第四話 依頼と準備と冒険者の出発

 『ノルドラン』領主の城の謁見室は、意外に質素なものだ。

 人族の生存圏最北端の街とあって、まだ魔族の討伐に忙しく、充分な農地収入も得られなかった建設当時を思わせる。

 今でもまだ、他の領地よりも厳しい状況が続いているはずだ。


 玉座に座るジョアンナ領主は、まだその席に居心地悪そうで、馴染んではいない。

 幼さを残したオレンジ色の瞳は、必死に感情を押し殺してぬかずく者たちを見つめている。

 領主の左右には、実際に政治を執り行う政務官と、宮廷魔道士の職務につくミスリル級冒険者【極彩色】ことエイナス・オーストレームが並び立つ。

 その正面に額づいているのは、この街の冒険者ギルドのギルド長と、その後ろに控えるギルドの経理長。そしてギルド長と並んで、召喚されたミスリル級冒険者である俺。【英雄】ディノ・グランデ。そして、俺の背後に従者たる聖女リリアン・スウィーパーが慎ましく。

 万が一の際に暴れるミスリル級冒険者から領主を守るべく、騎士団が大挙して壁際に正装で並んでいる。

 何とも、物々しい雰囲気だ。


「では、ギルド長……依頼の件は受理されたと判断して良いでしょうか?」


 静かに領主が問う。

 まだ正式な依頼すら受けていない俺は、ジロリとギルド長を睨む。ギルド長は顎で領主の方を指した。

 依頼の詳細は自分で確認しろって言うのかよ?


「依頼内容は、【氷の宮殿】の掃討と、人質の奪還?」

「はい。その二点です」

「優先順位は、どうする?」

「優先順位……ですか?」

「例えば、宮殿の掃討中に人質を奪還した場合。人質の安全優先で、一時撤退するか? そのまま踏破を目指すか? ……もしくは、途中で人質の死亡が確認された場合だな。遺体回収に向かう。せめて遺品を持ち帰る。確認のみで良い。……それぞれで難易度が変わる。難易度が代われば、求める報酬も変わってくる。……だよな、ギルド長?」


 いきなり話を振られたギルド長は、渋い顔で頷いた。

 こういう交渉は先に済ませて、伝達してくれってんだ。

 静かに目を伏せたジョアンナは、しばらく黙り込んでしまう。いや、思いに沈んだと言うべきか。

 唇を噛み、様々なものを振り切るように、告げた。


「最優先は【氷の宮殿】の掃討。人質については……可能な場合に限り、最小限の対応で構いません」

「ジョアンナ様……っ!」


 エイナスが慌てて口を挟もうとする。

 若き領主は悲しい瞳で、押し留めた。


「わかって下さい、エイナス。今のノルドランには、これ以上の予算は割けないのです」

「…………っ!」


 政務官も、苦しげに頭を振った。

 ミスリル級冒険者への依頼は、たいがい国家存亡規模だ。それに見合う依頼料を考えれば、秋の収穫期を終えたとはいえ、とんでもない出費になるだろう。

 ギルド長のタヌキめ……これもまた、依頼に関する情報と言うわけか。

 メロドラマは趣味じゃない。悪いが話を進めさせてもらう。


「ところで、その【氷の宮殿】なんてものを造った酔狂な奴の情報はあるのかい?」

「妖精王ミーミルだ……」


 怒りに燃えた銀色の瞳で、エイナスが断言する。


「ルーテシア様を直接、拐かしに来たのだから間違いない」

「氷の妖精王か……だが、何で人間をさらう?」

「ルーテシア様は氷魔法に関しては、私をも凌ぐ使い手であった。他に理由となりそうなものの心当たりは、無い……」

「ってことは【極彩色】よ……。お前はミーミルと一度手を合わせているのか?」

「ルーテシア様を抱えた相手に、全力攻撃など出来るものか……」


 こいつの性格からすれば、無理だろう。

 なるほどな……。氷の妖精王が築いたのなら、【氷の城塞】ではなく、【氷の宮殿】と呼ばれるのも道理だ。

 なぜ、妖精王が人族と敵対するような真似をしてるのかは、謎だが……。


「では、詳しい地図があれば宿に届けて欲しい。前払金で準備を整え……三日後の朝に、俺とリリアンで出発する」

「待って下さい。エイナスも同行させます」

「いえ、領主様。……この領地では宮廷魔術師をしていても、【極彩色】は冒険者として登録されています。冒険者ギルドを通した正規の依頼に参加するには、同等の依頼料を受け取らなかればなりませんよ?」


 えっ……と驚いたようにジョアンナの目が瞬く。エイナスも同じだ。

 ギルド長は深く頷いている。


「冒険者の……それもミスリル級の者を、正規の依頼でタダ働きさせては、この街の冒険者ギルドも処罰されてしまいます」

「そういうことだ。……任せろよ、妖精王なら、相手にとって不足はない」


 これ以上、余計な話は聞かされたくない。あとはそれぞれの決断だ。

 俺は立ち上がり、ギルド長に残りの手続きを任せて踵を返した。

 エイナスの歯噛みの音が聞こえるようだ。

 慌てて、あとをリリアンが追いかける。


「勇者様、こんなぶっきらぼうでいいんですか?」

「必要な情報は聞いた。これ以上のお涙頂戴は御免だよ。……それに、ミーミル相手となると、準備が必要だ。三日はギリギリだぞ?」

「どんなものを準備すれば?」

「凍結避けのアミュレットは必須だ。それもできる限り強力なやつが必要になる。あとは入手可能な耐寒装備を集める。抱きまくらが氷まくらになったら、使い物にならねえ」

「魔剣とかは、いらないのですか? 炎の剣のような……」

「俺に魔剣は、いらねえよ。……それに魔剣代で、どれだけかかると思ってる?」

「さあ……魔剣どころか、バーベキューの串も買えませんから、見当もつかないですね」

「しつこい!」

「ついでに、私の新しいバーベキューの串も買ってくださいね?」

「……【氷の宮殿】の宝箱から出たら、お前にやるよ」

「そんな夢のない宝箱なんて、嫌です」

「意見が合うな、俺もだ」


 それから二日間は、忙しく走り回った。

 魔導具屋、武器屋、防具屋はもちろん。盗賊ギルドにまで声をかけ、掘り出し物を探し回る。チコリにも依頼して、未練の無いように茹でガニとカニ酢を大量に準備してもらい、空間収納に収めておく。……さすがに鍋は凱旋用だけだ。

 リリアン用に対氷属性の高いブレストプレートと、炎の追加ダメージの聖杖が手に入ったのは大きい。対ザコ戦に加えて、自分の身くらい守れるだろう。こいつさえ凍らなければ、そこは聖女だ。凍結の解除くらい出来る……よな?

 俺の方は、追加の武器としてランス……長槍と投擲用の手斧をいくつか買っておく。念のための炎系の魔導具もいくつか。

 妖精王級の魔力にも耐えられそうなアミュレットが届いたのは、出発の朝だった。


「覚悟はいいな、リリアン」

「もちろん。勇者様と共に死地に赴くのは、聖女のほまれです」


 晴れ晴れした顔で、微笑む。

 若干眠そうなのと、妙につやつやした顔をしてるのは昨夜の俺のせいだ。

 【遮音機】は、実にいい仕事をした。


 まだ夜明け前のノルドランの街。石畳に靴音が響く。

 こんな時間だというのに、もう職人街は動き出しているらしい。焼き立てのパンの香ばし匂いが漂っている。

 ついさっき、早めの朝食を済ませたばかりでも、リリアンがうっとりと鼻をひくつかせてる。まあ、仕方がない。この匂いは暴力だ。


「そう言えば、最近はカニ鍋のじゃがいもメインで、パンを食べてませんでした……」

「ああ……。ひと仕事終えたら、チコリちゃんに頼んでカニのフライでも作ってもらうか。焼き立てのパンに挟んでも、美味いと思うぞ」

「あうぅ……早く妖精王やっつけましょう。それ、とても美味しそうです」

「無事に帰って、腹いっぱい食おうぜ」

「約束ですよ!」


 門番に手続きをして、今日は東門を潜る。

 遠い山の稜線が、紫からオレンジに変わろうとしている。じきに日の出だ。

 朝焼けに向かう空を背に、二つの影が俺たちを待っていた。

 一人はお馴染みの色素の薄い優男だ。今日はとんがり帽子を被り、魔道士としての戦闘態勢に入っている。


「えっ……エイナスさんですか?」

「依頼は正規の手続きに沿って受けてきた。……もっとも、依頼料をどう使うかまでは、冒険者の規定には書かれていない」

「正解だよ、【極彩色】……。自分が冒険者だってことを、思い出したらしいな」

「どういう意味ですか、勇者様?」

「手続き上受け取っても、宮廷魔術師としての仕事をサボって行くんだ。損失補填として、同額を国庫に収めればサボリやすくなるよな?」

「そういう話を、若者の耳に入れないで欲しいものだ」


 エイナスは渋い顔で、同行している若者……まだ成人前、十四歳ほどだろうか、を見る。

 白銀しろがねのチェーンメイル。バスターソードを腰に、角盾を背負った姿は一端いっぱしの騎士に引けを取らない。


「ビヨルン・オーグメントといって、前騎士団長の長男だ。聖女殿の直衛ちょくえいに連れて行って欲しい」

「足手まといになるようなら、追い返すぞ?」

「前騎士団長は力及ばず、ミーミルに氷とされ、砕かれて落命した。【英雄】がどの様にミーミルと戦い、討ち滅ぼすのか。この目で見たいと直訴されてな……断れなかった」

「……死に急いで、敵を討とうとするなら置いて行く。だが、分を弁えてその目で見たいというのなら、死にものぐるいで従いてこい。楽な道じゃない」

「覚悟はできています。……よろしくお願いします」


 凍てつくような朝日に向かい、四つの影が死地へと赴いていく。

 依頼の成否は、まだ誰にもわからない。

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