第5話 能面イケメンは落ち込む

 翌日になり、どんよりとした曇り空の下。

 私はゆっくりと身体を起こす。

 昨日はジェシカのことで頭がいっぱいだった。

「あばばば」

 思い出しただけでも泡を吹いてしまう。

 一度吹いてから、起き上がると、さっそく着替えを始める。

 それもメイドが手伝ってくれる。

 コルセットはないけど、締め付けがあるドレスに身を通す。

 結婚したんだ――。

 その思いが少し浮ついた気持ちにさせる。

 心なしか、食堂への道のりも軽い。

 だが、食堂で待っていたのは、それとは別の色の雰囲気。

 アーロン夫妻が苦笑いを浮かべて迎え入れるが、ジークは頑なな顔をしている。

「キャリー……」

 一言だけでも疲労と苦痛の気持ちが感じ取れる。

 ジェシカの言ったことは本当だったのだ。

 そう実感するのにあまり時間は必要ではなかった。

 そのことがショックなのか、私も彼の雰囲気に引きずり込まれる。

 私は何も悪いことはしてない。

 でも、こちらまで悪い気分になる。

 こんなにもジークの気持ちが落ち込んでいるとそんな気がしてきた。

「ま、朝食くらい気楽に食べましょう? ね……?」

 ベラの言葉がなければ、無為な時間を潰すだけの退屈ないっときになっていただろう。

「あなたたちは結婚したのでしょう? 堂々としていなさい」

「そう、だな……」

 未だに暗い様子を浮かべているジーク。

 さっきまではしゃいでいた私がバカみたい。

 朝食が運ばれてくると、アーロンとベラは美味しそうに食べ始める。

 ジークは一口も進めることなく、暗い顔をしている。

 私もドギマギしながら食べ始める。

 美味しいものを食べているはずなのに、なぜか口の中では塩気が広がるばかり。

 ジークは私に隠し事をしているのかもしれない。

 あのジェシカと何かあったのかもしれない。

 それが怖くて口にできない。

 ジークに確かめるのが怖くなっている自分がいる。

 泡を吹いている自分がいる。

 このままでは本当に離散してしまうんじゃないか。

 そんな気持ちで揺らぐ。

 悲しい。

 それは悲しいことだ。

 そんなのは嫌だ。

 このまま離婚なんてことになったら私はどうにかなってしまう。

 今まで頑張って積み上げてきたものがなくなってしまう。

 ジーク。あなたは違うの?

 あなたが私を幸せにしてくれるんじゃないの?

 ふつふつと湧いた不安の気持ちが爆発し、怒りへと変わっていく。

 苛立ちを覚え、ろくに食事もしないジークの首根っこを捕まえる。

「キャリー?」

「あなたがそんな態度でどうするのですか!?」

 そんなジークを投げ捨てるように突き放すと、私は廊下を駆け抜けていく。

 節々に飾られた調度品。下手な美術館よりも価値のあるツボや絵画には目もくれずに、自室へと戻る。

 ふかふかで人をダメにしそうなベッドに潜り混むと、ジークが謝ってくれるのを期待して待ち続けた。

 でも昼食になるまで待っても、彼はやってこなかった。

 私、悪いことしていないのに……。

 なんでこんなことになっちゃったんだろ。

 さめざめと泣き出すと、メイドさんが気を遣って昼食を持ってくる。

「ありがとう」

 それだけをいい、空腹を満たすだけの味気ない食事。

 アーロンやジークのうんちくを聞きながら食事をすることもなくなった。

 乾いた喉を潤すだけの飲食になんの価値があるのか。

 そう問われているような気がした。

 やはり食事は娯楽としての意味合いが強いらしい。

 どこどこの産地だとか、栄養の話とか。

 そんな話で良かった。

 そんな話が聞ければ良かった。

 それだけで満足できていた舌も、今では塩辛い味しか反応しない。


 午後になり、私は図書室へ向かう。

 本の数は千を超える図書室。

 この屋敷に増設された書庫。

 世界の様々な物語や料理本、手芸の本などなど。

 たくさんの種類が保存されている。

 丁寧な扱いによって、昔からの本も綺麗に残っている。

 本棚にある本が私には高い位置にあったりする。

 端においてあった脚立を動かし、上の段にある手芸の本をとる。

 机に本を置き、ゆっくりとした動作で椅子に腰を落ち着かせる。

 本をひらりと開くと、そこには私の知らない知識が待っていた。

 わざわざメイドに図書室に行くと伝えたのだ。

 ジークがメイドに尋ねれば、私の居場所はすぐに分かる。

 無意味な時間を潰すよりも、効果的に時間を使いたい。

 これでもダメなら……。

 ダメなら?

 私、ジークとどう接していいのか、分からない。

 彼が悪いことをしたのかもしれないけど、彼自身が話す気がないなら、もうどうしようもないじゃない。

 本をめくりながら、そんな考えを頭の片隅でとらえていた。

「ここにいたか」

 しゃがれた声が聞こえ、少し期待してしまった。

「アーロン様」

「ふ。敬語はよいぞ。もう娘なのだから」

 柔らかな雰囲気と、優しげな目線を向けてくるアーロン。

「でも……」

 一線から退いたとは言え、彼の力や影響力は高いままだ。

 一世で築き上げてきたたたき上げの貴族。

 高い生産力のある土地の開発と、人民をまとめ上げた実力。

 彼がいなければ、今の財力と、民衆の支持は得られていなかっただろう。

「それで? こんなところで何をしている?」

 アーロンは優しい眼差しを細めて、鋭い目に変わる。

 その表情の変化がどこかジークと似ていて、ドキッと心臓が揺らぐ。

「……ジークが悪いんです」

 それだけを言うと、本に視線を落とした。

「確かにジークのやつが悪い。だが、キミならこんな困難で幕を閉じるほど、諦めが悪い訳じゃないだろう?」

 アーロンは私を試すように睨み付けてくる。

「そんなの、分かっています! でもどうすればいいんですか!?」

「キミにも分かっているだろう? ジーク以外に話を知っている者が」

「ジェシカ……」

 湿り気のある声で振るえる私。

 怖い。

 正直、ジェシカの纏っている雰囲気は嫌いだ。

 あの妖艶なオーラに私は負けてしまった。

 そっか。

 ジークだけが悪いんじゃない。

 信じ切れていなかった私も十分に悪い。

 天啓が降りてきたかのように、私は自分の弱さを自覚した。

「そう、ですね。私、彼のことを信じて、そしてジェシカ様と決着をつけるべきなのですね」

「ふふ。面白い娘だ。それでいい」

 アーロンはそれだけを言い残すと、立ち去っていく。

 私はさっそく幌馬車の用意をさせるために、馬小屋へ行く。

 そこには四頭の馬と幌がおかれている。

 私は馬を操る御者を見つけると、手招きする。

「キャリー様。こんなところにどうしたのです?」

「幌馬車を一台借ります。ジェシカ=ウォルターへ会いに行きます」

「……分かりました」

 覚悟を決めた私の声はよく通ったらしい。

「お一人ですか?」

 御者は不安そうに訊ねてくる。

「はい。大丈夫です。私、もう幸せを失いたくないのです」

「それなら、ワタシどもへの敬語もやめるべきですね。威厳がなくなります」

 苦笑を浮かべる御者。

「そうです……そうだね。じゃあ、ウォルター領へ向かって」

 ささっと準備を済ませた御者は二日かかる道のりを頭にたたきこみ、馬に幌をつなぐ。

 保存食やら、水筒やらの準備を済ませると、私は一人で御者と一緒に屋敷を離れる。

 聞きたいことは山ほどある。

 ジークがあそこまでうろたえるのには意味がある。

 だから、私は彼女に聞きに行かなければならない。

 事実を知るために。

 話してはくれないかもしれない。

 でも、私は聞かなくちゃいけない。

 でなければ許すもなにもない。

 私だってもう、立派な領主なのだから。

 もう誰も悲しませない。

 決意を胸にし、幌馬車と二日の旅に出る。

 護衛のメイドと執事が二人ついてきたけど、それだけ危険な公路なのかもしれない。

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