第6話 ジェシカ
二日の道のりをかけてジェシカのいるウォルター領へと無事ついた。
私は気合いを入れたドレスに身を包み、庭園を見渡す。
春の風がスカートをなびかせて、花の香りを届ける。
スズランの香り。
ジェシカの香り。
おどろおどろしい屋敷の前で私はおもむろにドアをノックする。
貴族の身でアポなしはまずいかもしれない。
そんな気持ちが湧いてきたが、今はそれを議論している余地はない。
あの能面イケメンなジークがあれほど、感情を発露させるのは何かあったに違いない。
それに一夜を友にした仲と聞けば、私は黙っていられない。
あの人にも手向けができない。
私は幸せになりたい。
ジークを幸せにして見せる。
そのためなら火の中に飛び込むのもいとわない。
私の気持ちは固まった。
だから、あとはジークの問題。
それを解決するにはジェシカの言葉を聞かなければならない。
私はそのために来たのだ。
「どちら様ですか?」
ドア越しに少し高いトーンの声が響く。
ここには彼女と私しかいない。
そう思わせる何かがある。
不安と緊張で泡を吹きそうになるが、今は抑え込まなくちゃいけない。
「キャリー=カーターベルです。ジークフリートの件で参りました」
「……ジークフリートの子飼いが何しにきたの?」
声がツートーンほど下がった。
警戒の色と、攻撃の意思を感じた。
でも退く訳にはいかない。
「あなたはジークのことを知っているのね?」
「本気?」
その意味が分からないけど、私にとっては本気で挑むために来ている。
「本気です」
そう返すのが正しいのか、分からない。
でも前に進まなくちゃ、何も得られない。
もう一歩も退きたくない。
それで得られるものは何か、分かっているから――。
「分かったわ。話をしましょう」
いつまでも退かぬ私に、じれた声で応じるジェシカ。
きぃっと木製のドアが開くと、そこには黄色いドレスに身を包んだジェシカがいた。
切れ長の茶色い瞳がこちらを睥睨するかのように見下ろしている。
「来なさい」
そう言って蒼穹の空の下、庭園に設けられたお茶会用の白いテーブルと、同じく白い椅子に腰をかける。
ジェシカが彼女の従者に視線を向ける。
「アンジェリ―。紅茶とお砂糖の用意を」
砂糖。
カーターベル領では高級品であり、あまり入手できない。
このウォルター領では砂糖が手に入るの。
料理に使われる砂糖もあるので、貴族の娯楽と化している材料は強い。
この領地がどれほどの気位の高さがあるかを示している。
用意されたお茶っ葉もかなりの高級品である。
「わたくし、ジークフリートとは幼馴染みなの」
「え!」
ジークにそう呼べる人がいるとは聞いていなかった。
そしてそんな関係性なら婚約を破棄するとは思えなかった。
幼馴染みなら結婚したいと思うのでは?
「でも、わたくしフラれてしまったのよ」
残念そうに呟くと紅茶に角砂糖を溶かすジェシカ。
私も真似るように、恐る恐る角砂糖を溶かす。
そして口をつける。
甘い。
美味しい。
こんなに贅沢な時間を過ごせるとは思わなかった。
「わたくしが意地悪ばかりしてきたからね」
苦笑を浮かべるジェシカ。
「そう、なのですね」
驚いた。
ジェシカは悪い人かと思ったけど、違うみたい。
「過日の夜会のときと一緒ね。あの能面を見ているとつい口を挟みたくなるの」
それだけなのだろうか?
私はもっと深い意味合いがあるように思えた。
「ジェシカ様、もしかしてジークのこと、好き、なのですか?」
ピクッと眉根をあげて顔をしかめる。
纏っていた雰囲気が冷たく、居心地の悪いものへと変わっていく。
地雷を踏んだ――そう思ったときには遅かった。
「わたくしの気持ちがあなたにはおわかりになって?」
鋭く冷たい口調と表情から、私は身を縮ませる以外に道はなかった。
ジークが聞いたらどう思うのか。
政略結婚になっていたかもしれないお人だ。
それだけの価値があるとも知っていたに違いない。
それでも彼は私を選んだ。
幼馴染みであるジェシカを置いて。
彼女ほど力強い女性もいない。
芯の強さだけではない。気高い一匹狼のような気の強さを持ち合わせている。
そこに花のような甘さが見える。
可憐で乙女な一面もあるように思える。
だけど、今はその嫉妬心が見え隠れしている。
「あなたがジークフリートを変えたのね」
静かに怒りを見せる。
彼女は賢い人だ。
今の立場を理解した上でいち貴族として話している。
「あなたは選ばれたのよ」
どこかとげのある言葉を口にしている。
そのとげは自身の身体も傷つけていると知らずに。
私が謝罪しようとさえ思うほどに。
それ事態も失礼にあたいすると知りながらも。
彼女はつらつらと彼への嫌味と、私への嫉妬を向ける。
「あなたにはわからないかもしれないけど、彼はわたくしに怯えているのよ」
知っている。
ジークは本当は弱い人だ。
こうなることをある程度知っていて、私はここに来た。
そう思っていたはずなのに。
ジェシカが可哀想に思えてきた。
怒りも、嫉妬心も。
どこにもぶつけることができずに、自己の中で精算しなくてはならない。
そんな貴族としての生き方しか許されない。
感情を表に出してはいけない。
民衆から揶揄されるから――。
めざとい民衆はたった一度の間違えでさえ許してはくれない。
一度の政策不信を買った彼女が未だに貴族でいられるのはそれ以外の功績があるから。
それさえも歪ませてしまう、ジークに対する想い。
これは一生、表に出せない。
「あなたがいなければ――っ!!」
嫉妬で歪んだ顔を見て、私は勇気を出すと決めた。
すっとジェシカを抱きしめる。
「すみません。私はあなたの気持ちも考えずに踏み込んでしまいました」
柔らかく、物静かに口を滑らせる。
これは本音だ。
彼女が本音で向き合ってきたのだ。
私も本音で向き合うべきなのだ。
今ここでは貴族ではない。
いち個人として。
一人の女性として向き合わなくちゃいけない。
彼女を抱き寄せると、その細目な身体が震える。
「あなたは何も悪くない。ずっと耐えてきたのですね」
「そう。そうよ! ずっと耐えてきたの! ずっとよ!!」
そばにいた記憶も。想いも。
全てをなげうって彼女は貴族を演じてきた。
隣にいるのが当たり前と信じて。
「わたくし、〝好き〟と申したのに!」
伝えることを怠った訳でもない。
一度でも婚約したのだ。
だから、本当の意味で好きだったのかもしれない。
ジークはそれが政略結婚と思っていたのかもしれない。
それでも彼女を傷つけたのは彼だ。
彼もまた彼女によって傷ついたのだ。
誰が悪い訳でもない。
ちょっとすれ違った。
その先が否定だった。
「彼はあなたを一度でも恋していたのでしょう」
だから夜会のときに動揺していた。
顔を背けていた。
「でなければ、ここまで動揺する彼じゃありません」
「! そう、そうなのよ! わたくしは……!」
むせび泣き続ける彼女をそっと撫でる。
こんなに華奢な身体で、ずっと貴族を演じてきた。
ずっと耐えてきた。
それがどれだけ大変な道なのか、私はまだ知らない。
私もいずれ貴族のルールに縛られるのかもしれない。
彼女のように泣くときが来るのかもしれない。
もう迷わない。
私は彼女の想いも背負って生きていくんだ。
だからジークとも結婚した。
一人の幸せじゃない。
みんなの幸せだ。
それを背負って生きていくんだ。
しばらくして落ち着いてきたジェシカは私を突き放す。
「は。ただの平民上がりのあなたには何も分かりませんわ」
「そうですね」
苦笑から、笑い会う私たち。
少しは仲良くなれたのかも。
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