第二話 ノルドランの街と噂の宮殿と揺れる心

 空色の聖衣を見れば、誰でも天空神の高位の神官だとわかるし、銀糸で入れられた飾り刺繍から、聖女だと判断できるのだろう。

 リリアン・スウィーパーは、ただ名前を記入するだけで簡単に、城塞都市の中へと通される。予想通りなので、ついでの情報収集も命じてある。

 コソコソと耳打ちされてる、特別扱いだ。

 大剣を背にかけて、薄汚い姿の胡散臭い巨躯の男には、門番の態度も冷ややかなものだ。


「身分証を見せろ」

「運が悪いな。俺の担当になると仕事が増えるぞ」


 せせら笑いながら、襟元から冒険者証のタグを見せてやる。

 タグの輝きを目にして、門番はヒッと息を呑んだ。


「ミスリル級の冒険者……」

「可哀想にな、即座に領主の元に連絡に走らにゃならんのだろう?」

「ディノ・グランデって……【英雄】ディノ・グランデか!」

「違います。【勇者】ディノ・グランデです」

「リリアンは余計なことは言うな。【英雄】だの、【勇者】だのと俺が自分で名乗ったわけじゃねえよ。余計な二つ名はいらない。冒険者のディノ・グランデだ」


 何故か胸を張ってるリリアンの後頭部を叩いてから、言い放つ。

 涙目のリリアンは放っておく。


「あの……宿は決まってるのでしょうか? 連絡先も報告しないと……」

「従者の担当が、料理の美味しい宿を紹介したみたいだから、そこにする予定だ。……門番が特定の宿を紹介するのは規約違反だったはずだが、手間が省けるから良いな」


 リリアン担当の門番が顔を顰め、上司らしい俺担当の門番に睨まれる。

 まあ、そんな事はどうでもいい。

 背を向けて街に入ると、踊るような足取りのリリアンが先に立った。


「夕暮れのかまど亭という宿が、お勧めらしいです。料理担当の娘が、若いけど腕が良いと評判だって聞きました」


 俺が訊いたんじゃあ、絶対に教えちゃくれない情報だろう。

 どんな職種でも、美聖女には甘い世の中だ。


「待て、先に冒険者ギルドで獲物を換金しないと、宿代が出ねえ」

「じゃあ、私は先に宿に行って、部屋を予約してますね」


 お~い、従者。

 ……まったく、食いしん坊聖女め。美味しい宿を逃す気はないらしい。

 しょうがねえから、一人で探す。

 胡散臭そうな連中が多く流れる先が、たいがい冒険者ギルドか、盗賊ギルドだ。

 ほら、正解。

 スイングドアを潜り、大量の見定める視線を食らう。威圧を加えていやれば、ほとんどの視線は逸らされる。……さすが人族最北端の街。骨のある奴が多いな。

 受付で冒険者タグを見せる。目を丸くしても、声すら出さぬのはさすがだ。


「獲物の換金をしたい」

「では、あちらのコーナーへ」


 ミスリル級とあって、獲物の大きさを察したのだろう。奥の土間に案内して、解体師を呼んだ。受付嬢はそのまま二階へと急ぐ。

 まあ、ミスリル級の来訪は間違いなく、ギルド長案件だろう。

 まずはウルフやイエティの安物から並べ、無傷のスノーパンサー四体で解体師も唖然とし、同じく無傷のフェンリルには、さすがに目を丸くして唸った。


「さすがにとんでもねえ腕だな……これだけの上物は、そう拝めるものじゃない」

「即買いできるか? 何なら、買い手がつくまで待つが」

「多少の無理をしてでも買い取るさ。……ただの仲介より、直接売った方が利益がデカい」


 示された額は充分満足行くものだ。冒険者タグを重ねて、契約魔術でギルド内の口座に金が振り込まれる。

 好事家に売れば、もっと値が上がる。だが、そんな煩わしい交渉は面倒なだけだ。


「ふむ……まさか、こんな時期に【英雄】ディノ・グランデが来訪とはな……」


 鷲鼻に鼻眼鏡の小男が、胡散臭そうに言う。

 この男が、この街のギルド長だろう。抜かりのない目をしている。


「寒くなって、カニ鍋が食いたくなっただけだ」

「……差し詰め【氷の宮殿】の噂でも聞いてきたか?」

「寒いのは嫌いなんだ。そういうのは、この町なら一人くらいはいそうな、ミスリル級の奴に回してくれ。仕事をする気はない」


 ギルド長は、顔を顰めて首をひねった。


「いることはいるが……【極彩色】はスペルユーザーでな、単独討伐には向かない」

「知らんよ。……俺は雪が溶けるまでカニを食って、溶けたら出ていく」

「そう出来ると良いがな」


 ……不吉なことを言うじじいだ。

 俺はヒラヒラと手を振って、ギルドを出る。嫌なことを聞いちまったな。

 そうでなくても、雪に閉ざされる北の街。

 名を聞くだけでも寒そうな、【氷の宮殿】なんてゾッとしねえや。


 さて宿はどこかと中央広場に出たら、呑気にリリアンが手を振ってる。

 俺を見つけて子犬のように走ってくると、褒めてくださいとばかりに満面の笑みを浮かべた。


「宿の確保は完了です。夕暮れのかまど亭の最上級の部屋を二つ、確保です」

「ひと部屋で充分だろう、抱きまくら」

「私だってプライベートが欲しいですよ?」

「じゃあ、春でも売って自腹で払え」

「バーベキューの串も買えない私に、なんて酷い……」

「カニを食いたくないなら、勝手にしろ。同室なら従者として食わせるが、別部屋なら割り勘だ」

「……じゃあ、ひと部屋でいいです」


 最初に「勇者様ぁ」なんて従いてきた頃は、食欲より恥じらい優先だったのになぁ……。

 どっちも経験重ねる内に、すっかり食欲優先になっちまったな。

 まあ、犯すたびに泣いて、神に祈りという名の抗議をしてた頃よりは良いけど。


 夕暮れのかまど亭は、南の大門近くの路地裏にあった。

 こぢんまりとした良さげな宿で、噂に違わぬ良い香りが厨房から漂っている。麦藁色の髪を二本の三つ編みにしたチコリという娘が、評判の看板娘だろう。

 ひと部屋キャンセルに苦笑いをしたが、冬の間の宿代をまとめて払ったら、ニッコリと良い笑顔をみせてくれる。年の頃はリリアンと同じくらいか……。十七歳までは、いってないと見たし、男もまだ知らなそうだ。腰回りの線がまだ、固い。


 荷物はみんな空間収納の中だから、特に部屋置くものはない。部屋の確認だけして、食堂へ戻る。晩飯には少し早いが、酒を呑むくらいしかすることが無い。

 バーカウンターの奥に座るガンビーノって爺さんが、ここの主人でチコリの祖父らしい。

 それなりの腕がある冒険者連中が主客らしく、かなりのテーブルが埋まって、思い思いにグラスを傾けている。腕のない奴らは、まだ走り回って、少しでも冬の資金を稼がにゃ、生きていけないだろうから。


「俺はウォッカを。こいつには甘めのワインでも選んでやってくれ」

「お前さんが【英雄】ディノ・グランデか……。【氷の宮殿】の話でも聞きつけたかな?」

「ここでも、その話かよ。俺はカニを食いに来ただけだぜ」


 周囲が、ガンビーノ爺さんとの話に聞き身を立てている。

 耳は俺達の会話に、目はリリアンの横顔と胸の膨らみに。器用な連中だ。

 チコリがドサッと、茹でガニをツマミに置いてゆく。もうもうと上がる湯気に、リリアンの目が輝く。……俺の分まで食うなよ?

 うんうん……冬はやっぱり北海ガニだぜ。この蕩けるような甘みが堪らん。

 パキッと関節を折って、一気に抜くとぽってりとした身がするりと抜ける。ちょいとカニ酢につけて口に放り込むと、もう何の言葉もいらない。

 自然に頬が緩んできやがる。


「【氷の宮殿】には、領主の姉が攫われてるのさ」

「だから聞きたくないと言っているだろう」


 ガンビーノの口をピシャリと言葉で塞ぐ。

 だが、伊達に長く生きてはいない。言いたいことは言うつもりらしい。


「この爺の口を封じても、どうせ領主方の使いが来るさ。同じ聞かされるなら、先に概要を知っておいた方が良くはないかい?」

「まだ、来ると決まったわけじゃないだろう」

「来るさ。領主子飼いのミスリル級【極彩色】はスペルユーザーで、単独討伐には向かない。だが、壁役として【極彩色】の力を最大限に活かせる【英雄】が、このタイミングで街に来ているのなら、放っておきはしないだろう」

「領主の事情なんて、どうでもいいさ。俺はノルドランにカニを食いに来ただけだ。……だいたい、ここの領主は働き盛りの四十歳前。攫われた姉なんて、大年増じゃないか。……そんなのに感謝されても、嬉しかねえや」


 酒が不味くなってきたので、席を立つ。

 カニにむしゃぶりついてる食いしん坊聖女は……放っておいてもいいか。

 俺の背にガンビーノ爺さんの笑いが聞こえた。


「おやおや……【英雄】らしくもない。情報が古いな」

「どのあたりが古いんですか? カニ美味しいです」

「ニ年前の流行病で、前領主が亡くなって……今の領主は、次女であったジョアンナ様、十七歳だよ。攫われたのは、長女のルーテシア様、十九歳。共にお美しい姉妹じゃ」


 ビクッと、俺の肩が動く。

 だが、ここで振り向いたら、笑いものだ。

 見栄を張って、振り向かずに食堂を出てニ階へ上がった。


「今、勇者様の気持ち……揺れましたよね?」

「ああ、揺れたな」


 そんな会話が聞こえてしまう俺の地獄耳。

 ……ま、まだやると決めたわけじゃないんだからね!

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