第3話 朝見の儀

 翌朝になり、私はジークに揺り起こされる。

「ほら。キャリー、今日は大切な日だろ?」

「うーん。あと一時間」

「長いな……。それじゃ、間に合わないぞ?」

 さらに揺さぶられる。

「分かった。起きるから……」

 寝ぼけ眼を擦り、ベッドから起き上がる。

 上体を起こしてみると、メイドが数名待っているではないか。

 その光景を見ただけで緊張が走る。

「あばばば」

 泡を吹いて二分。

 私はどうにか目を開けると、そこにはジークの顔が視界いっぱいに広がっていた。

「大丈夫か?」

 クスリと笑うジーク。

「うん。いつものこと」

「なら、立てるな」

 膝枕をしてくれていたらしいジークは私を起こしてから丁寧に立ち上がる。

「そろそろ着替えの準備だ。メイドが手伝ってくれる」

「え。着替えくらい、自分でできるのに」

 平民の私には理解のできない話だ。

「さ。キャリー様、いらっしゃい」

 メイドの一人が私を呼ぶ。

 怖ず怖ずとした気持ちでそちらに向かう。

「さぁ。着替えますわよ」

 メイドが私のお気に入りのワンピースを丁寧かつ迅速に脱がせると、

 下着までも交換してしまう。

 恥ずかしさで泡を吹きそうになったけど耐えた。

 新しい下着を通し、そしてコルセットの着用を求められた。

「え。こ、こんなの無理!」

 メイド三人がかりで腰を押さえ込む。

 それでも足りないのか、今度は五人でコルセットを締め付ける。

 当然、私の腰はそれに悲鳴を上げるわけで……。

「あばばば」

 泡を吹いて気絶した私にはちょうど良かったのかもしれない。

 目を開けると、ギチギチの腰。

 圧迫されていて、食べ物が入る余地はない。

「終わったか?」

 ジークが不安そうに訊ねる。ドア越しに聞こえてくる。

「うん。でも朝食食べられそうにない」

「驚いた。食べる気でいたんだ」

「だって~……」

 ドアをあけると、ジュースを手にしたジークが見える。

「これなら大丈夫だろ? さすがに栄養を摂らないのもマズいしな」

「ありがと」

 差し出されたジュースを手にして少しずつ飲む。

「貴族ってこんなに細くないといけないの?」

「あー。一応、民草の代表だからな。お手本にならないといけないらしい」

 困ったように頬を掻くジーク。

「さ。そろそろ行かないと」

 ジークが手を引き、表にある会場である謁見の間に向かう。

 貴族だけではなく、新しい領主を一目見ようと集まってきた民衆がいる。

 それを外から眺めているだけで、気持ちが上がってしまう。

「あばばばば」

 ジークが抱きかかえてくれたお陰で泡を吹く一歩手前で立ち止まった。

「しっかりしろ」

 そう言っていつになく力が入っているジーク。

 その額に浮かんだ汗を私は拭って上げた。

 朝見の儀は最初に現領主の二人が儀式を始めている。

 そこに後見人が入り、清め、武力の象徴である剣を受け取る。

 他にも細々とした儀式がある。その中でも一番厄介なのは演舞である。

 私は前にジークに教わったけど、そんなに得意じゃない。

 踏まないようにする。あとはジークがフォローしてくれる手はずになっている。

 時間になり、大勢の前に出る。

 ふわりと漂う線香の香りに、大衆の期待した眼差し。

 厳しい目線を送る人もいれば、奇異の眼差しを向ける人もいる。

 怖い。

 この舞台に上がれば、否が応でも注目の的に晒される。

 人々の視線が熱をはらんで、会場一杯に広がる緊張感がじりじりと肌を焦がす。

(嫌だ。帰りたい)

 踵を返そうと思った。

 でも振り返るとそこにはジークがいた。

 暖かな手が触れあい、ギュッと抱きしめてくれる。

 ちょうどいい熱。

 身体がほかほかと暖かくなる熱。

 優しい気持ちになったあと、ジークが耳元でささやく。

「大丈夫。俺もいるから」

 その言葉を聞き、どれほど勇気が湧いてくるのか。

 どれだけ前に進めるのか。

 彼も、私自身もよく分かっていない。

 でも、前を向いて歩く。

 私は手と足が同時に出てしまうが、舞台に上がる。

 その前をジークが歩く。

 大丈夫だ。

 まだ頑張れる。

「ブス!」

 ふいに批判の声が上がる。

 わいわいといろんな声が上がる中で、その言葉は私の心臓を突き刺すには十分だった。

「可愛いじゃない。泡吹き姫」

 嘲笑する声も上がる。

 その言葉が次第に会場全体に広まっていく。

 それを聞くのが耐えられなくなり、引き返そうとも想った。

 世間一般での評価は低い。

 よくジークのお眼鏡にかなったものだと、自分でも想う。

 間違いだったんだ。

 私がこんなところへ来てはいけなかったんだ。

「キャリー。キャリー!」

 全ては間違いだったんだ。

「キャリーっ!!」

 大きな声が自分を呼んでいるのだと気づかせる。

 対面に座ったアーロンは困ったようにし、ベラはにこりと笑みを零す。

 もしかしてベラさんも、似たような経験があるのかもしれない。

 貴族に見初められシンデレラロードを歩いてきた私の苦難を知っているのかもしれない。

「大丈夫だ」

 横に立っていたジークがこちらを見ることなく、呟く。

 先ほどの声はジークのものと分かると、少し気が楽になった。

 深呼吸をし落ち着いた私は、目の前にある水を口に含む。

「清き者よ。我らの長となりたまえ」

 神事をつかさどる神官が邪鬼を払う素振りを見せる。

 それから家宝ともされているダインスレイブを受け取ると、ジークの腰に携える。

 これで武力統一がなされたことになる。新たな軍師の登場という訳だ。

 南に広がる盆地である大きな町並みが領地である。北には小国。東に領地がいくつかあり、西に大きな国がある。

 二十万人の広大な領地を持つ、カーターベル領地。国内でも屈指の大きな領地であろう。

 東に見えるいくつかの領地はせいぜい一万人の規模である。

 勢力を強めつつある西の国、ウエスタン・ボールが目下の不安材料だろう。

 この軍師が変わることで境界線が変わることを期待する声も大きい。

 軍師が変わった。

 その事実が今、目の前で起きている。

 歴史が変わる、その瞬間に立ち会っているのだ。

 しかも領民としてではなく、貴族として。当人として。

 ジークと出会う前から歴史を読み解くのが好きだった私には分かる。

 それがどれだけ重いことなのか。難しいことなのか。

 剣を受け取り、一旦裏手に戻ると、神事で行う祭具を舞台から片付ける。

 裏手に入るとメイド長にダインスレイブを預ける。信頼の置けるメイドなのだろう。

 そして舞台に再び戻ると、私とジークが手を組み合い、演舞を始める。

 練習した通りに身体を動かすと、ジークの手が支えになってくれる。

 これで民衆の理解を得られるとは想わない。

 が、先ほどまであった揶揄やゆはだいぶ引いていた。

 私が《泡吹き姫》と呼ばれているのは重々承知だった。

 そんな私が人前で踊っている。

 儀式を執り行っている。

 それを見て安堵する人も多いのかもしれない。

 本当に貴族になることに驚いている人もいるのかもしれない。

 これが現実だと知らしめている意味合いも大きいのかもしれない。

 好き嫌いにかかわらず、目の前で起きている現実に目がいくのは仕方ないことなのかもしれない。

 演舞の出来映えはやはり下手なのかもしれない。

 何度かジークの足を踏んでしまった。

 でもそれでも手を離さずに、連れていってくれる。

 そこにジークの覚悟や優しさが見てとれる。

 暖かく、優しい手つき。

 私はどれだけこの人にお返しできるのだろう。

 人としても、貴族としても、尊敬のできる相手だ。

 こんな人と一緒に暮らせる。結婚できるなんて、まるで夢のようだ。

 私には幸せすぎる。

 溺愛されていると、自覚している。

 私はまだ一人ではいられない。

 ジークの助けがなければ、独り立ちもできない。

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