第11話

「……あれって、倒したらどれくらい得点入ると思う?」

「分からないが……おい、まさか」

「どういう理屈か知らないけど、鷲の体に獅子がくっついてるって考えていいのよね? 角は折るとして、あとは飛べなくなるように翼を切るべきか、二つの体を分断するべきか、それを悩んでるの」

「無茶だ!」挑戦する気満々のマリーを諌めようと、フランが怪我に気を遣いつつ肩を掴んでくる。「今まで見たことも無い魔獣なんだぞ! 弱点だって分からない!」

「みんな見たことが無かっただけで、ずっと存在してたのかも知れない。弱点だって、誰かが倒してみないと永遠に分からないままでしょ? 私が勝てるかも、ね」

 挑戦してみて分かることって、あると思うのよ。マリーは勝気な笑みを浮かべて立ち上がり、頭上の魔獣を睨みつけた。

「石に戻って、フラン。何もやらずに逃げたら、それこそ師匠に怒られちゃう」

「普段と状況が違いすぎるんだぞ。第一、マリーだって怪我を」

「これくらい怪我に入らないわ。いいから、早く」

 フランは躊躇うように目を伏せたが、覚悟が決まったらしい。指示通り石に戻ると、『これ以上は死ぬと判断したら逃げさせるからな』と釘を刺さしてきた。

「大丈夫。無理はしないつもりだから!」

 軽やかに言い切り、マリーは駆け出した。反応した魔獣が、後ろ足でこちらを捕えようと勢いよく下降してくる。羽ばたきが無くなったぶん少しだけ身動きが取りやすくなり、マリーはギリギリまで引きつけてから、剣で地面を叩き、攻撃される間際に身をかわした。

 魔獣が着地すると同時に、地表がぐんと盛り上がって前足に絡みつく。逃げられないようにしっかりと拘束したのを確認してから、マリーは翼に狙いを定めて立ち上がった。しかし魔獣は逃げようと翼をめちゃくちゃに動かし、そのたびに塊のような風に襲われる。翼自体もかなり重そうで、叩きつけられたらひとたまりもないだろう。

 とはいえ、せっかく拘束できたし、近くにいるのだ。千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。怯むまいと唇を噛んだ。

 ――とにかく、魔力マナを吸収されないように角を折らないと。

 決めてからの行動は早かった。土の柱で自分の体を押し上げ、素早く魔獣の頭上に舞う。黄金色の眼球が勇ましい顔は、マリーの身長より大きいだろうか。いっそのこと首を断ってしまえば楽かとは思ったが、呪いが発動してはたまらない。

 角が目前に迫る。柄を強く握り直したところで、魔獣が吠えた。

「っ……!」

 耳を塞ぐ間も無かった。マリーは一瞬意識が飛び、その隙に魔獣を拘束していた地面が緩んでしまった。自由を取り戻した魔獣は前脚を上げ、マリーの体を横から叩いた。

 声にならない呻きと、肺に残っていた空気が全て吐き出される。受け身を取る前に近くの木に叩きつけられ、同時にどこかの骨が折れる音がした。そのまま力なく、重力に任せて地面に落下していく。またしてもフランに受け止められた。

「マリー? マリー、大丈夫か!」

「大丈夫に見える……?」

 唸るように答えると、口の中を切ったのか、鉄くさい味が舌に広がる。

 魔獣は興奮したように何度も吠え、マリーを睨みつけている。次の瞬間、竜巻に似た風が襲い掛かってきた。逃げるべく腰を浮かせたが、右脚と胸が激しく痛んだ。折れた骨はそこか。仕方なく、マリーは土の壁を作り上げ、自分とフランを完全に覆った。直後、光のない真っ暗闇に風がぶつかる音が響いた。

 しばらくはこのまま耐えるしかない。マリーが胸の痛みに呻くと、フランに苦言を呈された。

「撤退するべきだ。殺されるところだったんだぞ!」

「……ごめん。だけど」

「試験が大事なのは分かる。団の未来だってかかってるしな。けど、今回の魔獣は絶対に普通じゃない。異常事態だ! 浄化どころか捕獲も難しいし、第一得点になるかどうか」

「だけど、やらなきゃいけないの!」

 魔獣が壁を壊そうとしているらしい。けたたましい音が断続的に二人を襲う。

 マリーは剣を杖代わりに、ふらつく脚で立ち上がった。

「理由はさておいて、あの魔獣に狙われてるのは私でしょ? つまり、同じものが二体いないなら、他の人が襲われてる可能性は低い。もしいたずらに逃げたりしたら、被害が私だけに留まらないと思うの」

「……だから、お前があれを討つのか。逃げた先で誰かが助けてくれるかも知れないのに?」

「言い返せないなあ」

 びし、と壁に亀裂が走った。

「でも、助けてくれる誰かが襲われたら? 未知の魔獣に対応しきれなくて、私みたいな見習いや下位は……もしかしたら上位だって無傷じゃすまない。だから私がここで捕まえるの」

「何もお前一人で背負い込むことじゃないだろ! 助けを求めるのは悪じゃない」

「うん、結局は、私の自己満足」

 私自身の力で、あいつをぶっ倒したいだけ。

 暗闇でお互いの顔などほとんど見えない。しかしマリーは目いっぱい、力強い笑みを浮かべてみせた。

「無茶だし、止めろって言うのも分かるわ。実際、骨折れてるし、一つでも間違えれば死ぬと思う。それでも、お願いフラン。私と一緒に戦ってほしい」

 彼は答えに迷っているようだった。しばらく魔獣が壁を叩く音と、壁の亀裂が広がる音だけがしていた。

 やがてフランは長いため息をついた後、マリーの手を握った。「……折れた骨が臓器に刺さると危ない。これ以上は無理だと思ったら――そもそも動けてる方が不思議なんだし――お前が抵抗しようと逃げるからな。それに、魔力が濃くなったら……」

「え? なに?」

 最後の方が口籠っていて聞こえにくかった。聞き返すと、「なんでもない」とはぐらかしたまま、彼は石に戻っていった。

「なによ、もう」

 この間からフランの様子が微妙におかしい。帰ったら絶対に問い質してやると決めた。

 さて、とマリーは控えめに深呼吸をした。今は痛む体を剣で支えているが、動き出したらそうもいかない。痛みを堪えて戦うと決めたのだ。

 目を閉じ、サシャやアルベールの顔を思い浮かべた。技術というかたちでそばにいると叫ぶ声も蘇る。

 がつん、と一際大きな音と共に、壁の一部が崩落してきた。前脚の鋭い爪が頬のそばでぬらりと輝く。決意した直後に危うく刺さる所だった。

 爪が抜かれ、ぽっかりと歪な穴が残された。迂闊に顔を出せば間違いなく無傷では済まない。魔獣の様子が窺えない以上、むやみやたらに土を操るのも避けたい。

 考えあぐねていると、がつんがつんと連続して音が響いた。穴が開いたところから嘴を突っ込もうとしているらしい。マリーは逃げ場のない空間で出来るだけ端に避け、直撃しないようにした。

 嘴が壁をつつくにつれて崩壊が激しくなってくる。それと同時に、魔獣が攻撃を仕掛けてくるタイミングを掴みかける。壁をつついて、顔を上げて、再びつつく。その間およそ五秒。

 マリーは柄を強く握りこみ、時機を待った。焦ってはいけない。冷静になれと何度も言い聞かせる。

 嘴が穴から突入してきた、次の瞬間。

 まるで獣のような咆哮を上げながら、マリーは剣を突き上げた。

 魔獣の嘴が、一瞬で貫かれた。

 想像していたよりも軽い感触がした。躊躇わずに深く突き進めると、魔獣が喉の奥で雷鳴のような呻き声を上げる。

「まだ……!」

 鍔の石が橙色に光ったあと、剣身も同じ輝きに包まれた。陽光に似たそれはやがて嘴を包み込み、穿たれた傷から魔獣の体内に入り込んでいく。

 魔力マナを求める魔獣にとって神力イラは毒だ。普段は体に負担がかからないよう気絶させてから神力を注いでいるが、今のマリーに余裕はない。例え負担をかけようと、少しでも神力を与えて弱体化させたかった。

 頃合いを見計らって剣を引き抜く。傷口から溢れた神力が火花のようにちらちらと舞った。

 魔獣が後ずさっていく。マリーはすかさず壁から飛び出し、土の柱で体を押し上げながら魔獣の顔あたりまで跳んだ。骨折や打撲した箇所が激しく痛んだが気にしていられない。剣を両手で握り、勢いよく角を叩き折った。

 大木がへし折れたと思うほどの破壊音があたりに響く。次いで魔獣の落雷じみた咆哮が木々を揺らした。一方マリーは、

「うっわ……!」

 魔獣の頭にしがみ付いていた。

 地面に落下するつもりだったのに、先ほどの一撃で魔獣が顔を振ったのだ。結果、マリーは魔獣の頭に着地し、剛毛にしがみ付かざるを得なくなった。

 ――でも、これはチャンスなんじゃ?

 土に触れられないため、術は使えない。しかし嘴にそうしたように、傷口から神力を注ぐことは出来る。

「どこを斬りつけるのがいいと思う?」

『この巨体なら、急所を外しさえすれば突き刺しても問題ないと思うが……そもそも急所はどこなんだろうな?』

「とりあえず心臓は刺さないようにする!」

 考える時間がもったいない。マリーは這うように首まで移動した。角を折ったことに加え、体内で魔力と神力がせめぎ合っているからか、魔獣は激しく暴れている。薄らと緑がかった翼が猛烈に振られていた。

 何度か振り落とされそうになりながら、マリーは「ここか」と狙いを付けた。翼よりやや上のあたりだ。皮膚の厚さがどれくらいか分からないが、加減をして突き刺さらないのは困る。マリーは迷うことなく剣を突き刺した。

 ぞぶぞぶと肉を断つ感触が手に伝わる。魔獣はぴたりと動くのを止めたかと思うと、聞くに堪えない醜い悲鳴を上げ、後ろ脚だけで立ち上がった。

「わっ……!」

 あまりの勢いに、マリーは背中から投げ出されそうになる。しかし負けてはいけない。血が滲みそうなほどに柄と剛毛を握りしめ、夢中で神力を注ぎ込んだ。

 どれほどの時間が経っただろう。やがて魔獣を覆っていた黒い靄が晴れ、大人しくなったかと思うと、ぐらりと倒れた。下敷きにならないように、マリーも剣を引き抜いて逃げる。姿を現したフランに支えられながら足を引きずり、恐る恐る顔の正面に回ると、白目を剥いていた。

「……たお、した?」

「みたいだな」

 剣先で嘴をつついてみる。しばらく待っても反応はない。

 どうやらちゃんと気絶したようだ、と安堵した時だった。

「……え?」

 今しがた晴れたはずの黒い靄が、嘴と背中の傷口から漂い始めた。初めは空気に滲むように、次第に辺り一帯を染めんばかりに溢れたそれは、魔獣の上で黒雲のようにまとまりだす。

 そして、

「っ!」

 マリーは咄嗟にフランを突き飛ばした。直後、靄の塊がマリーを包み込んだ。

 腕を振って払おうとしたが、逆に絡めとられてしまう。息が苦しくて口を開けると、そこから靄が入り込んできた。反射的に口を閉ざしたが、今度は耳や鼻からも侵入してくる。

 次第に目の前がぼんやりとしてきた。フランに体を揺さぶられ、名前を呼ばれているようだが、間近にいるはずなのに遠い彼方から呼びかけられているようだ。足に力が入らなくなり、ついには膝から崩れ落ちた。

 靄は魔力だ。魔獣に神力が毒なように、神力を持つ精霊士にとって魔力は毒となる。

 恐らく魔獣は死んだのだろう。マリーに襲い掛かってきた魔力は呪いに違いない。

 自分はどうなるのか。体の一部が魔獣と化すのか、それとも全く別の何かが起こるのか。

 ――何にせよ、こんなところで死にたくないし、死ぬわけにはいかない。

 魔力の、もとい呪いの侵攻を食い止めるには神力が一番だろう。マリーは霞がかる頭で、体の奥底に追いやられていた神力を引き出した。体内で衝突が起こっているのが分かる。胸が焼けるように痛み、吐き気を堪え切れずに嘔吐すると、靄をまとった血が地面を濡らした。

「フラン……誰か、近くにいないか、捜して……」

 自分一人では魔力を払いきれない。途切れ途切れに訴えるが、語尾はほとんど掠れていた。相変わらずフランの声が聞こえるから、マリーの言葉は正しく伝わらなかったのだろう。

 このまま魔力に蹂躙され、自分ではなくなってしまうのだろうか。そうだとしても諦めてたまるか、と力を振り絞った。

 ――――――良いだろう。

「……は?」

 不意に覚えのない声が聞こえた。若く凛々しく、弦楽器の雅やかな音色に似ていながら、炎のような熱さと、獣じみた野蛮さを感じ取れる不思議な声だ。かと思うと、次の瞬間には、あれほど苦しかった靄が消えてなくなっていた。

「マリー? 大丈夫か、マリー!」

 理解が追い付かず、困惑したまま体を起こす。今にも泣きそうな顔をしたフランと目が合った。彼はしきりにマリーの頬や肩を撫で、異常がないと分かると、さらに泣きそうな顔になった。

「え、あれ……靄は?」

「お前が払ったんじゃないのか? まさか完全に取り込んだのか」

「どちらでもないけど……」とりあえず手や足を見てみた。体のどこも魔獣になっていない。「神力が魔力に変わったってことも無さそうだし」

 一体何が起こったのか。そういえば、とマリーはフランを見上げた。

「ねえ、さっき近くに誰かいた? 男の人の声だった気がするんだけど」

「いや、俺以外にいない。それより、本当に大丈夫か? 靄が一瞬で薄くなって、弾けるみたいに消えたんだが」

「ああ、いたいた、マリー!」

 がさがさと茂みが揺れる音に続き、剣を携えたアルベールと、その後ろからサシャが現れた。二人とも森を駆けまわっていたのか、顔には汗で草や葉が張り付き、足元は泥だらけになっている。

 驚くあまり声が出ずに目を丸くしていると、未知の魔獣が出たと聞いて森に入ったと聞かされた。ここに来るまでに大勢の審査員や受験者が倒れていたことも知り、マリーはさらに驚いた。

「だから人が周りにいなかったんですね……でも誰がそんなことを?」

「分からねーが、あたしは目の前の状況の方が分からねーよ」

 サシャの眼は、マリーの後ろで横たわる魔獣に向けられていた。傷口から溢れていた靄はすでに無い。

「半鷲半獅子の魔獣ってのは、どう見てもあれだな。お前、まさか戦ったのか?」

 マリーがぎこちなくうなずくと、アルベールがぎょっとしたように硬直した。

「えっ、本当に? 無傷じゃないか! それに、どう見てもあれ死んでるし、呪いは?」

「無傷?」そんなわけない。擦り傷は無数にあるし、体のあちこちはぶつけたし、少なくとも二ヵ所は骨折している。そう告げようとして、今度はマリーが硬直した。

「……なんで?」

 折れたはずの右脚が問題なく動く。胸にも特に痛みはない。ありえないと思いながら手や脚を見て、顔はフランに確認してもらって、また硬直した。

 マリーが負った傷は、綺麗さっぱり完治していた。

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