客さんいないのね。

  大丈夫なのかしら?」

 

 口憚ることなく、思ったことを言う。

 トップアーティストとしての自信と、

 自分を潰そうとする周囲への叛逆心から。


 「道楽のような店ですからね。

  僕は、バイト代を頂けていますから、それで。」

 

 「あらそう。

  それはよかったわ。


  ……ねぇ。」

 

 「なんでしょう。」

 

 「注文、聞かないの?」

 

 ……あぁ。

 これ、原作通りだな。


*


 「……美味しい。」

 

 それはなにより。

 でも、ホントはタブーじゃないかな。

 現役アイドルが夜中に甘いものチーズケーキを食べるなんて。

 

 「局の周りって、あんまり美味しい店ってないの。

  仕出のお弁当とかも、冷えてたりして。」

 

 あぁ、それはテレビ局あるあるらしいな。

 原作で梨香が言ってた。

 

 って、いま、そのものだ。


 「兄さんったら、ひとりで美味しいもの食べてるのよ。

  接待だからしょうがない、とかなんとかいって。

  ずるいわ。ね、そう思わない?」

 

 黙って頷く。

 これも原作通り。

 やっぱり、二か月以上早く、このターンは来てしまったんだ。

 

 「……あの、さ。

  純一君、由奈の、彼氏なんだよね。」

 

 「はい。」

 

 だから、

 レストランじゃなくて、ここで、なんだ。

 

 「……その、言いにくいんだけど。」

 

 やっぱり。

 あの、自信に満ち、バランスの取れた梨香を見たのは、

 あれが、最初で、最後だった。

 

 「兄さんと由奈、ちょっと、おかしいの。」

 

 戸惑ってる。

 ずっと一緒に過ごしていた自分の兄が、

 自分以外の女性に、過度な関心を持つことが。

 

 「もちろん、レッスンなんだけれどもね。

  予定された時間より、ずっと長いの。

  一日や二日じゃないわ。ほとんど毎日。」

 

 俺は、黙って聞いている。

 不安を。戸惑いを。微かな怒りを。

 

 原作では、テレビ局のADとして沢埜啓哉と逢っていれば、

 この時の啓哉の気持ちが、断片的に示唆される。

 

 要するに、完璧に作った妹に、飽きてしまったのだ。

 新しい、自分で作り切ったものでない、

 未知で無垢の、無限に広がっていく由奈の才能に、

 圧倒され、溺れかかっている。

 

 それが、少し早まった。

 なぜかは、分からないが。

 

 原作では、梨香は純一をテレビ局のADとして連れまわす。

 その行為は全く意味不明だが、

 梨香の中では、淋しさを埋めるためと、啓哉や由奈に見せつけるためだ。

 それが、三人の亀裂と混乱をさらに深め、悲劇的な末路に繋がっていく。


 「もちろん、仕事よ? 分かってる。

  いまが大事な時だって言うくらい。」


 このセリフは12月、クリスマスライブ前の筈なのだ。

 明らかに、イベントのタイムスケジュールは早まっている。

 

 仕方、ない。

 その時のために、取っておいたのだが。

 

 「啓哉さんには、新鮮なのでしょうね。

  由奈が。」


 「新鮮……。」


 原作では、無知な純一は、梨香に何も指し示すことはできず、

 ただ話を聞き流すだけで、梨香を、何も、支えられなかった。

 すべてを喪った梨香の隣でオロオロしながら立ち止まり、

 身体を預けてくる梨香を許し、受け入れるだけの男娼だった。


 ここは、突破口だ。

 袋小路に向かう三人を食い止められる、ターニングポイントだ。

 

 「僕にも、少し分かります。

  由奈に、啓哉さんが夢中になる理由が。」

 

 「……そう。」

 

 原作の純一は、何も分からない。

 由奈に歌手として、表現者としての天稟の才があることを。

 純白な、何も知らない広大無辺に広がるキャンパスに、

 己の刻印を書き記していくことの喜びを。


 「……だったら、

  貴方は、それでいいの?」


 「そうですね……。」

 

 ここは、間違えられない。

 

 「梨香さんの言葉をお借りするならば、

  それが、由奈の選んだお仕事です。」

 

 「……。」

 

 「啓哉さんにしか知らない由奈が出てくるでしょうが、

  きっと、由奈は、僕にそれを伝えてくれるでしょう。

  伝えてくれなくても、啓哉さんの知らない、

  誰も知らない由奈を、僕は知っている。

  

  お仕事の由奈は、啓哉さんに差し上げますよ。

  それが由奈の、望みですから。」

 

 原作の純一は、そんな風には割り切れない。

 自分の彼女が、遠く離れていくことへの

 焦りと、後悔に打ち震え、多くの女性を道ずれに破滅していく。

 

 割り切ってしまえるなら。

 そして、由奈の不器用で分かりにくい一途さを信じてしまえるなら。

 

 「……。

 

  私は、そんな風には、考えられないわ。

  私にとって、兄さんは、全て。」

 

 過去形、だ。

 予想より、ずっと早く、分かってしまっている。

 

 それは、そうだ。

 沢埜梨香は、天才だ。

 中途半端な才人である柏木彩音を、無自覚に容赦なく摩滅させるような。


 分からないわけはない。

 自分が置かれてしまった立場を。

 兄の寵愛が、自分から離れていくことを。

 

 それが、少し、早まっている。

 

 「私は、兄さんのロボットだった。

  何もかも、兄さんの言う通り、やってきたわ。

  兄さんの、私の、復讐のために。」

 

 派手な容姿に浮かべる峻烈な表情。

 なるほど、マネージャーが居つかないだけのことはある。

 人に厳しく、自分には更に厳しく。


 ってか、この台詞、年末に入ってからじゃないか?

 どこまで早まってるんだ?



 「……怖いの。

  私には、なにも残っていない。

  由奈には、兄さんがいて、貴方がいるのに。


  ……気づいたら、私には、何も。」

 


 え。

 もう?

 

 これ、中盤末期に、テレビ局の自販機の前で、

 嫌味製造機の兄に酷いことを言われた後の、

 重要な台詞じゃないか?

 

 「……なんてね?

  ちょっと、忙しすぎたのかな?

  聞き流して頂戴。」

 

 ここで、原作の純一は、当然、聞き流してしまう。

 梨香の雰囲気に、圧倒されて。

 

 それだと、破滅の道なんだよ。

 

 帰り支度をはじめようとする梨香を、手で、軽く圧しとどめる。

 梨香は、小さく驚いた顔を浮かべる。

 

 凛とした眉、甘く輝く唇、丸みを帯びた瞼、

 しゅっと伸びた鼻筋、少し長い睫毛に、藤色に大きく輝く瞳。


 本当に、なにもかも、隙なく整えている。

 芸能人として、理想的な武装だ。


 「……一字一句、なにもかも、

  全て、従って来られたのですか。」

 

 「……?」

 

 「お兄さんの知らない沢埜梨香を、

  貴方は、見せないようにしてきただけではありませんか?」

 

 そうなのだ。

 原作での梨香は、舞台芸術や文学に通暁している。

 その全てが、兄の趣味と一致しているとは、とても思えない。

 

 「っ……。」

 

 「仮にお兄さんの紹介であったとしても、

  貴方の脳も、貴方の身体も、貴方のものです。


  仮に知識のありかを伝えられたとしても、

  それをどう受取り、どう咀嚼し、どう血肉にし、

  何を読み取り、何を得ようとするか。


  仮に、解釈の方向を指し示されたとしてすら、です。

  芸術は、人々が思うよりも、ずっと自由なのでは?」

 

 柏木彩音とデュエットさせられた時に、

 彩音の外れた音程を好意的に解釈した梨香自身の台詞を、

 そのまま投げ返す。

 

 「……純一君、君って……。」

 

 やべ。

 ここまで、突っ込んでいい話でもなかった。

 

 「……あぁ、失礼。

  当代一流のアーティストを前に、

  顔から火が出そうですね。」

 

 「……ううん。

  私なんて、ただのアイドル。

  兄さんに作られただけの、どこにでもある偶像。」

 

 「であれば、誰でもなれるわけですよね。

  そうはなっていないでしょう。

  それに、啓哉さんの声でも、身体でもない。」

 

 「……。」


 「貴方には、貴方だけにできる表現の仕方がある。

  それを人前にどう出すかはともかく、それがあることを、

  この国の文化芸術の第一線で戦い続けてきた貴方の偉大さを、

  貴方自身が認めれば良いだけでしょう。

  啓哉さんではなく、貴方ご自身が。」


 「……。」

 

 つまるところ、依存させなければいい。

 あの精神病みのブラックホールの影響範囲から、

 切り離してしまえばいい。


 沢埜梨香には、それができる。

 類まれなる才能と、ストイックな努力が生み出した蓄積の発露を、

 阻まなければいいだけなのだから。

 

 「女優さんなんてどうでしょう。

  啓哉さん、手出ししにくいと思いますが。」

 

 「ぷっ。

  

  ……あはは。

  あははははは。

  そうね、いいかもしれない。」

 

 よかった。

 解放、されてくれた。

 

 もちろん、事務所に帰れば、あの闇兄の引力圏に戻る。

 この程度の言葉など消されてしまうような、

 あのねっとりした目線と、嫌味な台詞の数々。

 

 ただ、時間は、稼げる。

 たとえそれが、来るべき破滅を、

 ほんの少しだけ引き延ばすに過ぎなくても。

 

 「ね、純一君。」

 

 「なんでしょうか。」

 

 「君、同い年なんでしょ?

  敬語なんて要らないよ。」

 

 「しかし。」

 

 「由奈に悪いの?」


 ん?

 なんか、おかしな雰囲気になってないか?

 依存、させないようにしたのに。

 

 「あはは。

  じゃね、また来るから。」


 そう言って、手早く帰り支度を始めた梨香は、

 ご丁寧にサングラスまで入念に変装し、

 店のドアを左手で開けた。

 

 「純一君。」

 

 掛けたサングラスを、少しだけ下げた梨香は、

 


 「ありがとっ。」



 人の心を奪う、圧倒的な存在感の笑顔を振りまいて、

 俺の前から去って行った。

 

 ふぅ……。

 ひとまず、よかったんだ、よな?

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