第9話

 精霊士昇格試験には、見習い、下位合わせて毎年千人ほど参加する。このうち合格できるのは、魔獣捕獲と浄化で規定の得点を満たした者だけだ。百点満点中、見習いなら八十点以上、下位なら九十五点以上が合格のラインで、捕獲と浄化の基本得点はそれぞれ三点と二点。さらに魔獣の大きさや手際によって加点がある。他精霊士への妨害や侮辱は減点の対象となり、会場内のいたる所で審査員が目を光らせているというから気をつけなければいけない。

「いいかい、マリー。捕獲も浄化も、去年よりは絶対に上達してる。だから落ち着いて、冷静に行動するんだよ」

「それ聞くの、もう五回目ですよ」

 心配そうに何回も言い聞かせてくるアルベールに対し、マリーは苦笑を返した。

 アレクサンダーに喧嘩を売ってから早二週間。いよいよ精霊士昇格試験の日だ。

 会場は〈獅子〉拠点から徒歩や馬車を乗り継いで二日間かかった先にある、通称「精霊士の町」スマラクトだ。山を刃物で切り落としたかのような峻険な土地にびっちりと家々が密集し、町に入ってすぐの市場では食べ物だけでなく装飾品、武器が売られて賑わっている。

「精霊士の町」と呼ばれるのは、人口の七割が精霊士だからだ。というのも、町自体が〈烏〉より規模が大きく、シュトラーセ王国最古の精霊団〈鹿ヒルシェ〉の拠点になっているのだ。町の一番高い位置には石造りの教会があり、以前フランが話してくれた「七大魔獣」を掃討した英雄の一人が眠っているという。〈鹿〉の団長を務め、ついでに付近一帯の領主を務めているのは、その英雄の子孫だと聞く。

 マリーは現在、スマラクトの崖を下りた先にある広大な森の前に立っていた。周囲には多くの精霊士が集い、緊張を和らげるように談笑しながら、あるいは集中力を高めて沈黙を貫くか、各々が昇格試験開始の時を今か今かと待ちわびている。

「でも、すごいですよね。どこまで続くか分からないこんな森までスマラクトの一部だなんて」

「久しぶりに来たけど、うちの裏にある森とは比べ物にならないくらい立派だよね」

「暢気に話してる場合か、お前ら」

 和やかに会話していたマリーとアルベールを遮り、サシャが不満を隠そうともしない顔で詰め寄ってきた。正式な場だからか、いつもはブラウスとボディスで体を引き締めている彼女も、今日は民族衣装ルバシカの上に真っ赤なサラファンを着ている。ずいっと迫られ、思わずマリーはのけ反ってしまった。

「いいか、負けたら絶対に許さねえぞ。自分で言ったことの責任はしっかり取れ」

 胸に指を突きつけられ、ひたと見据えられる。マリーは唇を噛んでうなずいた後、「分かってます」と決意の眼差しを返した。

 二週間前、アルベールに諸々の事情を説明した後、マリーはサシャにこっぴどく怒られた。当然だ、団長である彼女の許可なく喧嘩を売ったのだから。しかも負ければ自分の団が無くなるとあり、サシャはいつになく怒り、最終的にアルベールに酒を飲まされ、宥められて眠るまで暴れ回っていた。

 もちろんアルベールにも怒られた。サシャほど激しくはなかったものの、「ちょっと無謀じゃないかな」と穏やかに叱られた。

『勇敢と無鉄砲をはき違えちゃいけないよ。分かってるね?』

『分かってます。今回の私は間違いなく無鉄砲です。でも、今のままアレクサンダーと話し合いを続けるより、早く問題が解決しそうだとも思ったんです』

 その後、マリーの特訓は苛烈を極めた。アレクサンダーほどとは言わないだろうが、〈烏〉は間違いなく強者ぞろいだ。今のマリーでは太刀打ちできない。サシャとアルベールの指導は厳しくなり、マリーも必死に食らいついた。

 魔獣の出没頻度も変わらず、特訓の甲斐もあって捕獲と浄化にさほど時間がかからなくなった。

「マリーが慌てた時は、フラン、君が頼りだ」

「分かった」マリーの隣に並んでいたフランが、いつになく真面目な顔でうなずいた。「三年連続落ちるなんて間抜けな真似、絶対にさせないからな」

「今年は不合格になんてならないから!」

 不吉なこと言わないでよ、と声を荒げると、うるさそうに耳を塞がれた。

 そもそも去年も一昨年も、あと少しで合格できそうだったのだ。ただ手際の悪さと、慌てた時にうっかり他精霊士の邪魔になってしまったのが妨害とみなされて減点されただけで。

 多くの精霊団と違い、〈獅子〉は極端に人数が少なく、魔獣捕獲も小型・中型が一体や二体であれば滅多に全員が出張ることはない。ゆえに、他の誰かの邪魔にならずに戦う方法が、少しばかり不得手だったのだ。

 二週間でどれだけ弱点が克服できたか分からない。が、一カ月前の自分とは比べ物にならないほど成長した――と思いたい。

「ざっと見てきた感じ、〈烏〉の受験者は百人ってところだな」

「……それって、見習いだけですか?」

「だろうね。下位も合わせればもっといると思うなあ」

「その誰よりも得点を稼いで、合格しなきゃいけないんだな」

 カンカンと甲高い鐘の音が聞こえてくる。ざわめきが完全に静まるのを待ってから、「諸君」と低いのにしっかりと響く声がした。前方まで続く人の頭が壁となってマリーからは見えないが、どうやら人波の先に今回の試験の責任者がいるようだ。

「見習い、そして下級精霊士の諸君には、これより〈鹿の森〉に入ってもらう。制限時間は日没までの六時間。魔獣捕獲と浄化を行い、必要に応じて加点する。他精霊士への妨害は減点とみなす。では、順に前へ」

 会場である〈鹿の森〉には入り口が何ヵ所かある。どの場所から入るか、これからくじで決めるのだ。粛々と素早く抽選が行われていき、マリーが引き当てたのは「鼻」と名付けられた入り口だった。

 十五分ほど時間をかけて全員の開始位置が決まれば、次は移動が始まる。幸いマリーの「鼻」は目の前なので移動の必要はない。

 深呼吸を何度も繰り返す。時間と共に緊張が増してきた。不安に押し潰されそうになっていると、頭に大きな掌が乗った。

「お前一人で戦うんじゃない。俺もいるだろ」

 フランが優しく励ましてくれる。穏やかな声音がじっくりと全身に沁み込んでいくような気がして、がちがちに張り詰めていた肩の力が程よく抜けた。けれど、もう少しだけ安心感が欲しくて、甘えるように自分から頭をぐりぐりと動かす。ちらりと彼を見上げると、照れくさそうに唇を引き結んでいた。

 可愛いところもあるのよねえ、と思わず頬が緩む。良い具合に緊張が解け、マリーは力強く笑った。

 ――そうね。私一人じゃない。

「ありがとう。たくさん頼らせてもらうから」

「ああ」とうなずいたフランの体が光り輝く。粒子のようになったかと思えば、するするとマリーが腰に提げた剣に吸い込まれていった。

 再び鐘が鳴る。全員が入り口に到着した合図だ。次に鐘が鳴れば、それが試験開始の合図となる。マリーと同じ「鼻」から開始する受験生が、ぞろぞろと入り口に密集し始めた。

「それじゃあ、行ってきます。必ず良い戦果を持ち帰ってきますから!」

「うん。頑張ってね」

「どうせなら優勝するだけ捕獲して戻ってこい」

 アルベールは柔らかく、サシャは熱のこもった応援をくれる。マリーが入り口に向けて走り出すと、「それと!」とサシャに怒鳴られ、ぎょっとして振り返った。

「お前とフランだけで戦うんじゃねえからな。あたしとアルベールも、お前に教えた技術って形でそばにいるんだからな!」

 思いがけない励ましをされ、マリーは目を丸くした。言った張本人は恥ずかしかったのか、ぷいっと顔を背けてこちらを見ようとしない。その隣で、笑いをこらえきれずにふき出したアルベールが手を振ってくれた。

「帰ってきたらイチゴのタルトがあるからねー! 優勝したら丸々食べるのを許そう!」

 魅力的な報酬に目が輝く。喉が裂けんばかりの勢いで「行ってきます!」ともう一度だけ言うと、カンカンとけたたましい音が響いた。

 試験開始だ。受験生たちが一斉に入り口から森に飛び込んでいく。騒々しさに驚いた鳥たちが空に飛び立っていった。

「……よし、行こう!」

 ぱんっと勢いよく頬を叩き、マリーは表情を引き締めた。今年は背負うものが違う。誰よりも上を目指し、好成績を収めなければ。

 次々と森に吸い込まれていく受験生に続き、マリーも駆けだした。


「おいおい、アルベールじゃねえか!」

 懐かしい声がして、アルベールは振り返る。そこには白い歯を見せて笑う男が立っていた。

 身長は二メートルほどだろうか。筋骨隆々とした体を包む民族衣装は琥珀色。橙色の瞳は少年のような煌めきに満ちている。日焼けした肌と豪快な笑顔は変わっていないが、以前は髪があったはずの頭は剃りあがっていた。「シャム」と名を呼ぶと、男はアルベールの肩をばしばしと叩いた。

「久しぶりだなあ、おい! 冬以来か!」

「そうだね。頭、どうしたの?」

「こっちの方がカッコいいってみんなに言われたんだよ。隣の姉ちゃんは、あれか、お前が『放っておけない』とか言ってた幼馴染だな!」

 黙っていてほしかったことを言われ、アルベールの表情が一瞬凍りつく。腕を組んでマリーの背を追っていたサシャは、突然現れた大男に顔を顰めている。アルベールはすぐに取り繕い、何事もなかったかのように微笑みで覆い隠した。

「シャムは会ったことなかったっけ。幼馴染で、〈獅子レーヴェ〉の団長サシャ・レーラー。サシャ、こいつは……」

「〈鹿ヒルシェ〉の団長シャム・トロイだろ」

 有名だしな、とサシャは森に視線を戻した。

 七大魔獣を討ち果たした英雄の子孫シャム・トロイと言えば、圧倒的な実力で〈鹿〉に君臨する男として名を馳せている。マリーは気付かなかった――というより知らないようだが、先ほど鐘を鳴らしたり、試験の説明していたのはこの男である。裏表のない性格ゆえ誰からも好かれ、憧れを集める人柄だった。

 アルベールは以前から――〈鹿〉に入団していた頃からの知り合いで、時々会うこともある。〈クレーエ〉の団長にアルベールが就いたことを教えてくれたのもシャムだ。

「お前んとこの嬢ちゃん。なんだ、マリリンだっけ? 受けてんのか」

「マリーね。試験は今年で三回目。今回はっていうか、今回も張り切ってるよ。それより、いいの? こんなところで油を売ってて。試験の責任者なんじゃないの?」

「形だけだ。成り行きは他の奴が見守ってる」

 それより、と腕を引かれ、シャムはどこか面白がるように問いかけてきた。

「〈烏〉に喧嘩を売ったって本当か?」

「うん。最初は向こうが拠点を寄越せって言ってきて、色々あって、最終的にこっちが喧嘩を売ったことになってる」

 厄介だなとお互い笑いあったあと、シャムは一転、厳しい表情で続けた。

「気を付けろよ。最近〈烏〉に……というより、ナイト家について悪い噂があるからな」

「ナイト家?」

 アレクサンダーの家だ。〈烏〉を立ち上げたのは数代前のナイト家当主だからか、〈烏〉の団長には代々ナイト家の人間が就く。

「悪い噂って……確かにあそこは気味が悪いとか誇りが高すぎるとか、他にも色々言われてるのは知ってるけど」

「七大魔獣を復活させようとしてんじゃないかって話がある」

 ぞ、と。たった一言で、アルベールの背筋が粟立った。

 精霊士になったばかりの頃、フランに渡した本を読んで七大魔獣の存在を知った。空想の生物だろうとは思っているが、もし実在したらとんでもない厄災になるだろう。なにせ一体だけで町を一晩で壊滅させると言われているのだ。

「……証拠は?」

「ない!」

 きっぱりと言い切られ、ずるりと肩の力が抜ける。「心臓に悪いことを言わないでよ」

 いたずらに成功した子どもよろしく、シャムは「がはは」と笑った。

「すまんな。あくまで噂話だ」

「火のないところに煙は立たねえって言うだろ」

 一応聞こえていたのか、サシャが呆れたように口を挟んできた。

「察しがいいねえ、レーラー。ここんところ、行方不明者が問題になってるのは知ってるか?」

 アルベールとサシャは揃って首を横に振った。ペルレは良くも悪くも閉鎖的な空間だ。遠出をしない限り、外の噂は耳にしない。

「貧困街を中心にちらほらいなくなるんだよ。多分人身売買だろうけど。ただ、一つ一つの街からいなくなる人数は少なくても、全部合わせると結構な数になる。しかも貧困街だけじゃなくて、最近になって被害が拡大し始めたらしい。俺の領地からも何人かいなくなった。……まあ、大半がろくでなしとか放蕩野郎とかだから、ただふらふらしてるだけって可能性もあるが」

「けど、人身売買とナイト家がどう繋がるっていうの」

「どっちも得体が知れなくて不気味だろ?」

「……え、それだけ?」

 おう、とシャムがうなずく。

「誰が言い出したか知らないが、ナイト家はあちこちから人を買って、魔獣を作るための生贄にしてるって怪談が流行ってんだよ。実際、ナイト家の領地には調査院があったしな。それが余計に話のネタになってる」

 調査院とは、魔獣ごとの魔力保有量や、どれくらい魔力の影響を受けると狂暴化するのかなどを調査していた施設のことだ。だが何十年も前に、運び込んだ魔獣が暴れ出して職員が何十人も犠牲になり、それ以降は廃墟化したと聞いている。

「それでな、最近、誰もいないはずの調査院から獣の声だとか、人間の悲鳴や叫び声が聞こえるんだと。なんでも夜な夜な魔獣を作り出す実験をしているとか、犠牲になった職員の怨念が神のお庭に迎え入れられず、精霊にもなれず彷徨って……てな話だ」

 一通り話を聞き、確かに話を膨らませるには十分な材料が揃っているとアルベールは感じた。ナイト家は「事実無根だ」と言い張っているようだが、一度生まれた噂話は簡単に消えてなくならない。

 とにかく、とシャムがアルベールの肩に腕を回し、豪快に笑った。

「噂の真偽は分からんが、気を付けるに越したことはない。拠点を奪われた果てに、魔獣のための生贄にされるかも知れんぞ?」

「されないよ」

「されるかよ」

 綺麗に被った二人の反論に、シャムが「お前ら仲いいな」とまた笑う。

「団長! トロイ団長!」

 頭上から声がし、風と共に一つの人影が舞い降りてきた。〈鹿〉の団員らしい。右腕には審査員であることを示す青色の腕章がある。

 シャムより年上と思しき団員は、慌てた様子だった。彼はアルベールたちに会釈をしてから、シャムの耳元でなにか囁く。良くない事態でも起こっているのか、二人の表情が徐々に厳しくなっていった。

「そんなもん、用意した覚えはねえぞ」

「どこからか紛れ込んだということでしょうか」

「つっても、数が変わらないように管理はしてたはずだろ」

 ――魔獣の数が変わったっていう話かな?

 かすかに漏れ聞こえてくる会話から、アルベールはそう推測した。

〈鹿の森〉にいる魔獣は全て、試験のためにあちこちから連れてこられたものだ。毎年決まった数だけ用意し、逃げて行かないように、また外から入ってきて増えないように、〈鹿〉の団員たちが日夜きっちりと管理している。

 しかし現在、森には用意したはずのない魔獣がいる。なぜか――という話か。

「今そいつはどこにいる」

「先ほどまでは『心臓』付近にいたようですが……」

「団長、大変です!」

 今度は若い女の団員が駆け寄ってきた。彼女の後ろには、青ざめた顔をして肩から血を流す男がいた。

「見たこともない魔獣が、暴れ始めました!」

「魔獣の話なら今聞いて――待て、なんだと?」

「抑えようとしたんですが、すみません、撤退してきてしまいました……」

「他の奴らは? そのことを知ってんのか?」

「近くにいた者には伝えましたが、どこまで耐えているか……魔獣は何か探すように『鼻』に移動していて」

「えっ、それってこっち方向って事じゃないか」

 思わず口を挟むと、女団員は「あっ」と口元を覆った。部外者がいる前で内々の話をしてしまったことに、今さら気が付いたようだった。

「見たこともない魔獣って言ってたけど、どんな姿だった?」

 女団員は答えてもいいものか戸惑い、シャムを見る。話してやれ、と彼が目配せで応じてから、ようやく教えてくれた。「翼が生えていたので鷲だと思ったんです。頭もそうでした。でも……」

 魔獣の姿を思い出したのか、彼女は小さく身震いをしてから続ける。

「か、体が、下半身が、獅子だったんです!」

「はあ?」

 驚愕のあまり叫んだシャムの隣で、アルベールとサシャも体をこわばらせた。

 半鷲半獅子の魔獣など、見たことも聞いたこともない。そんな生物、野生に存在しないのだから。

「大きさは!」

 怒鳴るように問いかけながら、シャムはすでに歩き出していた。不測の事態が起こっているのだ。「形だけ」と言っていたが、責任者としての役目を果たそうとしているのだろう。アルベールはサシャと目を合わせ、どちらからともなくうなずき、シャムを追いかけた。

「俺たちも行くよ」

「いや、気持ちはありがたいが、これは俺たち〈鹿〉の管理不足が引き起こした事態だ。他の団に手を借りるわけには」

「俺は元〈鹿〉だよ。サシャはそんな俺の幼馴染だ。しかも強い」

「……俺たちの強さを信用してないのか?」

 シャムが凄むように声音を低くする。だがアルベールは「とんでもない」と、どことなく黒い微笑みを浮かべた。サシャが呆れたと言わんばかりにため息をつく。

「要するに暴れたいだけだろ、アルは」

「違うよ。俺たちの可愛い、たった一人の団員に何かあると困るだろ? 彼女を助けに行くんだよ。事情を説明してくれたのだって、俺がもともと〈鹿〉だったからのくせに」

「嘘つけ。未知の魔獣とやり合ってみてえだけだろ」

「あはは、バレてたか。とにかく、シャムたちの強さは知ってるよ。ただ、魔獣の強さが分からない以上、人が多いに越したことはないだろ? 森の中にいる団員たちも、その子みたいに怪我をして戦えない可能性だってあるし」

 アルベールの言に一理あると感じたのか、シャムは数秒悩んでから、付いていくことを了承してくれた。

 先ほどマリーが入った場所から、アルベールたちは突入した。「俺は西から回って、ついでに団員に声をかけていく。アルベールとレーラーは東から頼む!」

「任された」

 別れ際、アルベールはシャムと拳をぶつけ合った。彼が鬱蒼と生い茂る道なき道を行くのを横目で見送りながら、アルベールとサシャは言われた通り東から魔獣を捜すべく、清らかな流れを湛える沢を飛び越えた。

「大丈夫かな、マリー」

「あたしたちがみっちり鍛えたんだ。そう簡単にへこたれねえだろ」

 昔のお前と一緒でな。

 サシャが最後に付け加えた一言に、アルベールは小さく苦笑した。

 未知の魔獣が現れたからだろうか。審査員を務める〈鹿〉の団員たちの気配がない。訝しんでいると、茂みの手前で誰かが倒れていた。二人そろって駆け寄ると、民族衣装の背中には鹿の模様が縫われている。右の二の腕には審査員であることを示す青色の腕章もあった。

「大丈夫か、おい」

「意識はないけど……命に別状はなさそうだね。半鷲半獅子の魔獣に襲われたってわけでも無さそうだ。大きなけがもない」

「勝手にぶっ倒れたって可能性は?」

「ないんじゃないかな」

 だって、ほら。

 アルベールは顔を上げ、視線だけで周囲を示した。

 サシャも同じように周りを見て、ぴくりと片眉をはね上げた。「……へえ、なるほど」

「審査員の〈鹿〉だけじゃなくて、他の参加者まで軒並み気絶してる」

「偶然なわけねーだろうな。明らかに異変が起こってると考えて良さそうだ」

「……大丈夫かな、マリー」

 森のどこかで奮闘しているはずの団員を想い、二人の表情が翳った。

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