第9話 回想:大学を卒業する

「卒業おめでとう!」


 2年前、大学を卒業した。

 それは素晴らしい事である。そう、そのはずなのだ。

 ストレートで卒業したとなれば面倒な入学の試験や面接を合格し、それから四年間毎日学校に通って課題を済ませて単位を取得し、後半になればその上卒業の為の研究やら論文やら作品やらを書いて作って発表して教授達に『卒業してよし』と、許可をもらったのだから。

 更に、それが『人気の有名難関大学』となれば並大抵の努力では済まないだろう。

 だから、素晴らしい事のはずだ。


「……はぁ」


 爽やかな水色の地に可愛らしい黄色い花や鮮やかな赤い花が咲き誇る振袖に深い赤と黒の市松模様が薄く入った袴を穿いた女性は、溜息を吐く。


 その女性、立花橙花にとって、今が最高に憂鬱な日だった。


 別に、学友達と離れるのが嫌で憂鬱な訳じゃない。

 親しい人との別れは高校や中学、小学校時代でさえ学校が変わる度に味わっているので今更である。今の時代、連絡先さえ知っていれば会話は可能であるし、動画を送ることだってできた。事実、橙花の持つ連絡先で高校や中学を過ごした友人の連絡先は知っているし、メッセージアプリで会話をすることもある。だがまあ、幼稚園や小学校時代からの知り合いの連絡先なんて片手で数える程度しか残っていない。そんなものである。


 だから、橙花の憂鬱の正体は人との別れではない。その逆だ。


 そのことが、憂鬱だったのだ。


 橙花は明日、結婚する。

 それも、そこまで深く愛し合っていない相手と、だ。

 結婚相手は中学生時代からの知り合いであり、それから今までも長く顔を合わせたり会話をしたり、と恋愛を含まない付き合い等をした相手ではある。

 ただそれだけ。

 向こうはこちらには多少の興味があるだろう事は明確なのだが、それが恋愛かと言われると首を傾げる。ただの興味関心とか研究的な好奇心とかそんなところがしっくりとくる。

 そして、結婚を受け入れた橙花自身、彼をどう思っているのかが分からない。


 結婚の理由は至極簡単。『お互いの自由のため』である。

 色々あってこのままでは二人が共に研究材料好奇心の被害者になる運命は必然であった。

 だからこその、結婚である。

 そうすれば、『この生活を続けたらさらに新しい成果が手に入るかも』という餌を研究員達にちらつかせたのだ。


 勿論、橙花は結婚に夢を見ていない訳ではなかった。年頃の女子の様に、慎ましくも幸せな生活を送ってみたいと思っていた。要は、恋愛結婚にあこがれていたのだ。

 それが、よりにもよって『どう思っているかも分からない』相手と。

 だが「決まった事なら仕方ない」と諦め……もとい、受け入れた。


 橙花にとっての、相手への認識は『触られても不快じゃない』『長期間会話をしても面倒ではない』『多少の悪戯を許容できる』それくらいだ。

 拒否するほどの嫌悪はないし嫌なところも今のところはそうないので、結婚を受け入れた。きっと、相手も似たようなものだろう。


 なんとも、夢のない結婚である。


 恋愛を経てから結婚する、そんな細やかな夢が叶わなかっただけだ。


 それがきっと、憂鬱だったのだ。


×


 それから学科や研究室ごとでの別れの会が終わり、もはや言い逃れができないほどに自由な時間となる。あとは着物を脱いで放課後宜しく友人とファミレスだのカフェだのに寄って茶を飲むとか帰る以外に選択肢がない。


「はぁー、どうしよ」


深く溜息を吐いて椅子にもたれる。着付けが緩もうが着崩れしようがもう、用事は済んでいるので気にならない。がどうしても気が重い。


 悩んでいたその時、


「帰りましょう、橙花」


突如、背後から(しかも耳元で)囁かれた声に、ぞわりと震える。急いて振り返れば、しわのない黒いスーツを身にまとった男性が橙花をのぞき込むようにして立っていた。

 当然、彼が声の主である。


「導引さん!?」


思わず声が裏返った。

 スーツの男性の名は導引どういん葦月いつき。橙花の結婚相手である。


「なんでここにいるの!?」


「迎えに上がりました。ただそれだけですが」


表情を変えずに「何か問題でも?」と彼は首を傾げた。


「でっ、でも恥ずかしいよ……」


周囲を見回せばまばらに人が居る。彼らがざわついた様子はないので、きっと急に現れた訳ではない。


「恥ずかしい? 何故?」


「うーん、説明が難しい」


授業参観に親でなく親戚のお兄さんがきたような気恥ずかしさなのだが、説明をしても彼が納得するとは思えなかった。だから、曖昧に笑って誤魔化す。


「『大学を卒業したら結婚する』そういう約束でしたよね?」


真っ直ぐにこちらの目を見ようとする葦月から、視線を逸らす。

 直後、彼は残念そうに視線を逸らしたが、橙花は気付かない。


「まあ確かにそうなんだけどさ」


 言いつつ橙花は自身の格好を整える。

 だらしのない姿を葦月に見られたのも恥ずかしさに含まれるが、そこも橙花は言わないでおいた。


「挙式は明日ですよ」


「知ってる」


葦月の顔も見ずに答える。一体いつから挙式の話をしていたと思っているのだろうか。

 橙花が高校生になった頃にはもう、その未来は決まっていた。

 だから、橙花は放課後や休日などに、学校や部活のない日には葦月の様子を見に行ったり葦月と会話をしたりしたのだ。それは恋愛の様な熱はなく、かなりプラトニック、というかそっけなく味気ない日々だった。

 お陰で一般的な『青春』とやらから、やや遠い学生生活を送った記憶がある。


「貴女の引っ越しは追々になりますが」


「それも分かってる」


行き先は大学の寮から研究施設の監修する特別な家へ。大学の寮にあった荷物のほとんどはもう送ってあるので、あとは実家にある橙花自身の細々とした荷物だけなので、そこまで大袈裟ではない。

 だが、橙花と葦月がこれから住む家は研究資料として、きっと盗聴系統の機能も備わっているのだろう。

 自身の生活音を聞かれるとなるとやはり、嫌に思えた。


「……何か不満がありますか」


「不満の話をしたら色々と尽きないけど、それはきみに言う話でもないし」


盗聴しないでほしいだとか青春を返せだとか、言っても仕方がないだろう。だが


「多少は聞きますが」


そう、なぜか彼が少し食い下がるので、ひとまず思った事を口にした。


「じゃあ、言うけど。卒業後に即結婚ってさすがに早くない?」


別に、一年とか数ヶ月、数週間、数日とか日付をずらすくらいはできたはずだ。だけれど、「卒業式の次の日で」と、葦月が指定したのだった。


「そうですか? 祖国では結婚の概念がないので良く分かりませんが」


「うん、そーいうところ。結婚とか家族っていうのは、きみの国にはない概念なんで

しょ? だからきみに言ってもしょうがないよ、多分」


「……そうですか」


 その時の彼が残念そうに見えたのは、きっと気のせいだろう。


×


「貴女の理想とする『結婚』『家族』とは何でしょう」


 大学を出て橙花の実家に帰る道を、葦月が車で送ってくれると言った。断る理由も無かったので、橙花はそれに乗る。明日の結婚式の準備もあるし。


「急にどうしたの?」


運転のためにまっすぐ前を向いたままの葦月に、橙花は視線を向ける。

 顔を見る限り、彼は至極真面目に主張しているらしい。


「私はそれを知らないのなら、固定概念にとらわれずに、貴女の思う『結婚』や『家族』の話ができるでしょう?」


「……そうなのかな?」


そこまで言ってくれるなら、とそんな気持ちがもたげてくる。


「ともかく、これより共に暮らすのです。私は結婚や家族について、辞典等を調べれば分かる程度の知識しかない。だが貴女にはある程度の理想がある。相談もなく勝手に理想を押し付けられて幻滅され、仲違いをするよりも目標設定があればある程度はマシにはなるでしょう? それに即日研究資料になる運命より逃げられたのですから、延命作業はしておくべきです」


「やっぱりそれが目的かぁ。というか、仲違いは最初からしてるじゃん。わたしは魔法少女マギカ暗黒の国きみと敵対した側なんだから」


彼の言葉の後半に、橙花はやや肩を落とす。実際、お互いに研究資料になるのを先延ばしにするために結婚を決めたのだから彼の主張はある意味で正しい。


「だまらっしゃい。そういう話ではないのです。私は、貴女の理想が知りたい。可能な限り叶えるために」


「ち、ちょっと恥ずかしいなぁ」


対面だったら間違いなく目を見ようとしてくる。そう判るほどに、彼は真剣に橙花から話を聞こうとしていた。


「それとも、見え見えの契約結婚でもしますか? そのまま冷え切った家庭を築き『やっぱり結婚させても意味がなかったな』と私をさっさと研究資料にするのですね、貴女は」


「ねぇいま、聞いたことない脅しを受けてる?」


「情報提供はなるべく早く多い方が得ですよ」


「仕方ないなぁ……」


ぽりぽりと頬を掻き、橙花は恥を忍んで自身の理想の『結婚』と『家族』について口にする。


「ええと、わたしは……――」

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