第10話

〈鹿の森〉はただの森ではない。マリーは行く手に飛び出したウサギ魔獣の角を的確に折りながら、足元にも注意を払った。

 古くから精霊士昇格試験の会場になっているだけあって、全体的に人の手がかなり加えられている。川や滝はともかく、脚を踏み外して落下すれば命はないであろう崖や、誤って突き進むとどこまでも沈んでいく沼など、危険個所が各所に設けられている。

「どうしてそんな厄介なことするんですか?」と聞いたのは初めて試験を受けた時だ。ただ魔獣を捕獲するだけなのに、とぼやいたマリーに、「だからだよ」とアルベールが教えてくれた。

『魔獣を追いかけるのに必死になって、周りの状況に気を配れず、崖から真っ逆さま……なんて事例があるからね。魔獣捕獲も大事だけど、最も優先しなきゃいけないのは自分の身の安全だから。危険予知も出来て、なおかつ素早く魔獣を捕獲・浄化出来る人材を見抜くために、あえて危険な場所を多くしてるんだよ』

 初めは「自分から進んで危険な場所なんて行くわけない」と思ったものだが、後に行かざるを得ない状況になった。

 森の深部に行けば行くほど魔獣が大きくなり、その分得点も多くなるのだ。

 入り口近くでも捕獲できなくはないが、ウサギやネズミなど小型なものばかりだ。しかし最深部である「心臓」には豹や熊、水牛など、ただでさえ危険な動物がごろごろといる。また入り口あたりにも単なるぬかるみや落とし穴がある場合もあり、警戒が欠かせない。

 ちなみに危険箇所は毎年変更されているので、事前に予想しておくというのが出来ない。

「簡単に高得点を目指すなら、絶対に深部に行くべきだけど……」

『みんな同じことを考えるからな』

 気絶させたウサギの四肢を縄でしっかり縛り、剣先から神力イラの粒を垂らした。あとは周囲に潜む審査員が魔獣を回収してくれる。

 捕獲と浄化で計五点。慌てず素早く捕獲できたし、手際での加点は期待して良さそうだ。

「試験前に接触してくるかと思ったけど、杞憂だったわ」

 スマラクトに到着するまで、何度も考えたことだ。試験前にアレクサンダーがやってきて、挑発をしてくるのではないかと。予想に反し、〈烏〉団員たちの姿は見かけたものの、団長である彼を目にすることは無かった。預かっていた熊は、〈烏〉の団員に早々に押し付けてきた。

「確実に〈烏〉の人たちに勝つんなら百点が望ましいわね」

『ウサギだけ狩るなら二十匹で到達するが』

「そんなわけにもいかないでしょ」

 辺りには自分以外の精霊士がもちろんいる。彼らもマリーと同じように着実に点を稼ぐためにウサギを狩るだろうし、当然ウサギの数は少なくなっていく。狙いを定めるのも悪くはないが、時間の経過と共に見つけるのは困難になるだろう。

「それに、ウサギだけ狩り続けるなんて、絶対成長しない」

『確かに。審査員からの印象も悪くなるだろうし、サシャにも怒られると思う』

「……よし。じゃあ、行こう」

 深部へ。「心臓」へ。

 決めてからの行動は早かった。マリーは方角を確認し、行き先を定めてから走り出した。自分と同じ考えの精霊士は山ほどおり、ある者は獣道を駆け抜け、またある者は木の枝から枝に飛び移りながら深部を目指している。

 小型の雑魚魔獣も姿を見せるが、大型との会敵・浄化に備え、誰も無駄に神力を使わない。マリーも一々足を止めるわけにいかず、ひたすら走り続けた。

 深部に行けば行くほど、大物を捕獲しようとする精霊士で混雑する。妨害行為にも気を付けなければ。

 不意に前方で大きな土煙が上がり、わあっと大勢の声が上がった。少し遅れて土煙の奥から何かが飛び出してくる。マリーが身を屈めると同時に、何かが頭上を通り過ぎていった。あまりの速さに見えなかったが、フランは姿を捉えていたらしい。『鷲か?』と問いかけられた。

「分からない。鳥なのは確実……うわっ!」

 鳥魔獣は黒い靄を引きながら、再びマリーの頭上を通り過ぎていく。今度は見えた。優雅に広げられた翼は二メートル近くあるだろう。靄に包まれていて分かりにくいが羽毛は褐色だった。鋭い爪を備えた脚に掴まれるとひとたまりも無さそうだ。

 フランの言葉通り、鷲だ。

 どうやら狙いを付けられたらしい。鷲は方向転換をすると、他の精霊士には目もくれずマリー目がけて突っ込んでくる。

「神力の無駄遣いはしたくなかったんだけど、な!」

 マリーが剣で地面を軽く叩くと、もこもこと盛り上がった土が長方形の盾になった。素早く左手で掴んで身を守ると、ばしっと翼が当たる音がした。いちいち地面を操って壁を作るのでは、戻すのが面倒くさいし、放っておけば妨害と取られかねない。

 盾は持ち運びが可能だが、何せ元は土だ。長時間持っていると重さで腕が疲れる。マリーは背後で滞空し、こちらを睨みつける鷲に振り返った。

「さっさと終わらせるわ」

 近づいてきたところでひたいの角を折り、そのまま気絶させよう。内心で作戦を立てていると、『マリー、後ろだ!』とフランが警告を叫んだ。

「えっ」

 反射的に盾を掲げて身を守ると、ばしんと何かが盾を叩いた。ようやく理解が追い付いて振り返るが、そこには何もいない。信じられない思いで前を向くと、先ほどからいた鷲の他に、もう一羽、同じくらいの大きさの鷲がいた。

 それだけではない。

「なっ……なんで?」

 よく見ると、周囲の枝に鷲が止まっていた。その数、ざっと見ただけで八羽。目の前の二羽を含めれば十羽だ。そのどれもが大きい。

 完全に取り囲まれている。じりじりと後ずさると、鷲たちは一斉に飛び立つ体勢をとった。どこまでも追いかけてくるつもりだろう。

「去年も一昨年も、こんなに狙われたことあったっけ……?」

『ない。そもそもおかしいだろ。他の精霊士からすれば、お前だけに目が向いている今、捕獲は簡単なはずなのに、誰もいない』

 目だけを動かして周りを確認すると、フランの言う通り、人影が見当たらない。審査員はどこかしらにいるだろうが、受験生の精霊士がどこにもいないのだ。

『どうする。撒けるまで逃げるか?』

「……逆に考えるのよ。前向きにね」フランの心配に対し、マリーは盾を捨て、剣を構えて強気に笑った。「ここにいるのを全部捕まえて浄化すれば、単純な計算で五十点は取れるじゃない!」

 正直に言えば不安はある。一羽に構っている間に、別の一羽に突撃されたら、とか考えると恐ろしい。けれど、これまでの自分とは違う。それに。

 ――お前一人で戦うんじゃない。俺もいるだろ。

 フランがくれた励ましが、マリーに勇気を与えてくれた。

 どういう訳かは分からないが、他に精霊士がいないのなら好都合だ。マリーは地面を引っかいて土の礫を作り上げ、自分の周囲に滞空させた。それを何度も繰り返すさまを、鷲は訝しむように首を傾げて窺っていた。

 これくらいでいいか、と最後に剣を一振りした時、マリーを中心に円を描くように、大量の礫が浮かんでいた。

「先手必勝っていうものね!」

 気合を入れるためにも声を張り上げ、勢いよく剣を薙いだ。その瞬間、礫一つ一つに橙色の光が灯り、鷲たちに向かって飛んでいく。続けざまに飛んでくるそれを、鷲たちは飛び立って避けようとする。だが、

「甘い!」礫は鷲たちを追った。どこまで飛んでも、必ずあとをついていく。「撃ち落とすまで逃がすもんですか!」

 剣を小刻みに振りながら礫を繰り、ついに何羽かに命中した。さすがに礫だけで角を折るのは難しく、マリーは落下してくるタイミングを見計らって駆け、素早く角を折っていった。

 高所から地面に叩きつけられたのでは、打ち所が悪ければ死ぬ。魔獣が死ねば呪いが発動するため、マリーは土を巨大な手として成形し、力なく落下してくる鷲たちを包み込んだ。手が消えると、地面には気絶した鷲が五羽、残された。

「フラン、お願い!」

『分かった』

 しゅるりとフランの上半身だけが現れ、マリーが警戒している間に、敏速に鷲の脚を縛っていった。それが終わると、マリーはぽつぽつと神力の粒を垂らした。

「単純に今ので二十五点。最初のウサギを含めて三十点か」

「周りに人がいないんなら、さっきみたいに派手なことしちゃっても問題なさそうね。礫を乱発して誰かに当たったりしないだろうし」

 気兼ねなく暴れられるのは気持ちよくて好きだ。マリーはフランが石に戻ったのを確認してから、剣を構え直す。残った鷲たちは枝に停まり、ぎらついた眼差しを向けてきている。

 同じ手はもう通用しないだろう。方法を変えなければ。

 残りの鷲は五羽。このままじっとしていては埒が明かない。考えるや否や、マリーは神力をたっぷりと注ぎ込み、剣を振り上げていた。

 土煙を上げ、地中から巨大な手が五つ現れる。巻き込まれた木々がめきめきと音を立てながら倒れていく。驚いた鷲たちは一斉に飛び立ったが、見た目に反して素早く動いた手は行く手を塞いだ。

「よしっ!」

 マリーは逃げ場を失くしてがむしゃらに跳ぶ一羽の鷲に肉薄した。防ぐ暇も与えず勢いよく角を叩き折ると、すぐに別の鷲に向かう。高さがある場合は柱を作り上げ、一息に跳び上がった。

 三羽目、四羽目と順調に進み、

「これで最後っ!」

 残り一羽の角を折った、その時だった。

「いっ……!」

 肩に鋭い痛みが奔り、体が潰れそうなほどの風に圧された。ぱっと目の前に血の雫が飛び散る。攻撃されたのだと気付いたのは、体勢を崩してみっともなく落下する直前だった。

 地面に叩きつけられる――痛みを予想して強く目をつぶると、「マリー!」と名前を呼ばれた。次いで硬い体に受け止められ、落下した衝撃に襲われた。

 慌てて身を起こすと、フランが下敷きになっていた。咄嗟に庇ってくれたのだろう。

「フランっ!」

 彼は目を閉じたまま動かない。不意に、このままフランが消えてしまったら、と最悪の考えが過った。精霊は人間のように外傷や病気で死なないという常識すら忘れてしまうほど動揺した。

 何度も呼びかけながら肩を揺すっていると、フランは呻きながら起き上がった。一瞬気絶していただけらしい。しばらく痛みを堪えるように後頭部をさすっていたが、マリーを見ると安心したように息をついた。

「無事か、よかった」

「それはこっちのセリフよ! 馬鹿!」

 胸を締め付けられるかのような不安から解かれ、マリーは思い切り彼の胸を拳で打ってから、「ごめん、ありがとう」とうなだれた。

「フランも無事ね?」

「ああ。まあ、別のことが原因で多少眩暈はするけど……」

 別のこと、とマリーが首を傾げると、彼は一瞬「しまった」と目を瞠り、「俺よりもお前だ」と手を伸ばしてきた。

 マリーの左肩が、衣服ごと裂かれていた。見た目ほど傷は深くなさそうだが、じくじくとした鈍い痛みがある。利き手ではないのが幸いだった。

 まだ一羽いたのか、それとも別の魔獣か。辺りを見回した二人の顔に、深い影が落ちた。

「なっ……」

 なにあれ、と続けた声は、驚愕のあまり震えていた。

 二人の頭上に、恐ろしく大きな鷲魔獣がいたのだ。

 先ほどまで格闘していた個体とは比べ物にならない。翼の端から端までの大きさは七、八メートル以上あるか。足は近くの大木よりなお太い。これまでどこに潜んでいたのかと疑うほどの巨大さだ。

 ひとたび羽ばたくだけで、木々が根元から揺すられる。

「あれに襲われたの?」

「むしろよく掠り傷で済んだな……待て、本当に鷲か?」

 どういうことだろうと問う間もなく、察した。

 鷲にはあるはずのないものが――獅子の体と後ろ足が、ついている。

 ぞっとし、マリーは思わずフランにしがみついた。魔獣は澱のごとく淀んだ光を孕んだ眼差しで二人を見下ろし、腹が空いているのか威嚇か、しきりに嘴を開閉させている。

「太刀打ちできるのか、あんなの」

 縮こまって風圧に耐えるだけでやっとなのに、立ち上がって剣を振るえるのか。

 恐怖に震える唇は、しかし自分でも無意識に緩やかな弧を描いていた。

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