第二話 『聞こえてしまった言葉……。』

数年後。

何事もない日常を過ごした私は、営業職の会社員として、ありふれた日々を過ごしていた。


ある日、取引先へと向かう途中で、あの噴水の前を通りかかった。

「そういえば……。」

ふと、あの老婆のことを思い出した私は、怖いもの見たさも相まって、件の噴水わきを見た。

と、いうより‟惹き寄せられた”ような感じがした。

そこには、まるで時間の流れを無視するかのように、あの時と変わら老婆の姿があった。

焦点の合わぬ目で何やら呟き、全く色褪せることのない真っ赤な傘を握っている。


途切れることなく流れゆく人波。

誰が誰だか分からない空間の中、その老婆だけはハッキリと認識できてしまう……。

「見てはいけない!」

心の中の自分はそう叫んでいるのに、どうしても目を逸らすことが出来ない。

金縛りにあったかのように指先ひとつ動かすことも出来ず、ただただ体中から汗が噴き出してくる。


その時、老婆の目がハッキリとこちらを向いた。

今までのような虚ろなものではなく、焦点は獲物を見つけた獣の様にしっかりと定まっている。

「……ヤバい……」

理由など分からない。

だが、明確に、私は危険だと確信した。


薄ら笑いを浮かべながら、ヒタヒタと老婆が近づいてくる。

何事かブツブツと呟きながら、一歩、また一歩と……。


「……、…さい……。」

「……、…ださい……。」


老婆の声が近づいてくる。


「……、…ください……。」

「……、…てください……。」


これ以上を聞いてしまったら、何か大変なことになると本能が訴えている。

しかし、身動き一つも出来ず、ただただその時を待つしかない。


その時、誰かが私の横を通り過ぎ、老婆に話しかけた。

「どうかしましたか?」

身綺麗な若い女性が、心配そうに老婆に語り掛けている。

射すくめるように私を見ていた老婆の目は、今までのことなどなかったかのように弱々し気な、懇願するような目に変わり、女性に注ぎ込まれている。


「……助かった」


我に返った私は、手足が動くことを確認し、一目散にその場を離れようとした。

“その老婆は危険だ”とこの女性に言うべきでは……。

ほんの一瞬そう思ったが、恥ずかしながら自分の身が一番可愛かった私は走り出した。


今にして思えば、このほんの刹那の迷いがいけなかったのかもしれない。

なぜなら、私はその言葉を聞いてしまったからだ。


走り去る私の背後から聞こえた「私を…探してください……」という老婆の言葉を……。










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