第三話 遮音機とカニ鍋と【極彩色】
「朝からカニ鍋なんて、夢のようです……」
うっとりと、聖女リリアン・スウィーパーが涎を啜る。
神殿で生まれ育っているものだから、質素な食事しか知らなかった反動か、俺の従者になってから急速に食い意地が張ってきた。
欲望に忠実な俺に付き合ってると、食事も美味いものを選んで食ってるからな。
ほとんどのテーブルが、定食ともいえるシチューとパンにワイン。俺たちのは特注だ。
「しかし、この宿のチコリって娘……なかなかやるな」
「そうなのですか?」
「カニ鍋には、よけいな具材はいらねえんだ。カニと、じゃがいもが有りゃあ充分」
「私は、美味しければ何でもオッケーです」
気の抜けた事を言う聖女は放っておいて、うんちくを続けよう。
「昆布出汁の鍋に、先にじゃがいもを放り込んでおいて……カニの甲羅や細い足など、食う所のない部分を一緒に入れて、煮込んでカニの出汁も煮出す。すると、じゃがいもがカニの旨味をたっぷり吸って、堪らない美味さになるんだ」
「このじゃがいもが……そんなに」
「わぁ! まだ食おうとするな。……先に準備してたろうから、もう一度煮立てた方が美味くなる。それに、主役はカニだ! 鍋が温まってから、少しづつカニを入れて、食べ頃になったら食う! カニは煮過ぎない方が美味いからな」
「……そんな話だけ聞かされて、お預けなんて酷いです」
「待つだけの価値はありますよ。【英雄】さんの仰ることに間違いはないです」
山盛りの北海ガニを運んできたチコリが、満面の笑みを浮かべる。
若いのに、どこでこんな料理を覚えてきたのやら。
昨日のカニ酢も絶品だったが、今日の鍋用の調味酢には、東方の豆を発酵させた調味料を加えてるらしく、俺も食うのが待ち遠しくなってる。
それから、チコリがちょっと気まずそうに、エプロンのポケットからピンク色の円盤型の魔導機を取り出した。それをリリアンに渡す。
「あの……今夜から、その魔導機をお貸ししますので……お使い下さい」
そう言って、真っ赤な顔で小走りに逃げてしまう。
俺を含め、周りのテーブルもニヤニヤしているのだが、世間知らずの聖女様は、それが何だかわかっていないようだ。
「勇者様? 借りてしまったのは良いのですが……これは一体何の魔導機なのでしょう?」
「それか? ……【遮音】の魔導機だぞ」
「えっと……【しゃおん】って、何に使う魔導機ですか?」
「文字通りに、音を遮る魔導機だ。こういった宿屋で使われるのは……」
「使われるのは?」
「夜に部屋でエッチする時に、声が大きい聖女様とかがいると、他の部屋に丸聞こえで迷惑だろう? だから、魔導機で部屋の外に声が漏れないように【遮音】する」
リリアンの目が真ん丸に見開かれ、周囲のテーブルの男性陣を見回す。
ニヤニヤ笑いどころか、有り難やと拝む者もいる始末で……声の大きい聖女様はたちまち真っ赤になって、テーブルに突っ伏した。
「そんな……酷いです。せめて、その時に言ってくれれば……」
「言ったって、夢中になれば喘ぐだろう? しかも説法慣れしてるから、お前の声は良く通るし。処女のチコリちゃんには耳の毒だったろうよ」
「宿屋中に聞かれてたなんて……もう人前に出られません!」
「お……鍋が煮立ってきたな。カニを投入しよう」
「適当に入れてはダメです。先に半分こに分けて、勇者様の分と私の分で不公平がないようにしましょう!」
「……もう人前に出られないんじゃなかったか?」
「そんなの、カニの前には無力です」
だんだん、打たれ強くなってきたな、こいつ。
主食代わりのじゃがいもを頬張って、そのカニ出汁の染みた美味さに悶えてる。
熱いから、口の中を火傷しないようにしろよって……回復魔法のプロである聖女に、言うだけ無駄だろう。
なんか呪文唱えてるし。
しかし、この調味酢が絶品すぎるな……。小鉢に取った鍋の汁に加えるだけで、世界が変わる。
「勇者様、来年も冬はこの宿に来ましょう!」
「気が早すぎだ。まだ三ヶ月以上も滞在するんだから、それから考える」
たっぷりのカニ鍋を、朝なのでアルコール弱めの白ワインで満喫する。
もちろん夜もカニ鍋連チャンの予定だ。リリアンも何の不服のない顔をしてる。
全てのカニが殻になり、鍋も汁すら残らず平らげた頃、そいつがやって来た。
「……【英雄】ディノ・グランデとは、君のことか?」
プラチナブロンドの髪を長く伸ばした優男。白いローブに白樫の杖。色素の薄い顔で、銀色の目が品定めをするように俺を見ている。
「あんたが【極彩色】か……」
「エイナス・オーストレーム……そう呼ばれてる魔道士だ」
これで耳が長ければ、エルフのような印象だ。
魔力を感じられない者には、存在感の薄い印象を与えるだろう。だが、沸き立つ魔力を感じる者には、近寄りがたい恐怖を与える。
なるほど、ミスリル級の実力の持ち主に違いない。
「領主、冒険者ギルド長連名の召喚状を君に届けに来た。この意味はわかるな?」
「冒険者である限り、絶対に拒否できない召喚状……。しかし、名にし負う【極彩色】ご当人が、わざわざ届けに来るかね、普通」
「私の盾に足る実力か否かを、確かめるついでです」
「悪いが、俺の背中を任せられるのは、リリアン一人だ」
そこで
話の流れでそう言っただけで、褒めちゃいねえよ。
いざという時の回復魔法は有用だからな。
「そう言えば昔、噂で聞いたことがある。【極彩色】と渾名される魔道士が、どこかの領主の娘に恋い焦がれて、宮廷魔道士の真似事をしてるとか……。惚れたのは、姉姫か、妹姫か、どっちだ?」
「……下衆の勘ぐりに付き合う気はない」
「囚われてるのは、かつての姉姫なのだろう? どちらかを確かめておかないと、いざという時にトチ狂われても困る」
「私は、それほど感情的な人間ではない」
「アテになるかよ。……色恋沙汰は、人間の最も感情的な行動だぜ」
「ジョアンナ様の為だ……。ルーテシアだってわかってくれる」
「ハッ……テメエとは組めねえな【極彩色】」
エイナスの眉が吊り上がる。
じろりと睨めつけて、俺は言葉を叩きつけた。
「助けに行く相手を、見捨てるバカと組めるか。 お前は一体、何をしに行くつもりなんだ? それをトチ狂ってるって言うんだ」
一瞬、鼻白んだエイナスは、楽しげに笑い出した。
ひとしきり、笑いの波が引くと踵を返す。
「なるほど……【英雄】か。では、明日。城の謁見室で待つ」
その背中がドアの向こうに消えるのを見送って、リリアンがほぅっと溜息を吐いた。
「雰囲気のある人ですね……。でも、あんなに色味が薄い人なのに、なぜ【極彩色】と呼ばれているのでしょう?」
「さあな……あいつが魔道士としての本領を発揮すりゃあ、わかるだろう」
「でも、結局行くことになりそうですね。【氷の宮殿】に」
「若い領主の腹の括り方次第だな……。ミスリル級への依頼は、国家危機レベルだ。依頼料だって、半端な額じゃない。身内絡みだけに、押し通せるか……だな」
「困ってる人を助けてあげようとは、思わないのですか? 人でなしです」
「それは【勇者】のやることだ。……俺は正式に登録された冒険者だ。ミスリル級の俺がタダ働きをしたら、下位の冒険者が金を請求できなくなるぜ? 仕事として依頼され、それを受ける以上は、正規の手続きを踏まなきゃならねえよ……」
「そっか……困ってる人を助けようとして、もっと困る人を増やしちゃうんだ」
「聖女様として、リリアンの言うのも真理だ。だが俺は、仕事で冒険者をやってる。俗世を生きるにゃ、金は必要だからな」
複雑な顔をした聖女様の頭をポンポンと、優しく二度叩いてやる。
生粋の聖職者と、生粋の汚れ仕事の間には、どうしても相容れない部分はあるものだ。
「でも私は、あなたは【勇者】であるとの天啓を受けています」
「まだ……その時が来ていないんだろうよ。いずれ、巻き込まれて戦わざるを得ない危機が来るってことか。……嫌な予言だ」
「聖女としては、誇らしい天啓なのですが……」
「そんな危機は、来ないに越したことはない。平和が一番だろう?」
「……ですね」
聖女様は慈悲深く微笑んだ。
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