第9話 家族①

 あれから数日、未だ最初に受けた待機命令以外の指示は来ず、暇を持て余した澪は安全圏内の街を一人で彷徨うろついていた。

 浅い眠りから覚め、日課の鍛錬をこなした後は本でも読もうと図書館を訪れたは良いものの、ルーラーや奏衣のことが頭をちらつき集中できない。


 ルーラーの目的は何なのか。なぜ先に居たチームは殺されて自分たちだけは見逃されたのか。奏衣は助かるのか。本当にエニグマ化は進行しないのか。いくら考えても答えが見つからない疑問ばかりに心だけが追い詰められていく。それに——


「にいちゃん、まだそれ終わらないの? 早く遊ぼうよー」

「まだだって言ってんだろ、慎五しんご。もうちょっとで終わるから待ってろ」


 風に流されて聞こえてきた兄弟の声、その中に知っているものが含まれていた気がした澪は後ろを振り向く。

 果たしてそこには、多くの兄弟に囲まれながら剣を振る雄一の姿があった。


「危ねぇから離れてろよ。俺が作った丸の中には入るんじゃねぇぞ」

「うん!」


 粗暴な言葉遣いの中にも弟たちへの気遣いが溢れているのはいかにも彼らしいといったところだろうか。気がつくと澪の足は雄一の方に向いていた。

 彼のそばに辿り着き、折を見て話しかける。


「精が出ますね」

「ん? ……澪か。まあ、ルーラーがどうの奏衣を治す方法がどうのなんてことは俺には分からねぇからな。俺にできるのは、剣を振るくらいだ。だったらせめてこれだけはやっとかねぇと気が済まねぇ」


 剣を振る手を止め、澪の方を向く雄一。その顔には汗が滲み、相当な長時間権を振り続けていることが窺えた。普段は喧嘩ばかりしている澪と雄一だが澪は彼の、この努力を惜しまない姿勢は嫌いでは無い。


「まあ、ガキどももあんまりほっとけねぇからそろそろしまいだけどな」

「……弟さんですか?」

「ああ。生意気な奴らだよ」


 そう言いながらも、雄一の目からは彼の弟たちへの深い愛情が伝わってくる。両親がエニグマとなった雄一にとって、弟たちはかけがえのない家族。自分を慕ってくれる彼らはいくら手がかかろうとも雄一の癒しであり、生きる意味なのだ。

 羨ましい、そう思ってしまうのは彼に対してか彼の弟たちに対してか。澪の頭に、生きていれば雄一と同じ歳になる彼女の姉の顔が浮かんだ。自分を庇ってエニグマとなった彼女。自分の目の前で討伐された彼女。…………あのとき異能を使いこなせていれば、救えていたかもしれない彼女。幸せだったあのときがどうしても追懐されてしまう。

 そんな澪の心情を知ってか知らずか、雄一は再び彼女の話しかけた。


「構ってやらねぇととはいえ鍛錬もやっておきたいから困ってたんだが…………お前、今暇か?」

「……予定はありませんが?」


 だからどうしたのだ、という澪の表情を見て雄一は腹黒い笑みを浮かべた。


「よし、なら大丈夫だな。……おいお前ら! 今日はこの姉ちゃんが遊んでくれるってよ!」

「…………はい!? ちょ、ちょっと雄一さん!?」


 歓声を上げて近寄ってくる雄一の弟たちとは対照的に、取り乱して雄一に説明を求める澪。しかし雄一はそれを無視して素振りを再開した。

 止めても良いものか、急に声をかけて手が滑ってしまわないだろうか、そう一瞬躊躇している間に澪は子供たちに取り囲まれた。


「おねえちゃん、お名前は?」

「え、えっと、小柳こやなぎ澪です」

「じゃあ澪ねーちゃんだ。ぼくは慎五っていうの。澪ねーちゃんはにいちゃんの彼女さんなの?」

「ちっ、違います!」

「えー、ほんとにぃ?」


 先ほどから雄一の近くにいた子、慎五を筆頭にどんどんと質問が投げかけられ、腕をひかれ、あれよあれよという間に澪は雄一から引き離される。

 慎五たちの期待を裏切るわけにもいかずに一緒に遊ぶことになった澪。暖かな日に照らされる中、彼女の顔はいつの間にか久方ぶりの輝きを見せていた。




「…………疲れました」


 しばらく前に鍛錬を終えて休んでいた雄一にかすかな恨みを込めてそんな言葉を投げかけ、澪は隣に腰掛けた。それを苦笑と共に出迎える雄一。

 鬼ごっこに始まりかくれんぼ、果ては澪の異能、言霊を使った遊びまでさせられているのはしっかりと横目で捉えていた。危険がないことは雄一も確認していたし随分と楽しそうではあったのだが、慣れていない澪には大分堪えたというのも事実だろう。


「だろうな。お疲れ」

「……子供って、元気ですね」

「ああ。そして、その元気を俺らにも分けてくれる。だろ?」

「…………はい。そうですね」


 雄一の問いかけにふわりと微笑む澪。その目は疲れて眠ってしまった雄一の弟たちを優しく見つめている。実際、彼の言葉の通り澪も慎五たちと遊ぶうちに心が癒されていくのを感じていた。

 元気がなくとも、乗り気でなくともこちらを引き摺り出すあの強引さ。もう澪にも雄一にも無くなってしまったものを持った少年たち。エニグマが現れて世界の大部分がその支配下に落ちた今でも、子供だけは無邪気なまま変わっていないのだ。

 そんなことを実感しながらも、澪は少しだけ不満そうな顔で雄一を見つめる。


「でも、世話を押し付けられたという事実は変わりませんよ」

「……俺は鍛錬ができてお前は楽しかった。共存共栄、ウィンウィンってやつだよ」

「楽しかったのは慎五くんたちのおかげです。雄一さんは何もしてないじゃないですか」

「…………まあ、悪かったよ。貸しひとつだ。今度飯でも奢ってやる」

「いりませんよ。そのくらい自分で買います」

「……コイツ、ほんっとに可愛げがねぇ」


 結局は口喧嘩になる二人だが、その間に流れる空気は穏やかである。その戯れ合いのような喧嘩も澪が笑って受け流したのを最後に途切れ、二人で子供たちを見つめ始めた。

 日向で幸せそうに眠っている慎五と木に寄りかかって穏やかに眠る四郎、二人で寄り添って目を閉じる謙三けんぞう慶二けいじ。この短時間で澪は随分雄一の兄弟に詳しくなっていた。


「……子供は、自分を守れねぇ。俺たちが守ってやらないといけねぇんだ」


 長く続いた沈黙を破ったのは雄一。力強い目で弟たちを見つめ、拳を握って決意を固めている。


「他の奴らは兎も角、本当ならお前だって守られる側のはずなんだが——」

「子供扱いしないでください」

「……だろうな。そういうと思ったよ」


 雄一は若干ご立腹の澪を横目で見て苦笑、すぐに目線を子供達に戻した。


「子供さえ守れれば、後につながる。子供の中から新たなメシアが生まれたって噂も聞く。そんな気はさらさらねぇが、最悪安全圏の維持だけして残りは後の世代に託す選択肢もある」


 そんな希望を持った雄一の言葉。未来への希望に溢れたそれに対する返答は、彼が思っていたより、さらには返答した澪自身が思っていたよりも冷たいものだった。


「…………ありませんよ、そんな選択肢は。私たちの代で終わらせなければ、人類に未来なんてありません」

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