第4話
村長の自宅を辞し、マリーとフランは石の道を歩いていた。
「たくさん貰っちゃったわね!」
マリーは両腕で抱えるそれに目を落とす。魔獣捕獲の報酬金とは別に、村長や通りかかった村人たちが、採れたての野菜や果物を分けてくれたのだ。初めは手で抱えていけばいいかと思っていたがあまりにも量が多かったため、今は即席で作った特大かつ不恰好な土の椀に入れてある。
人参、じゃがいも、とうもろこし。旬のイチゴもごろごろと入っている。ジャムにしてパンに塗るのもいいし、そのままかじるのもいい。酸っぱさの中に甘みがあるのもたまらない。
一つくらいつまみ食いしてもばれないだろう。我慢できずに一つ口に放り込む。期待以上のおいしさに表情が一瞬で蕩け、気が付けば三個も食べていた。
「一気に食べつくすなよ、腹壊すぞ」
「そんな簡単に壊さないから平気平気」
それにしても、とマリーは四個目のイチゴをかじりながら唸った。
「最近、魔獣がよく現れるようになったと思わない?」
問いかけると、フランは無言でうなずいた。
魔獣とは、人間から染み出した
魔獣の厄介なところは、「殺してはならない」という点に尽きる。誤って殺してしまうと、呪いが振りかかるのだ。ある者は体の一部が殺した魔獣と同じものになったというし、ある者は血を求めてさまよい歩き、その果てに一般人を襲ったらしい。
では、魔獣を見つけて、捕まえた時はどうすればよいか。精霊士となって間もない頃、マリーはサシャにそう訊ねたことがある。
『浄化すんだよ。あたしら精霊士の霊力は大概、善属性の
マリーの屋敷から運び出した熊の魔獣を前に、サシャは槍斧をかざした。穂先から生まれた炎の粒がぽとりと体に垂れる。そのまま燃えてしまわないかと思ったがそんなことはなく、ぽとぽとと断続的に垂れた炎はまるで花のように広がっていく。
魔獣の体が余すところなく炎の花に覆われると、『あとは時間の問題だ』とサシャは槍斧を担いだ。
『こいつの体の中には今、神力の根が広がってる。それが魔力を吸い出して、花弁から放出する。花が枯れたら、そん時が浄化完了の合図だ』
『じゃあ私も、師匠みたいに炎の粒を落とせばいいんですか?』
『いや、お前に炎は無理だ。フランが土属性だからな』
『?』
『あたしが炎を使うのは、あたしの相棒の精霊が火属性だからだ。ようはあたしの属性を言い表せば〈善・炎属性〉になる。ちなみにアルは〈善・風属性〉だな。で、お前は〈善・土属性〉ってわけだ』
当時は「てっきり私も師匠みたいに火が使えると思ったのに!」と愕然としたものだが、今では「土を操るのって素敵!」と思えている。
『けど、気を付けろよ。霊力の属性は絶えず変化する。ふとした瞬間に、それまで善だったものが悪に変わる場合があるからな』
『変わらずにいるにはどうすればいいんですか?』
『例えば苦手な奴がいたとする。そいつに対して「死ね」と思うのは悪い感情だろ。そうすると霊力がそれに引っ張られて変化する。逆に前向きな感情は善と言えるから変化はしない』
『じゃあ、霊力が変化したら、何か悪いことが起きたりするんですか』
『自分が魔獣みたいになるんだよ。見るものすべてを傷つけ、捻じ伏せようとする。自分が満足するまで、快楽と愉悦の赴くままに。最終的には自我を失くして、倒れるまで暴れ続けるって言われてるな』
マリーは大きくあくびをし、目元に滲んだ涙を拭った。寝不足で頭がくらくらする。
何せ昨日の夜も魔獣が数体現れたのだ。今朝の騒動に遅刻したのは就寝時間が遅く、寝坊したせいである。
「フランが起こしてくれたら良かったのに」
「俺は何度も呼んだし叩いたんだ。だけどお前はぬいぐるみを抱きしめて、ぐうぐうと気持ちよさそうに」
「疲れてたんだもの、仕方ないじゃない!」
「そういえば試験が近いな。だから魔獣がこんなたくさんいるんじゃないのか」
彼の一言に、マリーは「うっ」と言葉に詰まった。
精霊士には年に一度、見習いから下位へ、下位から上位へと昇格するための試験がある。上位精霊士になれば証としてアネモネのバッジが進呈され、複数の下位や見習いの精霊士をまとめ、
マリーは現在、サシャが団長を務める〈
「見習いから下位に昇格するときはいつも魔獣捕獲と浄化が試験になるってアルが言ってただろ。試験用の魔獣を集めてて、それが逃げ出してきた、とかだったりしてな」
「今年こそ、今年こそ昇格してやるわ……!」
並々ならぬ決意と共に拳を天高く突きあげる。ふん、と鼻息も荒くなった。
先ほどの魔獣捕獲でも指摘されたように、マリーは最後の詰めが甘い。自覚はあるし気を付けるようにしているが、混乱するとどうしても抜けてしまったり、慌てるのだ。試験不合格の原因もそれにある。また落ちてしまうと、魔力の扱い方や剣の指導でそれぞれ世話になっているサシャとアルベールに申し訳ない。
ぐう、と腹が鳴る。朝から何も食べずに行動していたのだ。イチゴ数個で腹が膨れるわけがない。
「あ、そうだ。今日の朝ごはんの当番アルだった!」
「アルの飯、美味いんだっけか」
「うん。あたしや師匠よりも上手」
これまで食べた中で最高だったのはあれで、また作ってほしいのはこれだと熱弁していたマリーだが、ふとフランを見ると切なげに笑っていた。
そういえば、精霊は人間のように形あるものを食べられないのだった。
どれだけ語っても、マリーとフランでは食事の感動を共有できない。途端に申し訳なくなり、マリーはしょんぼりと肩を落とした。
「ごめんね、フラン」
「そんな顔するな。お前は笑ってる方が可愛い」
くしゃりと頭を撫でられる。さらりと褒め言葉を言われ、マリーの頬がわずかに赤くなり、胸がきゅうっと締め付けられた。
「それに飯が食えないってことは、お前のド下手なモノを食わなくてもいいってことでもある」
ほんのりとした高揚感が瞬く間にどん底に叩き落とされる。
「これでもちゃんと腕前は上がってるんですー!」
「どうだか。この前のサシャなんて、一口食った途端顔を青くしたんだろ」
「塩をちょっと入れすぎただけよ。それに師匠の反応が大げさすぎるの!」
ムキになって言い返しているうちに段々とおかしくなってきた。どちらからともなくぷっと吹き出し、けらけらと笑っていた。
マリーはイチゴを一粒手に取り、日差しにかざした。陽をたっぷり受けて豊かに膨らんだ実は、つやつやと輝いて、まるで宝石だ。酸味と甘味の混ざり方も一粒ごとに異なって面白い。一つとして同じ味のものは無いのだ。
「私ね、小さい時からイチゴとか好きなの。ブルーベリーも、ラズベリーも」
「? そうか」
何を言いだしたのだろう、とフランは小首を傾げている。不思議そうに少しだけ細められた瞳の色は、マリーの好きなものにとても似ていた。
「ラズベリーってね、隣の国だと違う呼ばれ方をしてるの。『フランボワーズ』って」
「……もしかして、あれか? 俺の名前の由来の話をしてるのか?」
「うん」こっくりとうなずく。「フランの眼の色はね、フランボワーズにちょっと似てるの。初めて会った時にそう思って、名前にしたの」
嫌だった? と訊ねると、彼は何度か目を瞬かせた後、ふっと雪が融けるような笑みで微笑んで首を横に振った。嬉しい、と言いたいらしい。ありがとうと言葉の代わりに、頭も撫でてくれた。
――ああ、いいなあ。
マリーは彼の笑顔に、声に、眼差しに、何もかもに弱い。微笑まれると胸の奥がロウソクに火を灯したようにぽかぽかと温かくなり、落ち着いた低い声で名前を呼ばれるとほっとして、瞳が自分を映していると思うと嬉しくてたまらない。
一目惚れ、というのだと思う。七年前に彼に出会って、見た目に魅了された。その後、相棒として常に共にいるようになり、フランは優しいだけでなく厳しいのだと知って、なおさら好きになった。彼はむやみやたらとマリーを甘やかしたりしない。それが嬉しかった。
とはいえ、彼に好意を伝えたことは一度もない。
自分は生きている人間で、フランは精霊、要するに死んだ人間だ。恋が成就する間柄ではない。それに、もしもフランに好きだと言ったとして、断られたら。そう思うと怖かった。
ちらりと横目でフランの顔を見上げる。彼の精霊としての人生は、マリーが「フラン」と名を与えた時から始まっている。
――じゃあ、その前は?
人間だった時、フランはどんな生活を送っていたのだろう。格好から考えて、貴族でないのは確かだ。
「昇格したら、その時にちゃんと教えてやるって約束しただろ」
「あっ、ああ、うん」考えていたことが口から漏れていたようだ。どこからだろう。一目惚れの辺りでないと良いのだが。内心の焦りを隠しつつ、マリーは頭をかいた。
「忘れたわけじゃないけどさ、でも気になっちゃって」
「話したところで、そんなに面白くもないぞ。それを言うならマリーだってそうだろ」
「私?」
「精霊士になった本当の理由、試験に合格したら教えてくれるんだろうな」
「……あー」
そういえば一昨年の試験を受けた時、フランの生前を聞きたがったマリーは、自分は精霊士になった理由を教えると約束を交わしたのだった。こちらも忘れたわけではなかったが、出来ればフランには忘れていてほしかった。
教えたくないわけではない、のだが。
「そんなに言いにくい理由なのか」
「そういうわけじゃ、ないんだけど」
――フランに、申し訳ないというか。
無意味に口内で言葉を転がす。マリーが渋い顔をしているからか、フランは訝しげに片眉を上げた。
「後ろめたい理由でもあるのか」
「ち、違うわよ! ちゃんと理由が……ん?」
反論しようとして、マリーは前から来る人影に気付いて足を止めた。
ペルレから伸びる太い道は、隣町に続くものとマリーが現在暮らす
真っ黒な
紫紺色の髪は細面を縁どるように切り揃えられている。顔つきから考えて、マリーと同じ年ごろの少年のようだ。
「おや、おはようございます」
少年はマリーに気付き、会釈をしてきた。
冷え切った夜の静謐な空気に似た、不思議な雰囲気を纏っている。
「あなたも〈獅子〉の方ですか」
「そうです、けど……」
マリーは直感的に覚えた怪しさに眉間をしかめた。
口元は友好的な弧を描いているのに、彼の菫色の瞳は全く笑っていないからだ。
そもそも他の精霊士を付近で見かけることは少ない。精霊団は明確に活動範囲を定め、お互いにそれを侵さないようにしているからだ。もし見かけるとしたら、強大な魔獣や近隣国との戦争などで共戦協定を結んでいる場合か、あるいは。
――活動範囲の、乗っ取りか。
「……上位精霊士」
マリーは彼の胸元で輝くバッジを見て唖然とした。水色のアネモネだ。
「僕は〈
こちらの動揺に気が付いているのかいないのか、アレクサンダーは優雅に腰を折る。
「〈獅子〉に、何かご用でしたか」
「ええ。先ほどまで団長さんとお話を。些細な提案をさせていただいたのですが、容赦なく断られてしまいましたので帰るところです」
やれやれと言いたげに首を振り、彼はマリーの横を通り抜けていく。背中には悠々と羽を広げる烏の紋章が縫われていたが、糸の色を見てマリーは口をあんぐりと開けた。
精霊団団員は民族衣装の背中に所属する団の紋章を白か黒で縫うが、団長と副団長に限り、立場がそれと一目で分かるように、団長は金糸、副団長は銀糸と色を変える。
アレクサンダーの紋章は、光を浴びて輝く金色だった。
自分と年齢がそう変わらないように見えるのに、かなりの実力者のようだ。
「ああ、そうだ」
ペルレへ歩みを進めていた彼が脚を止める。振り返りざま、杖の石がカッと瑠璃色に煌めき、
「っ!」
咄嗟に剣を抜いて振り上げる。フランはマリーが柄を握ると同時に石に入っていた。橙色の輝きが奔ると、足元の地面が壁のように盛り上がる。直後、どうっと轟音がし、頬に冷たいものが触れた。
「水……?」
「反射神経は悪くないようですね」
楽しげな声が届く。ばしゃばしゃと土壁に水が当たり続ける音が聞こえ、勢いは衰えない。壁を維持し続けて何分たっただろう。ようやく水が静まった。様子を見ようと顔を出しかけたが、第二弾が来ないとも限らない。用心に用心を重ねて、怖々と顔を覗かせた。
マリーとアレクサンダーの間の地面は、大量の水を受けて泥沼と化していた。
「いきなり何なの!」
上位精霊士に対する敬意も忘れ、マリーは声を荒げた。
初対面で、交わした言葉も少ない。だというのに、アレクサンダーは突然、滝のような水をぶつけてきたのだ。寸前で防げたから良かったものの、直撃していたら体は押し流されていただろう。無事では済まなかったはずだ。
「大体、精霊士同士の戦闘は許可された場合を除いて禁止されてるでしょう!」
マリーの抗議に、彼は「試しただけですよ?」と首を傾げた。
「なるほど。団長さんの教育は悪くないようです。が、精度はいまいちですね」
「はあ?」
「いや、しかし……ふむ、良いものを見つけたかもしれません」
「なにをぼそぼそ言ってるのよ」
「また近いうちに来る、と団長さんにお伝えしておいてください。それでは失礼します」
「ちょっ、ちょっと!」
結局やりたいことだけやり、言いたいことだけを言って彼は今度こそ去っていった。追いかけようかとも思ったが、また水をけしかけられてはたまらない。不満は残るが我慢した。
「なんだったんだ、あいつ」呆れ顔のフランが横に並ぶ。「よく反応出来たな、さっき」
「自分でも驚いてるわよ。あーもう、びっくりした」
ひとまず胸を撫で下ろして剣を収める。と、アレクサンダーに遭遇する前より腕が軽い事に気が付いた。
あっと声を上げてようやく気が付く。先ほどまで抱えていた土の椀を地面に落としていた。中身も派手にぶちまけられてしまったが、幸運なことに汚れただけで潰れていない。イチゴも無事だ。
二人で野菜や果物を拾い集めていると、フランが頭痛を堪えるように眉間を揉んでいた。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと眩暈が」
「神力を急激に供給されて疲れたんじゃないの?」
「……そうかもしれないな」
椀を再び抱え直したところで、一抹の不安が頭をかすめた。
同じことを考えていたのか、フランの視線が道の先にある精霊団拠点に向けられる。
「あんな人と話して冷静でいられると思えないのよね。怒って暴れてないといいけど」
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