第5話

 マリーの現在の家である〈獅子〉の拠点は、外見も内装もペルレに立ち並ぶ一般民家と大差ない。木と石を組み合わせた三階建てで、森との境目には倉庫と魔獣を浄化する専用の小屋が別にある。いずれも外壁はサシャの趣味で薄ら赤く塗られ、家の玄関先に並ぶハーブはアルベールが趣味で育てているものだ。

 二階にはサシャとアルベールの私室、三階にはマリーの私室と物置、空き部屋があるが、一階は団員の共有スペース兼依頼受付所だ。食事は毎日、一階に置かれたテーブルで全員が同じ時間にとることになっている。

「何だったんだ、あいつは!」

 サシャがテーブルを割れんばかりの勢いで叩く。置かれていた皿たちが一瞬だけ宙に浮いた。

 向かい側に座っていたマリーはわずかに肩をすくめた。サシャは舌打ちをしながらパンを噛みちぎる。その様はまさしく獲物に食らいつく獅子のようだったが、アルベール特製の野菜スープを飲んだ時だけ、ふっと表情が和らいだ。

 今日の朝食は人参サラダと豚肉のスライスと刻み野菜を入れたスープ、こんがり焼いたパンだ。素朴だが一つ一つに工夫が加えられ、マリーが屋敷で暮らしていた頃に食べていたものと遜色ない。どんな隠し味を使っているのかアルベールにいつも聞いているのだが、「それは秘密」と微笑みで誤魔化されてしまう。

 マリーが予想していた通り、サシャはご立腹の様子だった。暴れて物に八つ当たりをする寸前だったらしいが、アルベールが繰り返し諌めたという。

「あの……どんな話をしたんですか」

 鼻息荒くパンを頬張るサシャから視線を外し、その隣に座るアルベールに問いかける。彼は苦笑しつつ、「乗っ取りだよ」と答えた。

「〈クレーエ〉は大きな団でね、各地に拠点を持ってるんだ。彼はここをその一つにしたいんだって」

 それにしても、とアルベールが腕を組む。

「彼が噂の団長くんだったとは」

「?」

「いや、去年知り合いに聞いたんだよ。若き水精士ウンディーネアレクサンダー、歴史ある〈烏〉の団長に! って」

 水精士とは「水属性」の精霊士のことをいう。ちなみにマリーは土精士ノーム、サシャは火精士サラマンダー、アルベールは風精士シルフである。呼び分けをするのはもっぱら同業者だけだ。

「〈烏〉ってそんなに古い団なんですか」

「俺が聞いた話だと、もう四百年くらい続いてるって」

 思っていたよりも歴史のある団らしい。発足から十年足らずの〈獅子〉とは大違いだ。

 アレクサンダーはマリーと話した時のように一方的に話をし続け、こちらの文句には一切耳を貸さなかったようだ。最終的に激怒したサシャが「断る! 二度と来るな!」とアレクサンダーを締め出し、話を強制終了させたという。

 アルベールも食事を作りながら一通り話を聞いていたらしい。争いに発展したらサシャを止めるつもりだったのかと思ったが、恐らく予想は外れている。

 ――この人、師匠と同じくらい血の気が多いからなあ。

 今は柔和な雰囲気を醸し出すアルベールだが、昔は喧嘩っ早い悪ガキとしてそこそこ名を馳せたと聞く。現在は常に微笑んで穏健そうな雰囲気があるし、実際その通りなのだが、剣を抜くと人が変わる。口元は人を安心させるような柔らかい弧を描いているのに、目に浮かぶ光はぎらついて恐ろしい。

「でも、なんでここに目を付けたんでしょうか」

「それは俺も思ったんだよ。似たような広さで、ここよりも快適な環境の場所はいくらだってあるのに。サシャはそのあたり聞かなかったの?」

「聞いてねえ。聞く価値もねえと思ったからな」

 そこは聞いておきましょうよ。口に出してしまうと言い争うのが目に見えていたので、マリーはアルベールと目を合わせるだけに留めた。

「帰ってくるとき、マリーは彼に会ったんだよね」

「はい。挨拶だけして通り過ぎるのかと思ったら、いきなり水を……何なんだって聞いたら試しただけですって言われました」

「試す……?」

「分かりません。ただ、『団長さんの教育は悪くないようですね』って」

 びき、とサシャのひたいに青筋が浮き上がる。

「なんだそれは。あのクソガキはあたしを馬鹿にしてんのか」

「ど、どうでしょうね。ああ、あと、『良いものを見つけました』とも」

「ますます意味が分からないね」

 とにかく、アレクサンダーはまた近いうちに来ると言っていた。〈獅子〉乗っ取りを諦めたわけではないということだ。その時にこそきっぱりと断らなければいけない、出来れば平和的に、と結論に至った。

「そういえば師匠たち、魔獣の浄化は?」

「とっくに終わらせた。あとはお前の分だけだ」

「え?」

「言ったろ。『四匹だけ処理しとく』って」

 捕獲した魔獣は五匹だったはずだ。

「マリー、お前、神力を細かに使うの苦手だろ」

 ぎくり、と背筋と表情が強張った。それと同時に、アレクサンダーの一言を思い出す。

 ――団長さんの教育は悪くないようです。が、精度はいまいちですね。

「試験も近いし、そのままじゃまずいだろってのがあたしとアルベールの見解だ。そこで」

 にい、とサシャの真っ赤な唇が不気味な弧を描く。数分前の憤怒の表情は綺麗さっぱり消えていた。

 嫌な予感がする。師匠の笑みがあまりにも恐ろしく、マリーの表情が引きつった。助けを求めるようにアルベールを見るが、こちらは楽しそうに笑うだけ。どことなく凶悪な色が混じっているのは気のせいではない。

 今すぐにでも逃げ出したいが、二人から注がれるヘビのような視線がそれを許してくれなかった。仮に立ち上がれたとしても、膝が笑って転びかねない。

「あ、あの師匠たち、一応聞きますが、何を、考えて、おられるんでしょうか」

 唇が震えて言葉が途切れ途切れになってしまう。それを意に介した様子もなく、「決まってんだろ」とサシャはテーブルに両肘をついて手の甲に顎を乗せ、まるで恋する乙女のような可憐な笑みと共に、

「特訓だよ」

 赤子も泣き止むようなどす黒い声音でそう言った。


 小鳥の番いが蒼天の下を自由に飛び回る。フランは屋根に腰かけながら見るともなしにそれを眺めていたが、「そういえば、あの日の朝もこんな空だったな」と目を閉じる。

 あの日とは、マリーから名前を貰った日のことだ。

『あなたの名前は今日からフランだわ!』

 まるで目の前で星が弾けたかのように、フランはただ目を丸くしていた。

 癖のないくすんだ金髪には見覚えがある。嬉しそうに両手を包み込む幼い掌の感触も知っている。思わぬ形で再会したフランの恩人は、夜が朝に移り変わっていく空をそのまま宝石に閉じ込めたような、不思議な色合いをした瞳でこちらを覗き込んでいた。

 一目で自分を介抱してくれた人だと気付いた。結局むなしく世を去ってしまったが、今際に良い思いをすることが出来たと告げて去るつもりでいた。しかし恩人はフランが精霊と知るや否や契約の証である名を与え、苛烈で可憐な精霊士に弟子入りを志願した。

 直後に知った恩人、もとい主人の名はマリー・ヘルト。子爵の父を持つ、生粋の箱入り娘だった。

 とんでもないお嬢様と契約してしまったと頭を抱えたし、自分一人で着替えも出来ない彼女に世話を焼かされることもあった。これでは精霊と言うよりも従僕ではないかと。何度も面倒くさいと匙を投げそうになったし、生前の癖で鬱憤のあまりぶん殴りかけたこともある。

 だが性格、肉体、技術などあらゆる面で成長していく彼女を見て、フランがやがて抱いたのは愛しさだった。褒めてほしいと甘えられることに煩わしさを覚えたのが嘘のように、いつしか言いようのない高揚感に身を包まれるようになっていた。

 頭を撫でてやると子犬のように喜び、改善すべき点を指摘すると見るからに肩を落とす。けれど落ち込むのは一瞬だけで、信じられないほどの素早さで元気を取り戻す。精霊団近くの村から依頼が舞い込めば彼らの気持ちに寄り添い、時には感情移入をし過ぎて涙を流す。千変万化の表情に、自分でも気が付かない間にとりこになっていた。

 ――言うつもりは、ないけれど。

 マリーは人間。自分は精霊で、神力の供給を受ける代わりに力を貸す相棒だ。もし仮に想いを告白したなら、彼女の答えがどんなものであれ、告白前と全く同じ関係には戻れない。マリーの生活や仕事に影響が出る可能性も大いにある。

 ――それに。

 彼女はフランをあの日助けた男だと気付いている様子はない。なにせ倒れていた時のフランは散々暴行されて顔形が変わっていたし、服も肌も裂かれて目も当てられない状態だった。そんな怪我人と自分が同一人物だなど、気付けと言う方が難しい。

 ――それでも、いつか気付いてくれたらいいと思うのは俺の我がままだろうな。

 ――この想いにも、助けた男だということにも。

 目を開けるとペルレの町並みがよく見える。ついでに、アレクサンダーと遭遇したあの道も。

 マリーから供給される神力は心地がいい。摘みたての花から採れた蜜のほどよい甘さと、ふんわり香るミントのような爽やかさが交わった不思議な味がする。これもフランを掴んで放さない彼女の魅力だ。

 ――だけど、さっきのは。

「どうしたのよフラン。難しい顔してるわよ」

 武骨な手に肩を揺すられて我に返る。乙女らしい艶っぽい瞳と、野原を元気に駆けまわる愛らしいウサギのような二種類の瞳に見つめられていた。

「さっきからボクたちが話しかけても上の空だしさー」

 ぶーぶーと文句を垂れたのは後者の眼差しを向けていたルーカだ。少年のように短く切り揃えられたぼさぼさの茶色い髪と山吹色の瞳、小麦色の肌を包むのはフランと同じ農夫の服。ジャケットは大きすぎて指先まですっぽりと覆ってしまっている。見た目に反して性別は女であり、少女らしさは幼い顔つきと声色だけ。

 むくれる彼女を宥めたのは、二人の間を陣取っていたトラズだ。長い銀髪は波うち、うなじのあたりで一つにくくられている。衣服もフランやルーカと同じく農夫のそれだが、布地を押し上げる筋肉によって所々がはち切れていた。

「ぼーっとしちゃって。らしくないわね」

 男らしい見た目に反し、口調は女のそれである。厳めしい髭面には化粧も施されているし、正直に言って不気味だ。実際、初めて彼を目にした時、マリーは白目をむいて倒れた。

 ルーカとトラズはそれぞれサシャ、アルベールの相棒であり、契約主たちが睡眠や食事に時間を割いている時、フランたちは交代で、あるいは全員で屋根に座って周囲の警戒に当たっている。

「もう、大変だったんだからね。サシャが暴れ始めるんじゃないかって冷や冷やした」

 細い足を投げ出してぶらぶらとさせながらルーカがため息をつく。

 そうだ、アレクサンダーと話した内容について尋ねていたのだった。自分から聞いておいて物思いにふけるとは。フランは内心で反省した。

 しかしそれも束の間、フランは考えごとに没頭し、二人の話をまた聞き流していた。次に我に返ったのは、ルーカに頬を殴られたからだ。

「何なのさ、フラン! せっかく話してあげてるのに!」

「す、すまん。ちょっとどうしても、気になることが」

「気になること? なになに?」

 トラズがずいっと顔を近づけてくる。余計なことを口走ってしまったと後悔したが、一人で黙って考えるよりは他人の考えを聞いた方が良いかも知れない。フランは「アレクサンダーと会った時のマリーなんだが」と切り出した。

「神力の風味がいつもと違った気がして」

「違うって……どういう風に」

「苦かったんだ」

 味を思い出し、フランは唇を曲げた。

 マリーの神力は爽やかな甘さだ。それは常に変わることがない。しかしアレクサンダーと対峙した時、一瞬だけ雑味が混じったのだ。

「うーん。単純に神力が枯渇しかけたからじゃないのかなぁ。サシャも枯渇しかけると味がちょっと薄くなる」

「それとは少し違わないかしら。薄くなるのと味そのものが変わるんじゃ話が別よ」

「……しかもそのまま受け取り続けてたら、目の前が眩んだんだ」

 散らばった野菜と果物を回収していた時、視界がわずかに淀んでいた。まばたきを繰り返しているうちに元に戻ったが、違和感は拭えていない。

「今までにも同じことは?」

「無かった。今回が初めてだ」

「あのさ、出来れば考えたくないんだけど」悩ましげに目を伏せながら、ルーカがおずおずと手を上げた。「霊力が魔力マナに変わってた、とかじゃないよね?」

「……あいつに限って、そんなことはない」

 マリーの性格は十分に理解している。優しさの中に芯の強さと逞しさがあり、憎悪や嫉妬に狂ったことなど一度もない。

 だからこそ、味の違いがより濃く感じられたのだ。

「マリーちゃんはまだ見習いだもの。アルベールたちに比べて、些細なことで霊力が変化しやすい可能性もあるわね」

「見習いって言っても、歴だけで言えば七年目だぞ」

「まだまだ未熟さがどこかに残ってるかもしれないよ」

「試験も近いし、今回こそはってアルベールも意気込んでたから、何かしら対策はすると思うのよ。その過程で霊力も安定していくんじゃないかしら」

「そうであればいいと思う」

「あ、でも今の話、本人やサシャたちには絶対にしちゃダメだよ? サシャのことだから見放したりはしないと思うけど、間違いなく『神力が魔力になるとはどういうことだ!』って怒るから」

「マリーちゃんも『どうして』って思い悩んで、魔力を増長させちゃうかも知れないものね」

 ばたんと裏口が開く音がした。次いで、フランが呼ばれる。裏側ということは魔獣浄化でもするのだろう。

「二人ともありがとう。一人で抱え込むところだった」

 立ち上がりながら礼を言うと、トラズは豪快に笑いながら「気にしないで」と励ますように尻を叩いてきた。一方ルーカも、頼られたことが嬉しかったのか大仰に胸を張っていた。

 マリーの精霊として自分に出来ることは何だろう。彼女がなにやら隠し事を抱えているのは知っている。霊力が変化したのも、それに関連しているのだろうか。

 ――だけど、隠し方が気になるんだよな。後ろめたくて黙ってると言うより、恥ずかしくて黙ってる、みたいな。

 精霊士になった理由だとしたら、昇格試験に合格すれば解決することだ。それに伴って神力も安定するだろう、というのは少し楽観的すぎるか。答えが出ないまま、フランは主人の下に降りたった。

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