第二章 ディノ・グランデと西海の孤島

第一話 ディノ・グランデ海を征く

「あぁっ……ワイバーンのステーキ……私が集めたお肉なのに……」


 空間収納から取り出すと、部屋の隅の毛布の山がうめいた。

 毛布がズズズと持ち上がり、青い顔した聖女様リリアン・スウィーパーが這い出てくる。さすがにヨレヨレすぎて、聖衣など着せていられない。キルトの寝巻き姿だ。


「食えるなら、食わしてやるぞ。……ほれ」


 ナイフで一口サイズに切り分け、フォークに挿して差し出す。

 匂いに眉を顰めつつも、パクッと……凄え食欲。

 だがその次の瞬間、物凄い勢いで這いずって、部屋の隅の小窓を開けた。

 そして外にエロエロと……。


「あ~あ、無理すっから。せっかく朝に何とか食えたリンゴも、魚の餌か……」


 しょうがない、ヨシヨシと背中を擦ってやる。

 あぁ、こいつマジ泣きしてやがる。


「悔しいです。……こんなにお腹が空いてるのに、何も食べられません……」

「いるんだ、たまに全然耐性の無い奴」

「私が餓死したら、天空神様の神殿に埋めて下さい……お供えは美味しいものをいっぱい」

「……俺の知る限り、船酔いが原因で死んだ奴はいねえよ」


 そう、俺たちは今、海の上にいる。

 ノルドランでのカニづくしも、さすがに三ヶ月も続けば飽きる。

 チコリは手を変え、品を変えて頑張ってくれたが、退屈の病には勝てない。

 山の雪はまだ溶けないが、海の氷は北へ移動したとのことなので、南行きの船でノルドランにサヨナラしたわけだ。


「お船に乗るのは初めてです! 海の上を飛ぶお魚がいるんですよね。子供の頃から、それが見たくって、見たくって!」


 なんてはしゃいでいたリリアンが、予想通りに船酔いに沈んだ。

 こういうネタは絶対に外さない、芸人の見本のような奴だな。

 トビウオがいる辺りまでは五日かかるはずだから、それまでにはさすがに復活するだろう。二日目の今日は、まだご覧の通りだ。

 自分の食事を済ますと、恨めしそうに見るゲロ聖女がうざいので、一等客室を出て甲板に向かう。

 春と言うにはまだ寒いが、キャラベル型の帆船は帆に一杯の風を受けて快適に航行中。

 太陽と潮風は、やはり気持ちが良いものだ。

 防具など全て外して、羊毛の平服の俺は、思い切り深呼吸をした。いざという時には、魔法剣の要領で服を魔力で覆ってやれば、下手なチェインアーマーより硬くなる。

 疲れるから、非常時にしかしねえけど……。


 甲板には、もうひと組の乗客である冒険者パーティが集まっていた。

 駆け出しから、新米に変わるくらいの実力だろうか? 斥候一人、戦士二人、神官と魔道士がそれぞれ一人の定番のパーティ構成だ。


(うん、魔導士はなかなか良い尻をしているな……)


 近頃はなかなか見かけなくなってきている、ハーフエルフの娘だ。他は戦士が一名、生物学上女子だが、俺的には女子とは言わない。

 剣で鎬を削りあって愛を確かめる趣味はない。きっぱりとそう宣言する。

 俺の姿を見つけ、淡い緑の聖衣を着た神官が、軽く会釈をして話しかけてきた。


「これはこれは……ダンナ、聖女様の具合はいかがですか?」

「当分使い物にならんな。まだ、何も食えずにゲロゲロやってる」

「お綺麗な娘さんが、可哀想に……」


 緑系の聖衣は、豊穣神の神官だろう。

 名誉を重んじる貴族の天空神、収穫を祝う庶民の豊穣神。なんて言われるくらいに身分で信仰が違う。リリアンのような気取った口調でないのは、そういうわけだ。

 もっとも、身分でヒーラーとしての性能が変わるわけじゃないぞ。

 ちなみにこの船では、俺は無理があっても聖女様の道中の付き添い人で通してる。

 金は十分にあるし、面倒事は懲り懲りだ。


「そっちは景気が良さそうじゃないか? 山の雪解けも待ちきれずに、船で南下とは」

「受けた依頼が良かったんですよ。船でアドミランまで行って、届け物ですから」

「妙な魔物に遭わなけりゃあ、楽勝じゃないか」

「でしょう? 少しは運が向いてきたのかも知れないねぇ」


 リットンと名乗った神官は、ほくそ笑む。

 だが……このディノ・グランデ。船に乗って、何事もなく到着できる気がしねえ。

 世の中は、俺が退屈しないように出来てるとしか思えないからな。

 脅かすのも悪いし、敢えて何も言わない。

 そこらにあったラム酒のボトルをラッパ飲み。

 船乗りの酒だよな、ラムは。氷も要らなきゃ、お燗もいらねえ。そのままぐいっといける。


「しかし今時、ハーフエルフとは珍しいな」

「でしょう? 妖精族と人族が、ある程度線を引くようになって、めっきり見なくなりましたからねえ」

「でも、あんな可愛い顔して百歳超えてたりするから、ちと怖いな」

「ダンナも色々苦労してる口ですかい? でも、ミューレンは見た目通りの十九歳ですから、ご安心を」

「そうか、ミューレンというのか……」

「へい。リーダーは戦士のジュラック。女の方はガーネット。斥候はピングの五人パーティーですよ」


 ようやく気の合う仲間でなく、手の合う仲間を見つけて、名を売り出しにかかった頃……冒険者の一番楽しい時期かも知れないな。


「こら、リットン。そんな簡単に仲間の名前を言いふらさないでよね……また変なのが寄ってきて、私が苦労するんだから」


 腰に手を当てて、ハーフエルフのミューレンが仁王立ちで怒ってる。

 頬の紅さとふらつき具合からして、かなり酔ってるな。船にでなく、酒に。

 エルフの血をひく美貌。人間らしい柔らかさの加わったハーフエルフの方が好みだ。

 可愛げがあるし、世間ずれしていて高慢ではない。

 褪せた感じの紺色のローブも、良く似合ってる。


(平常時なら、ウチのリリアン抱きまくらも負けてはいないんだが、いかんせん船酔いでボロボロだからなぁ……比べるのも申し訳ないか)


 肩を竦めて、お近づきの印にと、夕暮れのかまど亭の看板娘のチコリ特製『焼きガニ』を空間収納から出して振る舞う。

 怪訝な顔で食いついたが、直ぐに目を丸くして仲間たちを呼ぶ。

 炭火で焼いた、これが美味いんだ。

 チコリが目を皿のようにして見つめ、ベストなタイミングで空間収納に放り込んだ逸品だ。特製のカニ酢と合わせて、不味いわけがない。


「なんでー! ノルドランであんなにカニ食べたのに、船の上で食べるカニが一番美味しいってどういうことよ!」


 両手に焼きガニを持って、ミューレンが理不尽さを訴える。

 斥候のピングが苦笑した。


「こりゃあ、料理人の腕の差だ。俺たちの泊まってた安宿じゃあ、勝てっこないぜ」

「信じられない! 来年はもっといい宿に泊まってやる!」

「はいはい、もっと有名になろうな」


 慣れた様子で、仲間たちが喚き散らすミューレンを軽くあしらう。

 リーダーのジュラックは呆れ顔で呟いた。


「こりゃあ、来年の冬もノルドランで過ごす羽目になりそうだな」

「ミューレンの行きたがる方角が、あたしらの行先になるものね」


 ため息混じりのガーネットのセリフが、このパーティを良く表している。

 良くも悪くも、ミューレンの我儘に振り回され、それを楽しんでいる連中なのだろう。

 それが許されるだけの腕が、このハーフエルフの娘にあるわけだ。


 そのミューレンが中途半端に長い耳を動かした。


「あら? 聖女様が歌ってらっしゃるの?」

「まさか? 今は船酔いのドン底で歌うどころじゃない状態だが……」

「でも、素敵な歌声……」


 海、女性の歌声……とてもヤバい状況ではなかろうか?


「取舵いっぱーい」

「取舵いっぱーい」


 ぼんやりとした船員たちの掛け声で、船の向きが変わった。

 かすかに聞こえる歌声を聞こうと、リットンたちのパーティーまで方向転換に手を貸している始末。

 まだ酒盛りしてるのは、俺くらいのものだ。


(セイレーンだよなぁ……どう考えても)


 ここまで全員が全員かかっちまうと、逆らっても無駄だ。

 繁殖期のセイレーンは、特に呪歌の威力が上がるからなぁ……。

 船はぐんぐん、引き寄せられるように岩礁に囲まれた孤島に向かって進んでゆく。

 もうはっきりとセイレーンの歌が聞こえる。


 俺は船から飛び降りて、その声のする方向に走った。

 背後で座礁した船が、嫌な音を立てて傾いていた。

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