第8話 見舞い

 ルーラーと遭遇した翌日、隼人、澪、茜、雄一の四人は奏衣の見舞いに来ていた。

 この前日、報告を終えて自室に籠っていた隼人の元に奏衣が隔離されたという報告が届いたのは夜十一時ごろ。慌てて会いに行こうとしたものの、その時は既に夜であり面会ができる時間では無い。そのため一夜明けた今日、隼人は他のメンバーと共に奏衣との面会に来たのだった。


 昨夜、唐突に莉沙が部屋を訪ねてきたと聞いた時、隼人は不穏な予感がしていた。昼間のプラーベートな時間すら滅多に邪魔をすることがない彼女が遅い時間にわざわざやってくるなんて初めてのことだったのだ。

 そして、案の定というべきか莉沙が口にしたのは隼人にとって最悪と言ってもいいほどの知らせだった。

 なんでっ、思わずそう叫びかけた隼人だったが苦渋に満ちた莉沙の顔が目に入った瞬間にそれも引っ込んでしまう。怒りのぶつけどころを見失ってしまったが、莉沙とてこんなことを言いたくて言っているわけではないのだ。そんな彼女を怒鳴ったところでただの八つ当たりだろう。

 結局何も言えないまま部屋に戻りベッドに横になった隼人。音も光も無い一人部屋で、ただ今日の光景だけが蘇る。


 ルーラーを発見した時のことを。


 ——我はエニグマの支配者。……そうだな、ルーラーとでも名乗っておこうか


 ルーラーに歯が立たなかった時のことを。


 ——存分に、恐れ、崇め、平伏ひれふすが良い!


 奏衣を守れなかった時のことを。


 ——良いのか? その娘を放っておいて


 ルーラーから尻尾を巻いて逃げるしかできなかった時のことを。


 ——楽しみにしていよう。取引の件も、忘れるなよ


 そして、かつての恋人が、目の前でエニグマとなった始まりの日のことを。


 思い出して、思い出して、思い出した。

 目を閉じればあの一コマがフラッシュバックして、目を開ければ天井にその光景が映し出された。


「隼人くん?」

「あっ……」


 反響する奏衣の声に隼人は呼び戻される。顔を上げて彼女の顔を見ると、隼人を心配そうに見つめていた。


「ぼーっとしてたけど、大丈夫?」

「……ああ、うん。ごめん」


 奏衣の見舞いに来たのに自分が心配されてどうするんだ、そう呆れと共に自分を叱咤した隼人。横では茜たちにまで憂いを含んだ眼差しで見つめられている。


 昨日は一人で考え込んでしまい結局眠れなかったが、隼人はこうして仲間と会うと少しだけ心に余裕ができるのを感じていた。その落ち着いた心情で辺りを見回せば、改めて奏衣の置かれた状況の苦しさが身に染みてくる。

 今日は面会に来れたといっても同じ部屋にいるわけではなく、ガラス越し。まるで奏衣が刑務所かどこかに入れられているような感覚だ。


 できる限り早く奏衣の元を訪れたは良いものの、何を言って良いかも分からない。


「奏衣……」


 白く、飾り気のない部屋に隼人の絞り出したような声が響いた。


「あはは……大事になっちゃったね」


 困惑とも自嘲ともつかない暗い笑み、喜びから出る顔つきではないことは火を見るよりも明らかだった。

 隼人たちから見える部分だけで言えば、彼女に以前と変わったところは一つも無い。だが、その服の奥、左の脇腹はエニグマに蝕まれているのだ。


「検査をしても、何も分からなかった。原因も、進行速度も、何も。一気にエニグマにならなかったのはメシアだからかもしれないって言われたけど、それも予想でしかないって」

「だからって監禁なんて……」


 茜の反論に、奏衣は再び悲しい笑みを浮かべた。


「そうなんだけどね。何も分からない以上は最悪を想定するしかない。いつ暴れ出すか分からないなら拘束するしかないっていうのが結論みたいだよ」


 残酷なようにも思えるその考えは、確かに街の人々を守るためならば当然の結論なのかもしれない。むしろ、街の外に放り出さないだけという考えもあるし、実際昨日の緊急会議ではその意見も出たようだ。

 実のところ、莉沙がその意見を押し留め、治癒の異能はまだ健在であること、安全圏内にとどめておけばいざという時に役に立つこと、さらにはルーラーという懸念材料が出てきた以上戦力を無駄に減らすことはできないことを主張して今回の対応に落ち着かせたのだが、隼人たちはそのことを知らされていない。


「悪化は、してるのか?」

「ううん。少なくとも見てわかる範囲では進行はしていないし、思考も今のところは正常だよ」

「なら、不幸中の幸い、だな」

「そうだね」


 知能があり異能まで操るエニグマであるルーラーが現れ、さらには奏衣が一部とはいえエニグマ化、そして原因不明であるため他のメシアも同じ状況になる可能性があるなど様々な「不幸」に分類されるような出来事があった中のささやか過ぎるさいわい。それに縋らざるを得ないくらいには、今回の屍界探索は苦難の連続だった。

 奏衣のことだけではない。メシアが減り、ルーラーが現れ、エニグマもルーラーの元連携を取り始めた。今後への不安は増すばかりである。


「奏衣、それは治る可能性もあるんだよね?」

「……可能性ってことで言うなら、あるよ。何も分かっていないから、治るとも治らないとも言えない。……だけど、少なくとも私の異能では無理だった」

「そっか……」


 茜の問いに重たく返事をする奏衣。

 元々、今回のことでなくとも治癒の異能は病気に弱い。外傷を癒すことは可能だが、風邪であれば軽いものでも一人治すだけで倒れ、強いものであれば手も足も出なくなる。エニグマ化がどういう状況なのかはいまだに判然とはしていないが、兎も角も怪我と同じということはないだろう。

 だが、原因が判明していない今では異能が唯一の可能性であったことに変わりはない。それで不可能だった以上、それを超える治療は難しいということは全員が理解していた。


「あいつさえ、倒せれば……」

「そうね。あのルーラーとかいう奴、色々知ってそうだった。聞き出すならあいつしかいない」


 ルーラーの、「貴様らは、何も知らんのだな」という言葉。隼人たちを小馬鹿にしたようなあの言葉は、自身が全てを知っているからこそ出てきた言葉であろう。エニグマとは何なのか、ルーラーとは何なのか、異能とは、メシアとは一体どういう存在なのか。人間が知らないことの多くを、ルーラーは知っているに違いない。

 だが、ルーラーから無理に聞き出すことは相応の危険を伴う。少なくとも、隼人たちは一度、負けと言っても過言ではないような状況で撤退を選択している。


「私が言えることじゃないかもしれないけど、みんな、気をつけてね。もう私はみんなについてはいけない。怪我をしても、すぐに直してあげることはできないから」

「ああ、分かってるよ。だが、それでも、諦めるわけにはいかねぇ」

「その通りだ。奏衣を助けるためには、あいつの持つ情報は絶対に必要なんだ」


 決意を新たにする隼人たち。それを見た奏衣は今日初めて、心からの喜色を顕にした。エニグマに侵されても自分を気味悪がらず、離れていかない友人たち。それどころか、心配し、助けようとまでしてくれる。その有り難さを噛み締め、彼女は目尻に浮かんだ涙を白魚のような手でひっそりと拭った。

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