第12話

 久しぶりに会った両親の顔は、七年の歳月を感じさせないほどに変わっておらず、しかし記憶よりいくらか痩せたように見えた。マリーは散々抱き合い、涙と笑顔を交わしあったあと、胸元で輝く橙色のカモミールのバッヂを見せびらかした。

「ようやく下位になれたんだな」

「二年連続で落ちたと聞いた時には、もうダメかと思いましたのに」

「ひどいなあ」

 だけどここが出発点だから、と勇んで笑うと、両親も笑顔を返してくれた。

 試験から二日後の〈獅子〉拠点。陽が落ちた頃、一階ではマリーの下位精霊士昇格祝いが行われていた。

 こんがり焼いた牛肉ステーキ、花のように艶やかに盛られた蒸し野菜、リゾット詰めのローストチキン。刻んだキャベツとブロッコリー、トマトと茹で卵のサラダにはアルベールお手製のチーズソースがかかっている。その他様々な料理が並べられたテーブルを囲むのは、〈獅子〉の三人と、マリーの両親だ。二人は今朝がたペルレに到着し、先ほどまでマリーが案内をしていた。ちなみに精霊三人はいつも通り屋根の上で周辺を監視している。

「しかし、試験自体は中止になったんだろう?」

 向かい側に座る父の問いに、マリーはこっくりとうなずいた。父の隣にいる母は「まあ」と口元を手で覆う。

 受験生や審査員の大半が気絶し、未知の魔獣が出たこともあって、試験はやむを得ず中止が決定された。マリーが下位に昇格したのは、特例中の特例と言える。

 十羽もの鷹魔獣を捕獲して浄化しただけでなく、未知の魔獣すらたった一人で打ち倒し、襲いくる呪いすら浄化したと判断されたのである。マリーはいまだに呪いから助かった理由がよく分かっていないのだが、〈鹿ヒルシェ〉の団長がいたく感激し、特別に昇格させてくれたのだ。

 もちろん初めは固辞した。自分一人だけ昇格なんて申し訳ないと。しかし「いいから受け取れ」と半ば無理やりバッジを押し付けられ、受け取らざるを得なかった。

 思わぬ形で手にした昇格で複雑ではあるが、嬉しいことに変わりはない。マリー以上に喜んだのが、右隣に腰かけるサシャだった。「これで団を明け渡さずに済む!」と。

 アレクサンダーとは、喧嘩を売ったあの日以降会っていない。会いたくもないが、試験が中止になった中でマリーだけ昇格した以上、近々接触しに来てもおかしくない。

「半鷲半獅子の魔獣がどこから紛れ込んだのかとか、気絶した原因だとかはまだ調査中だけど、それはシャムや〈鹿〉の人たちが解明してくれると思うよ」

 左隣のアルベールがたっぷりと肥えた鶏肉を切り分けてくれた。中に詰め込まれていた刻み野菜やリゾットがほろほろと皿に広がる。ふうわりとハーブの香りもし、マリーの頬が緩んだ。

「食材は全部、村の人たちからのお祝いだよ」

「そうなんですか?」

「明日にでも礼を言いに行けよ」

 様々な人が自分を祝福してくれているのだと実感し、マリーは目頭が熱くなった。

 両親にはこれまでの訓練や他愛ない日常を話したり話されたり、久しぶりに家族で話が出来た。時々サシャやアルベールに茶々を入れられ、楽しい時間が過ぎていく。

 デザートにはイチゴのタルトが出された。マリーの前に置かれたそれは、自分の顔より大きかった。いつもはこの三分の一くらいなのに。一人で食べていいのかと訊ねると、アルベールにウインクをされた。

 サシャたちにはマリーと同じタルトを四分割したものが出された。さらにアルベールは、祝いの品にあったという赤ワインを全員に注いだ。宝石のように輝く色合いが実に美しい。マリーは少しだけワインに口を付け、味わったことのない芳醇さに目を剥いた。

 タルトが半分に減った頃、マリーは長年気になっていたことを父に問うた。

「下位に昇格したら、話してくれる約束だったよね」

 七年前、屋敷が襲われた時に不審者が言ったという「狼を探し出せ」。父は一瞬だけ渋るように目を伏せたが、髪が薄くなった頭を撫でてため息をついた。

「……我がヘルト家の初代当主が誰かは知っているな?」

「ええ」

 屋敷には滅多に使われない舞踏室があり、壁にひっそりと飾られていた肖像画がある。武人らしく鎧を纏い、マリーと同じくすんだ金髪を後ろに流した勇ましい男性だった。

 建国の歴史で語られる「七大魔獣」を掃討した一人、アルデラミン・ヘルト。彼こそペルレの教会に眠る英雄その人であり、ヘルト家の初代当主である。

 アルデラミンや〈鹿〉団長の先祖を含む四人の英雄は、七大魔獣を掃討後、爵位と土地が与えられたとフランが読んでくれた本にあったはずだ。

「しかし、彼は他の三人や多くの精霊士からは白い目を向けられた。三人は公爵位を手にしたのに、アルデラミンだけは子爵だった。なぜか分かるか?」

 父の声色が低くなる。マリーは首を横に振ったが、恐らく悪い理由があるのだろうと見当をつけた。

 いつの間にか、マリーだけでなくサシャはアルベールも真剣な顔をして話を聞いている。今さらながら席を外してもらわなくて良かったのだろうか、と思ったが、父はむしろ聞いてほしいようだった。

「彼は確かに七大魔獣掃討に貢献した。しかし、ただ一体だけ、倒さなかったんだ」

「……倒せなかった、ではなく、倒さなかった、ですか」

「意図的だってのか」

「だけど、それが『狼を探し出せ』となんの関係があるの?」

「マリー、七大魔獣が何だったか、知っている?」

 母に尋ねられ、マリーは指を折りながら順に答えていった。

「獅子、狼、蛇、熊、狐、豚、蠍……」

 もしかして、とアルベールが掠れた声を上げる。「倒さなかったのは、狼ですか? ヘルト家の紋章にもなっている」

「ええ。そうです。アルデラミンは狼を……『憤怒の狼』を、従えたんです」

「なんだと?」

 アルデラミンは武芸に秀でていたと伝承が残っている。彼の剛勇さに憧れて精霊士になったというサシャは、跳び上がらんばかりの勢いで立ち上がった。

「馬鹿なと思うのも分かります。何せ、余計な混乱を招くべからずと箝口令が敷かれたそうですから。かの伝説を記した書にもその旨は載っていません。ですが代々ヘルト家当主に受け継がれてきた文献には、確かに記してあるのです」

 六体は確かに掃討したのに、ただ一体だけ己のものとして従えたとすれば、精霊士や国王から「憎い敵を服従させた」と恐れられ、恨まれたに違いない。それどころか、反乱の意図があるのではと粛清されてもおかしくないはずだ。

 しかし、他三人と爵位や土地の広さを区別されるだけに留められた。

 曲がりなりにも七大魔獣に貢献したことは確かで、彼を慕う民も少なからずいた。そんな中で粛清したとなれば、ようやく安定した国が再び荒れる可能性がある。当時の王はそう考えたのだろう。

「アルデラミンが狼を信頼していたというのは、我が家の紋章を見ても分かる。狼も彼や彼の精霊と共に過ごしたともある。そして彼の死後も、狼はしばらくヘルト家から輩出される精霊士に陰ながら従ったらしい」

 しかし時が流れ、徐々にアルデラミンほどの力量を持つ精霊士が現れなくなり、ついにヘルト家から精霊士は消えた。

「それじゃあ、狼も……?」

「いや、狼はヘルト家を離れなかった……らしい」

 どういうことだろう。尋ねようと身を乗り出すと、くらりと頭が痛んだ。

「狼は、『己が認めた者のみに力を貸す』と言い残して消えた。それから何百年、狼の姿を見た者はいなかった。……我々を襲った何者かは、その狼を捜しているんだろう」

 けれど一般的な歴史書では狼は掃討されたことになっているのだ。アルデラミンが手に入れた事実は当時を生きた者と、代々受け継いできたヘルト家しか知らないはず。マリーが頭痛を堪えながら考えていると、先に予想を述べたのはサシャだった。

「七大魔獣を生み出したのは、当時の王弟だったな? そいつや、そいつの関係者は処刑されたらしいが……その中の生き残りがいたとしたら」

「ありえない話じゃないね。むしろ可能性としてはそれが一番高いと思う」

「でも、お父さま。どうしてそんな大事な話を、今まで黙ってたのよ」

「お前がまだ子どもだったからだ」

 初代当主と狼についてヘルト家の人間が知るのは、成年を迎える十八歳の時だという。慣習を早め、マリーが下位精霊士になってからと決めたのは、あくまで伝説でしかなかった狼と、それを狙う者の存在が現実味を帯びてきたからだと父は言った。

 話はこれだけだと言うように父は口を噤む。しかし、マリーにはまだ何かを隠しているような気がしてならなかった。

「お父さま、今『狼の姿を見た者はいなかった』って言ったわよね」

 いない――ではなくて、いなかった。

「……お父さま、もしかして」

 七大魔獣と恐れられた狼を、見たの?

 だとしたら、その狼は今どこにいるのか。父は行方を知っているのか。次々に疑問が湧いて出る。

 マリーの声なき問いに父は答えない。詰め寄ろうと腰を浮かせた時だった。

「っ……」

 急に頭痛が激しくなった。咄嗟にテーブルに手を突いたが、脚に力が入らなくなって膝をついてしまう。両親やアルベールに名前を呼ばれたが、返事をする間もなく、マリーの意識が遠のいていった。


 ひんやりと心地よい冷たさを感じ、マリーは目を開けた。辺りはほのかに明るい。ロウソクが灯されているようだ。段々目が慣れてきて、自室のベッドに寝かされているのだと分かった。曇っているのか、窓の外の夜空に月はない。

「起きたか」

 隣から声をかけられて目を向けると、ベッドのそばに腰かけるフランと目が合った。かすかに蒼く輝いて見える黒髪の下には呆れ顔が浮かんでいる。ひたいから感じていた冷たさは彼の手だ。熱を測っていたらしい。

「あれ、私……」

「酔っぱらって倒れたってサシャから聞いた。起きるまで看病を頼むとも」

 どうやらデザートの時に口を付けたワインで酔ってしまったようだ。そんなに量を飲んだつもりはなかったのに。

「お父さまたちは?」

「主役がぶっ倒れたんだ。その時点で宴会はお開きになってる」

 マリーを部屋まで運んだのはアルベール、寝間着に着替えさせたのはサシャだという。明日の朝にでもお礼を言わなければ。サシャにはぶつぶつと文句を言われるだろう。

「水、飲むか?」

「欲しい」

 ちょうど喉が渇いていたところだ。身を起こしてフランからコップを受け取る。二杯分飲み干すと、頭も視界も明瞭になった。

「倒れたって聞いた時は焦ったぞ。試験の時の魔力に影響を受けたんじゃないかって」

「大丈夫よ。特に異常ないし」

 試験で未知の魔獣を倒して、魔力に包み込まれてから、体調不良など異常は起こっていない。フランが毎日心配そうに尋ねてくるので、マリーもそのたびに問題がないと笑顔で返していた。

 大怪我が治った理由が分かっていないのも、フランに懸念を抱かせているのだろう。サシャ達にも報告したが、前例がないため分からないと首を振られている。

「……大丈夫なら、いいんだ」

 フランの手が気遣わしげにマリーの頬を撫でる。緋色の瞳は、今にも泣きそうに潤んでいた。

 試験の時も散々不安にさせた。引くべきだと言われたのに立ち向かい、結果的には治癒していたものの、骨折や打撲を負った。マリーは彼の手に自分のそれを沿え、包み込むように柔らかく撫でた。「心配ばっかりかけてごめんね。ありがとう」

 次の瞬間、マリーの体が勢いよく引かれた。

「え」と驚く間もなく、今度は頬が固い何かに押し付けられる。耳元を吐息が掠めてから、ようやくフランに抱きしめられているのだと気が付いた。

 マリーが石のように硬直してしまっているのを、彼は拒絶されているのだと感じたらしい。

「……嫌だったら悪い。押しのけてくれ」

「お、驚いただけ。嫌じゃない」

 恐る恐る背中に手を回し、あやすように摩ってみる。心臓がどくどくと普段より早く脈打つ。密着していて、フランに伝わっていないか心配だった。

 不思議だ。彼に体温はないから冷たいはずなのに、抱きしめてくる腕は温かい。マリーをいたわっているのか、フランはまるで触れれば砕け散ってしまうガラスに指を沿わせるように頭を撫でてくれた。

 突然どうしたの、と訊ねるより先に、フランが口を開いた。

「どんな人間だったか、話す約束だったな」

「……うん。あ、でも話したくなかったら無理に話さなくても」

「聞いてほしい。頼む」

 彼はマリーを解放しようとしない。手放したくないのか、それとも離れて顔を見られるのが嫌なのか、はたまた別の理由か。マリーがフランの腕の中でうなずくと、少しだけ抱きしめてくる力が和らいだ。

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