「友だち見つけた?」

末咲(まつさき)

「友だち見つけた?」


「友だち見つけた?」

 その女性はスマホを片手にしなを作って、わたしに笑いかけました。某県のとある森のなかの切り株に腰掛けています。SNSに書かれていた通りです。それを検索した自分のスマホを両手に押し抱き、わたしは喜びや恐怖より戸惑いで視線を彷徨わせました。

「ま、まだ、これから探すところで、」

「そうなの? まあ気楽に探しなよ。あ、小さな森だからって油断しないでね。そのリュックの中身は食糧や防寒着とかだよね。遭難とかマジでやめてね、迷惑だから」

 女性は人懐こい笑顔で明るく話すと、スマホに目を落としました。なんだか拒絶されたような気分で胸が抉れたけれど、わたしはなんとか喉から「わかりました」と捻り出し、女性の前を通って森の奥へ続く土道に入りました。


 わたしは小さい頃から人見知りが激しく、母にくっついて離れないような性格でした。幼稚園の送迎バスが来るたび泣き喚き、到着早々嘔吐して、母が迎えに来たのを覚えています。友人と呼べる人はいた気がしますが、幼稚園、小学校、中学校と進むうちに減っていき、高校でレキちゃんだけになりました。

 レキちゃんはとても社交的でオシャレな女の子でした。地味でほとんど喋らない根暗なわたしとは正反対で、何故わたしに親身になってくれたのか不思議なくらいです。

 ええ、おわかりですよね。レキちゃんにとってわたしはフレンド数の水増し要員なんです。SNSのフォロワーの一人。いないよりはいるほうがマシ。その程度の存在でしかないのは重々承知していました。遊びの数合わせに呼ばれることすら稀でしたが、わたしが教室でぽつねんと読書していると、「何読んでるの?」と気さくに声をかけてくれることもありました。これも周囲へのポイント稼ぎだとわかっていましたが、わたしは嬉しくて舞い上がって言葉に詰まりながらも、レキちゃんはひとりで会話を展開し、わたしは相槌を打つか頭を振るだけで済むようにしてくれました。ああ、そういえば先生から「モハマと仲良くしてやれよ」と言われていたのを盗み聞きしましたっけ。モハマはわたしの苗字です。

 わたしの存在は空気というより空虚でした。レキちゃんのような生き方に憧れますが、同時に面倒臭いとも思うので、そもそもコミュニケーションが根本的にダメなのかもしれません。

 そんなとき、この森の噂を聞きました。というより、レキちゃんが二ヶ月前にSNSで呟いていました。

「友だちがいる森」

 某県の某森の奥にある祠を拝むと、本当の友だちに会えるという都市伝説です。森を正しい手順で進むと、切り株に腰掛けた女性がいて、「友だち見つけた?」と尋ねられる。そのとき「いる」と答えてはならない。女性に妬まれて森から出られなくなる。「いない」と断るのもダメだ。女性に同情されて森から出られなくなる。女性には「これから探す」とか「友だちと待ち合わせしている」とでも話すといい。それ以外だと祟られる。

 その女性らしき人物とは先ほどお会いしました。だから戸惑ったのです。

 都市伝説って本当にあるのでしょうか。

 森の中はしんとしていて寂しいくらいです。外では蝉の合唱があんなにやかましかったのに。梢は密に繁茂していて青空があまり見えません。薄暗いなか、祠へ続くらしい土道をまっすぐ進みます。獣道にしては広い気がします。人が何度も往復してできた道なのでしょうか。

 慄きながらもしばらく歩くと、いきなり森が開きました。まあるい草地をぐるりと木立が囲んでいる中央に、苔生した石造りの小さな祠がありました。朽ちかけた格子の木の扉がついています。わたしはしばし絶句して、よろよろと祠の前に跪くと、重たいリュックを横に降ろして、祠の中を覗き込みました。格子の中は真っ暗で何も見えません。扉を開けるか躊躇していると、ふと空が赤くなっていることに気付きました。いつの間に夕方になったのだろう、まだ夏なのに。

「レキちゃん……」

 わたしは祠に話しかけました。

「迎えに来たよ」


 レキちゃんが行方不明になったのは一ヶ月ほど前です。ご家族の方が通報し、高校にも警察が来て騒然となりましたが、一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、夏休みに入ってもレキちゃんは見つかりませんでした。あれだけたくさんいた友だちの中で、本気でレキちゃんの安否を心配し、探したのはどれほどだったのでしょう。SNSのやり取りを盗み見ても、今では夏休みの課題や趣味の話題ばかりで、レキちゃんのアカウントに話しかける者はいません。DMは送ったかもしれないけど、無反応だから放置しているのかな。

 レキちゃんの住所を探し出して行ってみたけれど、古いアパートはいつ来ても誰もいなくて薄暗く、オシャレで華やかでみんなの輪の中にいたレキちゃんとはかけ離れた雰囲気でした。

 レキちゃん、レキちゃん。

 あなたは何故「友だちがいる森」を呟いたの?

「『友だちがいる森』ってほんとにあるのかな」

 そこから詳細な記述をしてまで、レキちゃんはどうしたかったの。

 ねえ、レキちゃん。

「あなたも本当は寂しかったんじゃないの」

 祠の格子戸は古めかしい割に案外あっさり開きました。だらりと白い手足がはみ出てきます。こんな小さな祠に体を無理やり押し込められたらしいレキちゃんが、わたしを見て、顔を顰めました。

「……なんでえ、なんでよりによってアンタなの?」

「レキちゃん、見つけた」

「キャウコでもシャンジでもよかったのに、ヒビナでもカオトでもよかったのに、なんでアンタがアタシを見つけたの。ねえ、モハナ」

 わたしは精一杯の笑みを浮かべました。

「わたしがレキちゃんの『本当の友だち』だからじゃないかな」

「最ッ悪、冗談言わないでよ。アンタ、うざいんだよ、アンタの世話を押し付けられて面倒だったの気付かなかったわけ、頭ん中お花畑じゃないの」

 レキちゃんは唾液と鼻水と涙で濡れた顔をさらに歪めました。

「疲れたの、面倒事を押し付けられるのも、愛想を振り撒くのも、女子のマウントの取り合いも、男子の下心丸出しのセクハラも。友だちなんて要らない。『本当の友だち』なんてこの世にいるわけない」

「それはレキちゃんの『理想の友だち』のことじゃないかな」

 わたしは思いを馳せます。レキちゃんが社交的なのは寂しさの裏返しで、わたしみたいなヒエラルキー底辺の世話を焼くのは世間体のためだとしたら。

「この世に理想的な人間関係なんて無いよ。そんなロマンチックな現実逃避は疲れるだけだよ」

 レキちゃんの真っ青な顔が真っ赤に引き攣りました。

「知ったかぶるなよ、ブス! アンタにわかるわけない! アタシの苦労も疲弊も、」

「わかるわけないよ。わたしが話しているのは『理想のレキちゃん』だもの。レキちゃんが言うわたしも『理想のモハナ』でしょ?」

 そのときです。

「ねえ、友だち見つけたあ?」

 後ろから媚びたような女性の声がしました。レキちゃんがあからさまに顔を引き攣らせて「ひいいいっ」と身を捩ります。わたしは重たいリュックを引き寄せると、中身をドシャリとひっくり返しました。

「これから友だちになるんです。あなたの友だちも連れてきましたよ」

 大きな保冷バッグに詰め込み、冷凍保存した『頭』を後ろの女性に差し出します。スマホを片手に見下ろす人影は赤い空のせいか二メートル以上に伸び上がって見えました。

「ふうん、……まあ、頑張りなよ」

 女性はスマホを揺らして、もう片方の手で保冷バッグを掴むと、ゆらゆら揺れながら木立に消えていきました。

「レキちゃん」

「ひいっ!」

 ああ、哀れなレキちゃんは失禁して怯えきっていました。わたしは思わず苦笑します。

「レキちゃんは調査不足だったんだよ。あのヒトを回避するには貢ぎ物が必要なの。貢ぎ物があのヒトの『友だち』になる。だから、今のうちに逃げよう。大丈夫、今なら森から出られるよ」

 レキちゃんの腕を掴もうとしましたが、振り解かれました。

「いま、今の、頭、」

「あれはスイカだよ。中身が赤ければ何でもいいみたい。さあ、帰ろう、レキちゃん」

 わたしはすっかり痩せ衰えたレキちゃんを引き摺り出して肩を貸すと、軽くなったリュックを腕にぶら下げ、念のために自分のスマホを祠に納めて扉を閉めました。これであの女性も寂しくないでしょう。

 森は来た道よりあっさり途切れ、蝉の鳴き声と青空が戻ってきました。リュックに入っているお財布の中身を思い出しながら、わたしは何故か爽快感を抱いていました。常に無い積極さでレキちゃんの耳元に明るく話しかけます。

「このまま遠くに逃げてもいいんだよ、レキちゃん」

「……冗談、疲れた、帰る」

「うん、帰ろうか」

 わたしたちの日常へ。

 田舎道を駅舎へ向かう道すがら、レキちゃんはまだ知りません。夏休みに入ってから、レキちゃんの友だちが四人も行方不明になっていることを。

 後日、新しく買ってもらったスマホでレキちゃんとLINEのやり取りをしていると、たまにメールが届きます。

「友だち見つけた?」

 わたしは微笑んで、返信はせずにメールを保存しています。



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