おひとり様50%オフ!
柴田 恭太朗
千葉県はショッピングモール天国
真夏の早朝、Tシャツと短パン姿で私が庭でクルマを洗っていると、門の向こう側から陽気な声をかけてきたものがいた。
「パパちゃん!」
見ると門の扉に片手をあずけて、真っ黒に日焼けした男が白い歯を見せて笑っている。道路をはさんだ向かいの家の住人で向井さんという男だ。彼は私をパパちゃんと呼んだが、もちろん私は彼のパパではない。
「向井さんお早う。暑いねぇ、今年の夏は人を殺しにきているよね」
「ホントにね。こんな日はドドスコへ涼みに行かない?」
ほ~ら来た。向井さんが積極的に声をかけてくるときは、たいてい何かのおねだりをするときなのだ。彼の言葉を翻訳すると、今日はドドスコへ、つまり先月オープンしたばかりのショッピングモールへクルマに乗せて連れて行けと言っているわけだ。事実、冷房の効いたショッピングモールで買い物をしたり、食事をしたりして一日を過ごす家族は少なくない。
「パパちゃん、なんとドドスコで50%オフよ!」
いつの間に現れたのか向井さんの奥さんが夫と肩を並べて門の扉に両手をかけながら、顔を輝かせた。彼女も私をパパちゃんと呼ぶが、むろん私は彼女のパパではない。だんじてない。
「50%オフ?」
私はつい反応してしまった。ちょうどカーシャンプーが少なくなっていたので買わなければと思っていたところだったからだ。ドドスコで売っている高価なカーシャンプーが半額で買えるなら、それはかなりオトクではないか。
「そう! お一人様あたり50%オフ!」
向井の奥さんは、興味を惹かれた私の様子を見ると、目をキラキラさせながら門から身を乗りだした。
話はアッサリとまとまり、私は洗車を早々に終え、向井夫婦をクルマに乗せてドドスコへ向かった。この数年でクルマで気軽に行ける距離、具体的に言えば千葉県に、似たような名前のショッピングモールやアウトレットモールがワサワサと建設され、近年の千葉はショッピング天国の様相を呈していた。
群雄割拠する千葉でも後進企業のドドスコは奇抜な企画を、しかもかなり攻めたイベントを仕掛けてくることで有名だった。きっと今回の50%オフも何か特別なイベントに違いない。
「パパちゃん聞いてよ、前回の安売りで冷凍肉を10キロ買ったんだけどさ」
車中でも向井のダンナさんが陽気に話しかけてくる。
「10キロ? 食べきるのに何か月かかるか」
「我が家はバーベキュー大好きじゃない? だからあっという間だよ。それにね、肉の中に小さな金の塊が入ってた」
「なぜ?」
私は俄然興味を抱いた。昨今、金の価格は高騰していて、小さな塊であっても相当な価値があるからだ。
「なぜって、ドドスコのビックリオマケに決まってるじゃない」
向井の奥さんが顔を輝かせて強調した。彼女の説明によると、運が良いと商品の中に高価なオマケが入っていることがあるのだそうだ。
「さすがドドスコ、そういう趣向か。攻めてるねぇ」
集客のために射幸心をあおる仕組みなのだ。商品を買って、貴重な金塊がもらえるなら、そんな嬉しいことはない。私たちは期待に心弾ませながらクルマを快調に走らせ、ドドスコに到着した。
◇
夏雲の浮かぶ青空を背景にして、デーンとたたずむ巨大なショッピングモール。その入口ゲートをくぐり抜けると、吹き抜けになった広い建物の中に、ひときわ目を惹く行列ができていた。行列は『お一人様50%オフ』と煌びやかな装飾文字が書かれたアーチへと続いている。これが我々の目的、今回のイベントらしい。
私はここへ来るのは三度目だ。お気に入りのメガネを買ったのが初回。業務用の巨大なピザを買って、持て余したのが二度目。今回はそのいずれよりも混雑していた。
『お一人様50%オフ』。なんと素敵な文字ではないか、私はその文字を見るたび妙な高揚感に胸が躍り、心臓がバクバクとするのだ。ジェットコースターの順番を待っている子供のようなワクワク感で胸をいっぱいにしながら、私はそれまでずっと心にひっかかっていた疑問を口にした。
「いったい何が50%オフなんだろう?」
「何だっていいじゃない、パパちゃん」
向井のダンナが白い歯を見せて笑う。そう、彼は陽気な好人物だが、言い換えれば能天気な極楽とんぼだ。
「そうよ、だって50%オフよ? こないだやってた時は逃しちゃったのよねぇ」
安売りに目がない向井の奥さんは、逃した魚をしきりに悔しがる。
行列は長いながらも順調に進み、『お一人様50%オフ』のアーチの向こうの様子が徐々につかめるようになってきた。最初にわかったのは、その『音』だ。
――ズバッ シャコーン
鈍い音に続いて、何か大きな薄い板がこすれあうような金属的な摩擦音。
それが行列が一人進むごとに繰り返しリズミカルに聞こえてくる。
――ズバッ シャコーン シャコーン
ときおり金属音は2回、3回と聞こえるときもあった。
列がさらに進むと、音の正体が判明した。
50%オフのアーチをくぐった先に、人が通れるぐらいの穴が開けられた装置があった。行列の先頭の客が穴に横向きに半身を入れると、装置の上部から巨大なギロチンの刃が振り下ろされ、客を頭から股下まで
ズバッ
ギロチンの鋭い刃が落ち、客の半身がざっくりと半分に割れる。装置の中にあった半身そのまま穴の中へ取り込まれ、装置の外に出ていた半身は片足でピョンピョンと跳ねながら、装置から離れてゆく。その断面は小学校の理科室で見た、半身模型『太郎くん』にソックリだったが、より生々しい。なにしろ生きたままの人体模型太郎くんなのだから。切られた断面は装置が何らかのコーティングを施されているようで、血も体液も、半分に割られて内容物が見えている内臓すらもこぼれ落ちることはなかった。まさにお一人様50%オフ。看板に偽りなしだ。
シャコーン
その音はギロチン刃が客の血や脂をこそげ落とすためにクリーニングする金属ワイパーがこすれる音だった。あるいは金属ワイパーで刃を研ぎなおしているのかもしれない。
――ズバッ シャコーン
行列の客はみな憑かれたような表情で進んでゆく。
頬を上気させ、潤んだ瞳で『お一人様50%オフ』の文字を見つめながら。
かく言う私も冷静ではなかった、この行列はジェットコースターに向かう列と同じなのだ、並ぶ先には死と隣り合わせのスリルと高揚感が約束されている。アーチに書かれた文字を、そして50%オフの装置を憧れを持って見つめながら、ややもすると前に並ぶ向井の奥さんの背を押すようにしながら前進していった。
それでも我に返った瞬間があった。向井の奥さんが唐竹割りにされ、装置の中へ引き込まれていく半身に子宮の構造が見えたときだ。ああ、図鑑に描かれた図と同じだなと思い、一方で背筋をはい上る恐怖に私はつつまれた。
それでも行列から逃げなかった。
――だって50%オフなのだ。
『50%オフ』の文字を見つめるたびにあたたかい、子猫が親猫に抱かれるような幸福感にホワッと包まれてしまう。
理性と恐怖と50%オフの得も言われぬ酩酊感のはざまに揺り動かされながら、私の後ろに並んだ客に、
「どうぞ、お先に」
と順番を譲った。それが唯一できた抵抗である。
後ろの客は「いいんですか、悪いですね」などとつぶやきながら、嬉しそうに装置に半身をうずめていった。
「パパちゃん、早く早く!」
どうやって発声しているのか不思議だが、二枚におろされ半分になった向井夫婦がさかんに片手を振って手招きする。
それほど皆が進んで50%オフになるなら、ひとつ試してみるかとその気になった。と同時に、向井のダンナが言っていた肉の中の金塊の正体に気づいた。それは50%オフになった客の金歯であろう、そうだそれに間違いない。
私は一歩進み、装置の中に半身をうずめながら、これからどうやってメガネをかけたらいいんだろうと、そればかりを案じていた。
おひとり様50%オフ! 柴田 恭太朗 @sofia_2020
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