大勝利

 今日は中国人のヘルパーが掃除する様だ。

 この人以外にここには味方は居ないのかな・・・。

 ヘルパーの仕事の邪魔を極力しない様に気を付けながら、楽しくお話ししていると、ふと、妙案が浮かんだ。

 「あの、大きめの一枚の紙が欲しいんですけど。

お願いできませんか?

あと、それを壁に貼り付けたいので、セロテープを短く、二枚下さい。」

 「アー。

いいヨ。

ちょっとまって。」

 期待しつつ待っていると、大きめの白い紙とセロテープを持ってきた。

 「やった!

ありがとう!」

 「何ニするの?」

 私は白い紙を鉄の扉の内側にセロテープでもって、貼り付ける。

 「なあに?

コレ?」

「あのね?

これに表を書くの。

看護師の誰が何の当番をやったか、チェック入れてもらうのよ!」

 「ふうん?

イイコト?」

 「多分すごくいい事!」

 「アナタ笑顔になったネ。

イイコトはやって来るネ。」

 「うん?」

 ちょっと何言っているのか良くわからないけど中国の風習とかかな?

 でも、ヘルパーが今までに無い笑顔をしているのはわかった。

 何の裏も無い、本当の笑顔を見たと思った。

 その輝きに私も嬉しくなる。

 嬉しい。

 それは久しぶりの感情だった・・・。


 その後、ヘルパーに筆記用具も頼んだ。

 しかし、先が尖っていて危ないからと、こちらは断られる。

 仕方ない。

 何もかもを急がず、少しずつ、やっていこう。

と焦りを押さえた。

 ヘルパーがいつもの自分の手帳に、掃除の項目のチェックを入れていると、ポロッと、赤い色鉛筆の芯の先っぽが欠けて落ちた。

 「あ・・・。」

 私はとっさに落ちた芯を拾って枕の下に隠す。

 ヘルパーはお構いなしに、チェックを入れ終えた。

 「ジャア、また来るネ。」

 ヘルパーが爽やかな笑顔で、掃除用具一式を持って出て行った。

 ・・・赤い芯を落として気がつかないのは、お間抜けさんかな・・・?

 それとも?


 ヘルパーが鉄の扉の向こうに消えるのを確認して、枕の下から赤い芯の先っぽを取り出した。

 鉄の扉の内側に貼った白い紙に慎重に表を書いていく・・・。


 その日の夜。

 歯磨きの時間になったと思った。

 看護師二人組が牢屋の鉄の扉の前を通る時だけがチャンスだった。

 扉のすぐ内側で気配を殺し、今か今かと静かに待ち受ける。

 時間が全くわからず、待ち時間はひどく長く感じられた。

 静けさの中から、その時がやって来た。

 看護師二人組が、何かおしゃべりしながら近づいて来る。

 私は大声を張り上げた。

 「歯磨きのチェックが扉の内側に有るよ!

しないとばれるよ!」

 看護師達が訝しげに言い合う。

 「何か言ってるよ?」

 「扉の内側?」

 「どういう意味?」

 看護師が鉄の扉を開けた。

 「ほら、これ見て。

今日から歯磨きを私にさせたら、この表に判子や名前を書いて。」

 看護師達が扉の内側を見て慌てた。

 「何これ!」

 「絶対書かないから!」

 「やだ、何してくれてるの!」

 私は冷静に言う。

 「書かないと歯磨きさせてない事になります。」

 「今から歯磨きさせるし、書きません!」

 「ちょっと、これどうにかしなきゃ。」

 「歯磨きに来なさい!」


 その日の夜は歯磨き出来た。

 しかし、赤い表には何も書かれず、空欄のままだった。


 次の日、昼日中に鉄の扉の向こうの遠くから、ざわめきが近付いてきた。

 何?

 鉄の扉が開き、今までに無い人数が入ってきた。

 何が起きたの?

 入ってきたのは看護師が六人に医師が一人。

 その内、医師が口を開いた。

 「三好さん、あなたの担当医の内海です。」

 ああ、ここへ来て、初めての自己紹介を聞いた。

 太り気味のおばさんの看護師が小さく言った。

 「赤い表を。」

 内海医師が言う。

 「この表は取り除かせていただきます。」

 私はあらがう。

 「看護師が私に歯磨きをさせないんです。

その表が無いと、このままいつまでも歯磨きさせてくれないでしょう。」

 「三好さんに歯磨きをさせるのは私が保証します。」

 内海医師がそう答えながら、自分で鉄の扉の内側の赤い表が書いてある紙を外す。

 セロテープ二枚だけで付いている紙はあっさりと取れた。

 「時計。」

 内海医師が指示する。

 看護師の一人が牢屋から出て行き、やがてアクリル板の方の廊下から見えた。

 その手には、取られた時計が抱えられている。

 看護師が時計を元のところへ戻した。

 「その時計を持って行ったのは誰なんですか!」

 私は憤慨する。

 「わかりません。」

 内海医師は静かに、だが有無を言わせない様子で言う。

 そして、そのまま、全員ぞろぞろと牢屋から出て行った。


 大勝利だった。

 ほんとにもうスカッとして気分が良い!

 胸のすく思い。

 内海とか言う医師も看護師達も皆、神妙な顔して、かしこまっていた。

 時計は戻ってきた。

 歯磨きもこれからはちゃんと出来るだろう。

 私は上機嫌で時計を眺めた。

 時計を見る事しか趣味は得られなかったが、それでも無いよりはましだった。

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