第13話

五月三日 原宿 代々木公園 十時十五分


 ゴールデンウィークに入った。久遠は知人に会うといって朝から出かけているので、研究会の面々は原宿まで足を伸ばしていた。代々木公園でひなたぼっこをしながら編集会議をしようということになっている。

 よく晴れた、気持ちのいい日だった。

「いやぁ、晴れたなぁ。こうぽかぽかしてると、居眠りのひとつでもしちまいそうだ」

 レジャーシートを敷いた上に横になり、欠伸をする賢治。

「賢治先輩、ちゃんと考えてくださいっス!」

 賢治と陽子はレジャーシートの上で編集会議を行っている。龍斗はその横で醒龍拳の套路を繰り返していた、套路とは、中国拳法でいうところの型のようなものである。

「龍斗もだいぶ板についてきたなぁ」

「毎日練習してるからね」

 寝っ転がりながら、龍斗の動きを眺めていた賢治は目を細めた。素人目に見ても、鍛錬が身に付いていることが分かるような套路であった。

そんな風に穏やかな時間が過ぎていたのだが、それは唐突に破られた。

「おう、姉ちゃん。一緒に遊ばないか?」

見るからにガラの悪そうな男二人が、陽子にちょっかいをかけてきた。陽子は頭をセルリアンブルーに染めていて奇抜な女ではある。が、素材自体は悪くないので、街を歩いていて声をかけられることはままある。声をかけられる事はよくあったが、ちょっかいをかけてきたガラの悪い男は事もあろうに、陽子の手を引っ張って強引に連れて行こうとさえしている。

「かいちょー、賢治先輩、助けてっス!」

「陽子ちゃん!」

 まず、龍斗が動いた。だが、套路はいくつか覚えたものの、実戦はまだまだ経験がないので腰が引けている。

「んだぁ? 彼氏か?」

「いや、違いますけど……」

 龍斗が口ごもると、ガラの悪い男はさらに強気に出た。

「なら、放っておけや。なー、姉ちゃん。行こうぜ!」

「やめてくださいっス!」

「うるせぇな、おちおち寝ても居られないぜ」

 そこで動いたのが賢治だった。スーツの上着を脱ぐと、レジャーシートの上に放り投げ、ワイシャツを腕まくりする。

「け、賢治!?」

 まさか賢治が動くとは思っていなかった龍斗は、驚きの声を上げた。

「ハンガーだ。ハンガーを頼む!」

 そして、そんなことを言い出した。面食らったのは龍斗だ。

「ハンガーだって?」

「そうだ。いいから、頼む!」

陽子は抵抗しているが、気を抜けば掻っ攫われてしまいそうだ。予断は許されない。賢治があまりに真剣に言うので、龍斗は走った。

近辺でフリーマーケットが行われていたので、ハンガーはすぐに見つかった、小銭でハンガーを購入すると、賢治に投げて渡す。

「よっしゃ!」

 賢治は意気揚々と二本のハンガーを構えた。

「んだ、コルァ!」

 賢治をガラの悪い男が威嚇する。

賢治は自信満々でハンガーを操り始めた。目にも留まらぬハンガー裁きで、くるくるとハンガーを回し始める。変幻自在にハンガーを操る賢治。まるで、ハンガーはヌンチャクのようで――そう、賢治は古い刑事映画で有名になった秘技を身につけていた。

 その名もハンガーヌンチャク。

「ざけんな!」

 ガラの悪い男はその挑発めいたハンガーの動きに苛つき、賢治に殴りかかった。その拳にハンガーを引っ掛けて、賢治は男をいなした。パフォーマンスではなく、明らかに実戦でハンガーヌンチャクを使ったことのある動きだった。そして、男の脳天にハンガーを振り下ろす。

 ハンガーはへにゃと折れ曲がり、男にダメージを与えることはできない。そう、龍斗が買い求めてきたハンガーは針金製のハンガーだったのだ。

「ちがーう!」

 賢治が叫ぶ。

「木のやつ!」


 龍斗は改めてフリマへ足を運んだ。服を扱っている出店も多いので木製のハンガーは簡単に見つかった。ハンガーそのものを売っている店はなかったが、手近な店に聞いてみたところ、千円ほどで譲ってもらうことができた。針金製のハンガーよりも値が張ったがそこは必要経費と割り切る。

 木製のハンガーを買い求めてから戻ってくると、賢治は二人の男を前に大立ち回りを演じていた。針金製のハンガーではダメージは与えられないが、拳に引っ掛けたり受け流したりすることぐらいはできているらしい。

「賢治、これを!」

 龍斗は賢治に木のハンガーを投げて渡した。木製のハンガーが飛んで来ると、針金製を投げ捨てて、空中で流れるように木製を受け取る。

「これで、お前らもおしまいだ」

 木製のハンガーを手に、大見得を切る賢治。見ようによっては格好の良い光景ではあるのだが、いかんせん手に持っているのがハンガーなのでしまらない。

「ざけんなぁ!」

 さらに逆上した男が蹴りかかる。賢治は冷静にその足首にハンガーを引っ掛けて引き倒し、倒れた男の喉元にハンガーを突き入れる。喉をやられ、咳き込みながらうずくまる男。その間にもう一人の男が賢治の後ろから忍び寄る。

「賢治、後ろ!」

「サンクス、龍斗!」

 後ろに目があるかのごとく、賢治はハンガーを振り回して男の横っ面をはたいた。大したダメージではなかったようだが、男の動きが一瞬止まる。動きの止まった男の脳天にハンガーが叩きこまれ、それと同時に腹部にハンガーでの突きが刺さる。

 勝負はついた。

痛めつけられた男たちを前に、賢治は見せつけるようにハンガーを振り回してみせる。男たちは敵わないと悟ったか、這々の体で逃げ去っていった。

「賢治先輩、ありがとうっス!」

陽子が賢治に抱きついた。賢治はくすぐったそうにしている。

「しかし、賢治があんな技を身につけてるとは思わなかったよ」

 龍斗は驚きの表情を隠せない。なにかの余興でハンガーヌンチャクをやることはあるかもしれないが、実戦で使えるほどに習得している者はいないだろう。

「俺はあの映画が好きでさ。三百回ぐらい観返して、練習して、ハンガーヌンチャクを習得したんだ。紗蘭さんにも手伝ってもらったりしてな。それで、実戦で使える精度の技にまでしたってわけさ」

 虚仮の一念とは言ったもので、一心に練習して賢治はハンガーヌンチャクを習得したらしい。

「でもまぁ。ハンガーがないと戦えねぇし、実戦向きじゃないってことに気がついたのは、習得した後だったんだがな」

 そう言って、賢治は苦笑する。、龍斗もつられて笑みを浮かべる。

「賢治先輩、すごいっスねぇ」

 陽子は至極素直に感嘆した。どんなことでも真っ直ぐに感情をだせるのが陽子である。その明るさには、龍斗と賢治は救われることは多い。。

「さてと、編集会議続けようぜ。来週にはトーナメントの出場者も出揃うはずだしよ」

 ハンガーを小脇において、賢治はやる気をだしていた。どうやら、一仕事終えたことで眠気はすっかり覚めたらしい。龍斗はそれを見届けて、套路を再開する。賢治に任せておけば大丈夫だという信頼感を持っている。

「それじゃ、誌面のレイアウトから考えるっス」

 心地よく穏やかな時間が取り戻された。その後。お昼過ぎまでプロレス研の面々は代々木公園で日向ぼっこを楽しんだのだった。

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