第10話 回想:結婚する
大学を卒業したその次の日。
とある夕暮れ――『崩壊した夕暮れの日』と呼ばれるあの日の事だ。
やけに赤い夕陽だと思っていた。その時、橙花は第二学年生として中学校に通っていて、部活動の帰り道だった。
唐突な爆発音に体が震える。「逃げなきゃ」そう、思った。だというのに体は動かず、そこに立ち尽くした。だけれど、両足で立つ。
「クク、フハハハ! もっと壊せ! 破壊し不幸を振り撒くが良い!」
その声に顔をあげた。
そこには赤い空を背に電柱に腰掛けた異様な男が居る。
長い銀髪を夕陽に煌めかせ美しい顔を持った、虚ろな闇のような男が。
姿の美しさに、一瞬だけ見惚れた。それは否定できない。
だが、こんな惨状を嗤う者が居るなんて信じられないと思った。
だから。忘れないように、男の事を目に焼き付けておこうと思った。この悔しさを忘れないために。
だから、『第一印象は?』なんて聞かれれば『最悪な男だった』としか言いようがない。
第二印象も、弱い者に手を掛けようとして、その次もずっとずっとずっと、最悪な男だった。
だから、なぜ自分が結婚を受け入れたのかが分からなかった。
×
「きっとね、きみの顔が良かったからなんだよ」
新婦としての
「唐突に何を」
彼の動く気配がしたが「新郎さん動かないでくださいねー」と同じく葦月を綺麗にしているスタッフに動きを止められているらしかった。
「だって、それ以外にきみの良かったとこなんて思いつかない」
これは結婚式の当日にする話じゃないな、と思いつつもう、一度口に出てしまったので橙花は最後まで言う事にする。
「そうですか」
対して、葦月は衝立越しでも判るほどに、橙花の話す言葉に興味を持っていない様子に感じられた。まあいいか、と、なんとなく胸が痛むが彼はそういう人なのだ。
「うん。だから、きみはきみの顔の良さに感謝した方が良い」
「そうですか」
平坦な返事が返される。さっきと全く同じ発音だった。
それから、無言の時間が続く。
なんとなく、スタッフの「なんで今それ言ったし」みたいな視線を感じたので、これは良くない空気か、と思った。衝立があるので葦月が実際どう思っているかなんて分からないが、きっとそれは良いものではないのだろう、と少し考える。
だが、思い出してしまったから口に出したし、言ってしまったものはしょうがないよなぁ、と橙花は開き直った。
「私は」
「ん?」
唐突に、彼が口を開いた。
彼が会話を続けようとするのは珍しいことだ。だから余計な口は挟まずにそのまま相槌を打つことにする。
「貴女の目の美しさと、」
「うん」
「力が足りないくせに周囲に手を差し伸べる優しさと、意思を曲げない芯のある性格に惚れ込みました」
「え」
『目』についてはいつも隙あらば見ようとしてくるもんなぁ、と納得ができる。だが、性格については初めて聞いたかもしれない。
「初めて相
大きくはないが凛とした声で、彼ははっきりと告げた。
「だから、私達はある意味で似た者同士です」
「……」
そこまで言われてしまえば、何も言えなくなってしまう。ほんの、ふと思いついたような言葉に、こんなに真剣に答えるとは思いもしなかった。
「なんですか」
何かしらの反応を返すとばかり思っていたので、静かな橙花に葦月は声をかける。知らず、『気まずさ』と言う感情を学んだらしい。
「きみ、意外とわたしのこと……見てたんだって思って」
「そう、理由を付けねば納得しないでしょう、貴女は。だから、随分と考えさせられましたよ。ずっと、貴女との会話全てを思い出して、貴女を見ていた本当の理由を探した」
淡々と、彼は言葉を紡いだ。
「……」
「どうしました」
「そーゆーとこ嫌い」
「は」
急に返された『嫌い』の単語に葦月は固まるも「新郎さんそろそろですよー」と式場のスタッフに呼ばれた。
「ほらそろそろ時間だよ、先に行って」
「し、しかし」
弁明の隙もなく、「こっちでーす」と二人は引き離される。
「……ほんと、きらい」
恥ずかし気もなく、かなり情熱的な言葉を吐くところ。それでいて、当人は全くそんな素振りも見せないところとか、冗談なのか本気なのかも分からないところとか。
残された橙花は、思わぬ羞恥で顔から肩周辺まで赤くしていた。
×
純白のチャペルの中、
橙花は今、純白のドレスに身を包み、顔は薄いベールに覆われている。長い
親戚、友人達の嬉しそうな顔や事情を知っていて微妙な顔、など色々な表情がある。
ぐすぐすと鼻を啜る音にふと視線を上げれば、父が泣いていた。内心ぎょっとしたものの、大人しく付いて歩く。
それからその手を離し、橙花はこれから先を共に歩む
彼は微笑んでいる。
『なんだ、そんな顔もできるんだ』と、小さく思った。
差し出された手を取り、隣に並び立つ。
「新郎、あなたは隣に立つ女性を妻とし
健やかなる時も 病める時も
喜びに充ちた時も 悲しみ深い時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを
愛をもって互いに支えあうことを
誓いますか?」
「はい。誓います」
問いかけに、葦月は頷いた。
非常に抑揚のない、本当にそう思っているのか怪しい淡々とした返事だ。しかし周囲が騒がしいので、そんなことは気にされないだろう。
「新婦、あなたは隣に立つ男性を夫とし
健やかなる時も 病める時も
喜びに充ちた時も 悲しみ深い時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを
愛をもって互いに支えあうことを
誓いますか?」
「はい、誓います」
本当に愛し合えるかなんて、分からないけどね。
そう思いながら、いつかは愛し合えたらいいな、と橙花は少し思ってみる。
「では、指輪交換を」
差し出された二つの指輪を、まずは片方を葦月が受け取り、橙花の左手の薬指にそっと通した。次に橙花が残った指輪を受け取り、葦月の左手の薬指に通す。
「それでは、誓いの口付けを」
合図と共に、葦月が橙花の顔を隠していたベールを上げた。
そうして。二人は初めて、
「……綺麗ですよ」
「そ、そんなこと。急に言わないでよ」
短く会話を交わした後、二人は唇を重ねた。
×
それから、結婚式はお色直しや友人関係者のスピーチ等を挟み、夕方まで続いた。
「ふぃー、もうつかれた。動きたくない」
純白のドレスのまま、
二人は今、結婚式を挙げたチャペルのあるホテルの一室にいた。本日二人はそこに泊まって、それから解散する。挙式で疲れた二人を癒すとかいう気遣いとかそもそもがそういうプランだった。
「橙花」
ふと葦月に名を呼ばれる。
「なーに、導引さん」
「結婚したでしょう、名前で呼んでください。そう言う約束だったはずです」
「あ、そうだった。なに、葦月さん」
確かにそのような約束をしていた。なので抵抗なく名前呼びに変える。答えながら、『この人、昔はフルネームで呼んでたよな』と思い出す。いつから名前呼びになったのだろうか。
「……本日の結婚式、誰かに何かアドバイスをされましたか?」
どこか、その声は感情を抑えているように感じられた。彼はジャケットをハンガーにかけている。しわにならないよう気を使っているらしい。
その様子を、ちら、と見ながらも『珍しいな』としか橙花は思っていない。
「『なにか』? うーんと」
少し考え、
「あ、そうだ。きみのところでの
と答える。
数秒、無言で見つめ合う事が『
「確か、『5秒以上見つめ合う』とか、そう言う感じのやつ」
「……そう、ですね」
少し目を細め、葦月は軽く頷いた。間違いでは無かったらしい、と少し安心する。
「ところで。見つめ合う時間にも、意味がある事は?」
言いつつ、葦月が橙花の座るソファの、空いている箇所に腰掛けた。彼の重さで少しソファが揺れる。
「え、そんな事あるの?」
驚く橙花をよそに、葦月は彼女のドレスに手をかける。思わずその手をはし、と掴んだ。
「え、何?」
「脱がして差し上げます。服が傷むでしょう?」
それもそうか、と思い直す。そもそもドレスは一人では脱ぎ難い構造をしていたし、橙花自身は疲れ切っていてあんまり動きたくなかった。
「1秒程度なら信頼、3秒程度は友愛、話しならが見つめるのは真偽の確認と信用」
「へぇ、なんか複雑だね?」
チャックを下され、ぷち、とホックも外される。胴回りの締め付けが緩み、ほ、と息を吐いた。
「
「へ?」
ぱさり、と落ちた服に、急に心許ない気持ちが湧き上がる。
そういえば、ドレスの下は。
「敵意でも故意でも、関係なく」
言いつつ、彼はドレスを解く手を止めない。その合間に、コルセットが緩んで太ももに落ちる。
「わ、」
唐突に両脇腹を掴まれ、持ち上げられた。
そのままするりとドレスから引き抜かれる。戸惑っていると、彼はそのまま橙花を横抱きにする。
「挑発の内容は、互いの関係に由来する。私と貴女の場合は……
そのまま葦月は彼女をベッドにまで運ぶ。
「ちょっと待って」
「ようやく、私の目を見て下さいましたね」
見上げるその目は、熱を孕んでいた。
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