第8話

四月五日 池袋 四神学園大学中庭 五時五十六分


 翌日の五日も朝からよく晴れた。

「みんな来てるかな……と、おーい」

 龍斗が現地に到着すると、そこには賢治と陽子、そして、久遠が揃っていた。

「ごめん、遅れちゃったかな」

「そんなことはない。私たちが早く来すぎたのよ。時計を見てみるといいわ、まだ六時前よ」

 龍斗がスマホの時計を確認してみると、確かに時刻は六時少し手前。待ち合わせ時間には丁度といったところだ。

「ってことは、みんなは何時に来てたの?」

 興味が沸いてしまい、龍斗は思わず問いかけた。

「俺は三十分前だ」

「あたしは賢治先輩の直ぐ後っス」

 プロレス研のふたりはかなり早めに到着したようだ。

「私は一時間ほど前だね。日本は交通機関がスムーズに動くことを失念していたわ」

 海外では交通機関で時間単位での遅延が発生する国もある。そういう国の経験からか、久遠は相当早めに到着していた。

「ご、ごめん!」

 龍斗は思わず謝った。

 だが、頭を下げようとする龍斗を、久遠は掌を向けて静止させた。

「なぜ、志貴くんが謝るのかな? 勝手に早く来たのは私たちの方で、志貴くんは時間通り、遅刻せずにやってきた。どこに、詫びる要素があるの?」

「で、でも……」

「すぐに謝意を示すのは志貴くんの美徳であるけど、欠点でもあるね。拳法を始めようとするのならば、その辺りの意識を少し改める必要があるかもしれないわね」

 武道は礼に始まり礼に終わる、と言われる。それはもちろん重要なことではあるが、闘争心を失ってしまっては強い武人になることは出来ない。闘争心を失わないまでに相手をリスペクトする心を持つ。その辺りのさじ加減は非常に難しい。

 日本人は自分に非がなくても、すぐに頭を下げて謝ってしまう。戦いの場においては、それは弱さとなってしまう。無論、礼節を重んじる心は非常に優れた美徳であるといえるのだが。何事も、さじ加減、ではある。

「わかりました――ところで」

「なんだい?」

「久遠さんの習得している拳法って、なんて拳法なんですか?」

 その質問には、賢治と陽子は大いに脱力した。

「んだよ、龍斗。そんなことも知らないで教えを請おうとしてたのか?」

「おくれてるっスよー」

 賢治どころか陽子にまで小馬鹿にされてしまった。龍斗は少し憤然とした表情でふたりに聞き返す。

「そんだけいうってことは、知ってるんだね?」

「おうよ。久遠さんの身につけている拳法、それは『醒龍拳』だ!」

「歴史は古くて中国北派の内家拳、その中の形意拳とほぼ同時期に河北省で成立したと言わているっス。形意拳の龍形拳に影響を与えたとも言われているんスけど、内容は別のものっス。龍の動きを模したとされる動きから放たれる一撃は豪放、比類なき威力を持ち、秘拳とされてるっス!」

 そこまで聞いて、龍斗にはからくりが知れた。

「おまえらー! 待ってる時に久遠さんに聞いたね!?」

 三十分も前に来ていたのならば、そのくらいの話はしていて然るべしである。でなければ、日本のメジャープロレス団体一本の陽子が、そんな中国拳法の情報を知っている説明がつかない。

「やはは、バレちゃったっスね」

「隠す気もなかったけどなぁ」

 賢治も陽子もけろりとしているので、それ以上恨むこともできなかった。

「という事らしいんですけど、合ってます?」

「先ほど私がふたりに話した内容そのままだからね。間違っているということはないわ」

 久遠はひとつ頷いた。ふたりの説明で過不足ないらしい。

「あれ、そんな秘拳を僕なんかが教えてもらっちゃっていいんですか?」

「ええ。私が師傅に師事した期間はそう長くはなかったけど、皆伝の証を貰っているからね。一人前の拳士として、弟子を取るのもやぶさかではないわ」

「はい、よろしくお願いします!」

 こうして、龍斗の醒龍拳の修行が始まることとなった。


「では、まずは志貴くん。君の今の体力がどれ程であるか、確認させてもらうよ。とりあえず、腕立て、腹筋、背筋を百回ずつやってもらおうかな」

 久遠が龍斗に筋トレの基礎メニューをいいつける。それを受け、龍斗は早速筋トレに取りかかる。

「スクワットはやらないで良いんですか?」

 腕立て伏せをしながら、龍斗は聞いた。

「君は膝が悪いでしょ? スクワットをして悪化させると良くないからね」

 龍斗は思わず腕立ての手を止めた。

「僕の膝が悪いって、なんで?」

「君の歩き方を見ていると、若干右足を庇っているように見えるのよ。違う?」

 龍斗は小さく溜め息を吐いた。

「久遠さんはなんでもお見通しなんですね――ええ、僕は膝を壊してます。高校の頃、体操をやってたんですけど、そのときにやっちゃって。傷はもう完治してるんですけど、精神的なもので痛みが消えなくて」

 龍斗がSGWEの誘いを断り続け、研究会に身を埋めているのは、龍斗が平和主義者だという訳だけではなく、それも大きな理由だった。右膝を壊していては。格闘技をやるのには少々厳しいものがある。

「やはりね。分かったわ。志貴くんの修練は、なるべく膝に負担のかからないものにしましょう」

「ありがとうございます」

 改めて、久遠に下駄を預けて良かったと思いながら、龍斗は筋トレを再開するのだった。

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