第17話
六月二十三日 池袋 四神学園大学グラウンド 十六時三十四分
「さて、トーナメント一週間前ね。志貴くんの修練がどれほどのものであるかを確認することにするよ。いいわね?」
夕刻、四学大のグラウンドにプロレス研の面々と久遠は集合していた。久遠が話したとおりに、龍斗の修練の総仕上げをするために、だ。
「おう、龍斗。どんだけのモンになったか、見せてくれよ」
「かいちょー、頑張ってくださいッス!」
賢治と陽子はジュース片手に観戦モードになっている。龍斗と久遠はグラウンドの片隅で、向かい合って立っていた。
「では、見せてもらおうかな」
「はいっ」
龍斗は腰を低く落とし、腕を前に出して構える――醒龍拳の基本的な構えだ。それに対し、久遠は身構えるでもなく自然体で立っている。
「打ってくるといいよ」
久遠は片手を前に出すと掌を上にして龍斗を招く。その招きに乗り、龍斗は大地を蹴って、久遠に向かっていく。初手は右拳を腹部目掛けて突き入れる。それを久遠は軽くはたいて軌道を変え、難なく捌いて見せる。続いて龍斗は更に体勢を低くして、水面蹴りの要領で久遠の足元を狙っていく。久遠はそれに無理に付き合わず、軽く後ろにバックステップを踏んだ。
「くっ、全然当たらない!」
龍斗は悔しそうにしているが、久遠は満更でもない表情を浮かべていた。
「全て捌いてしまったけども、なかなかに良い打撃だよ。さ、続けて」
龍斗は気を取り直して構え直す。踏み込み、左右の打撃を続けて打ち込み、それを起点として中段蹴りを叩き込む。その試みは当たりだったようで、龍斗の蹴りは久遠にガードをさせることに成功した。
「やった、受けさせたっス!」
「やるじゃねぇか、龍斗!」
ギャラリーが大いに沸く。だが、龍斗の顔はまだ浮かない。当てることはできたものの、クリーンヒットには程遠い手応えだった。
「まだ。一撃でも、しっかりと当てなきゃ」
「ふふ、いい心がけね。それじゃあ、次は私からっ!」
言い放つと、久遠が動いた。瞬間的に龍斗との間合いを詰め、鋭い突きを繰り出す。辛うじて龍斗はガードできたが、数歩、後方に弾き飛ばされる。
「重い……!」
流石に数年間、毎日修練を重ねた拳なだけはある。久遠の拳はとても、とても重かった。
「だけど!」
龍斗は久遠が拳を引く一瞬に全てをかけた。その一瞬に、久遠の顔面目掛けて拳を飛ばす。
「良い読みだよ。だけど、まだ喰らってあげるわけにはいかないな」
久遠は放たれた龍斗の拳を掴み取ると、小手投げの要領で投げ飛ばした。
「ぐあっ」
芝生の上にではあるが、背中から強かに叩きつけられて龍斗は呼吸ができなくなる。
「かいちょー、大丈夫っスか!?」
飲みかけていたコーラをほっぽりだして、陽子は龍斗の元に駆け寄る。賢治も心配そうな表情で見守っている。
「……ッ、ぐっ……! ……大丈夫、大丈夫」
駆け寄ってきた陽子を片手で制し、龍斗は体を起こした。
「流石は久遠さんだ。僕なんかじゃ、まだまだ」
「うむ。それが分かれば、上出来ね」
「えっ!?」
思いがけない久遠の言葉に、龍斗は目を丸くした。
「基本的な技を習得できた、この時期が一番危ないのよ。ついつい、自分の力を過信してしまうわ。その状態は、とても危険でね。統一祭トーナメントに出場する選手たちは、私と同じように日々修練を重ねた猛者でしょう? やるのならば、最大限に気を引き締めて掛からないと、大怪我をする結果になるわ」
「はい」
龍斗は師の言葉を神妙な顔持ちで聞いている。
「ここで勝たせて、自信をつけさせる……というプランも考えたのだけどね。だけども、それでは己の力を過信するだけの結果に繋がると思って、こういうことになったわけね。だけど、志貴くんの実力は確実に上がっているよ。今の調子ならば、統一祭トーナメントでも良い結果を残せるんじゃないかな」
そう言って、久遠は龍斗に薄く微笑みかけた。わざと手を抜いて勝ちをもらうよりも、調子の良すぎるコメントを貰うよりも、その微笑みが龍斗の自信となる。普段から柔らかな態度を多く見せる久遠だが、この柔和な笑みは特に気分が良い時に見せるもの――ここ最近の生活の中で、それに龍斗は気がついていた。
「まぁ、なんだ。結局、完成度はそこそこ高い……っつうことなのか?」
門外漢の賢治と陽子は不思議そうな表情を隠さない。
「僕は僕の学んだことを精一杯ぶつければいい。そういうことだよ」
「うむ、そういうことさ」
怪訝な表情をするふたりの前で、龍斗と久遠は和やかに笑みを交わしていた。
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