砂丘の巡礼

 今日初めて出会った美少女にいきなり童貞ですねと看破されたボクは、いったいどうふるまえば良かったのだろう。たぶん正解はない。とりあえずここは否定しておくに限る。どうせ彼女にはわからないのだから。


「ど、童貞ちゃうわ」

 なぜキョドる。なぜ関西弁。ボクは生まれも育ちも東京だ。

「隠さなくたっていいのよ、独特の空気っていうか童貞臭で分かるもの」美少女は可愛らしい張りのある声で笑いながら手をヒラヒラと振った。「それにトトリ様は童貞が好きだから。あなたは巡礼に行くといいわ。素敵なことが起きるかもね」


「だからぁボクは童貞じゃないって!」ボクは精いっぱいの虚勢を張った。「それにトトリ様とか、巡礼とか、いったい何の話?」

「童貞さん、あなた本当に知らないの?」

「童貞連呼はやめてください。ボクには桜坊さくらぼうという由緒正しい名前があるんだから」

「サクランボ! ほらやっぱり童貞チェリーじゃない。私はね、ミコ。カタカナでミコ」

「ミコさん……」

 神社の巫女さんみたいな名前だなと思った。

「そう。じゃあね質問を変えるわ。サクランボさんは、この海側に広がる砂丘の名前を漢字で書けるかしら?」

 ミコさんは再びニッコニコの美少女に戻って質問してきた。何を考えているのだろう? 彼女の真意を測りかねたので素直に答えることにした。


「鳥取砂丘でしょ、空を飛ぶ『鳥』に取捨選択の『取』って書いて砂丘」

「やっぱりね、サクランボさんはアッチの世界の人か」

「アッチ?」

「そう。ここは取鳥ととり県、聖なる鳥、取鳥トトリ様がお住まいになる地。あなたがいた世界とは別の世界」

「つまりその、ここは異世界ってこと?」

「まあね。私たちから見ればそっちの世界が異世界だけど。たまに迷いこんでくるのよ、トラックにはねられたりして。トトリ様と巡礼のことはこのパンフレットに書いてあるから、読んでみて」

 ミコさんはパンフレットをボクに手渡すと、カウンターへ戻っていった。


 先ほど、脇道から飛び出してきた軍用トラックと衝突寸前のアクシデントはあったけれど、ボク自身ははねられてはいない。もしかすると、その直前の路面段差を乗り上げたようなゴンというショック、あれが異世界へダイブした瞬間なのかもしれない。


 ともかくミコさんから渡されたパンフレットを読むことにした、それが答えまでの近道に思えたからだ。


 ◇


 パンフレットにはこう書かれていた。


 トトリ様とは、国家の命運を左右する予言を与える聖鳥であり、取鳥県ごと保護区サンクチュアリとして国が庇護を行っていること。


 その実態は砂丘に生息する鳩ほどの極彩色の鳥である。その飛翔スピードは音速を超えるため、肉眼で見ることはできない。唯一、姿を確認する方法は、砂丘を詣でる巡礼の体内に飛び込ませることだけ。


 しかし、トトリ様の出現はごく稀であるし、運よくトトリ様に出会えても、その飛翔速度からたいていは身体を突き抜けてしまう。トトリ様が留まることのなかった者は、そのまま死を迎え、殉教者として丁重に葬られる。


 それでもなお死を賭して取鳥砂丘を参詣する者が後を絶たないのは、奇跡を信じているからだ。


 ごくわずかな僥倖ぎょうこうを得て聖鳥を体内に留めた者は、託宣たくせんを行う燈明様とうみょうさまと呼ばれ、荘厳なトトリ神殿で暮らすこととなる。国家の命運を左右する人物ならではの扱いである。


 ◇


「……トトリ様のカラクリがわかった」

 ボクは読み終えたパンフレットをテーブルに放り投げた。


「カラクリ?」

 カウンターからミコさんが不満げな声をあげた。

「さっき砂丘から対物ライフルを積んだ自衛隊のトラックが走ってくるのを見たんだ。巡礼の胸を打ち抜いているのは、そのライフル銃だ」


 トトリが人体を突き抜けたときにできる穴に似せるには、通常の狙撃銃以上の初速と弾道直進性が必要だ。そこで巨大な対物ライフルを持ち出す必要があったのだろう。貫通力に優れた徹甲弾。巡礼の胸に大きな穴を穿ちつつ、上体が吹き飛ばない程度に調整した弱装弾を使っていると推測される。


「あなたが見たのは自衛隊じゃなくてトトリ様の私兵、近衛兵たち。それにしてもウカツすぎるわね、観光客に目撃されるとは」ミコさんは呆れたといったように肩をすくめた。「ライフルで撃つのは、いってみれば熱心な巡礼へのサービスよ。たまには奇跡を見せてあげないと信仰心を維持できないでしょ?」


 否定しないんだ! ボクは驚いた。巡礼へのライフル狙撃をミコさんがアッサリ認めたことが衝撃だった。


「するとトトリ様を体内に宿した燈明様の存在も疑わしくなる」

 ボクは当然の疑問を口にした。

「ああ、それは真実」

「だって体内に鳥が棲んでいるなんて、生物学的に無茶……」

 そこまで早口で言ったとき、


――ピー


 どこかで口笛に似た透きとおった音がした。

 喫茶店の中にはボクの他に客はいない。店内を見回しても口笛のような音がでるケトルの類もなさそうだ。


 カウンターを見るとミコさんがフリルのついた真っ白なエプロンの胸を押さえ、とまどったような表情でボクの顔を見つめていた。それはもうマジマジと。


 なんだろう。ボクに惚れたとか?


「サクランボさん、四時で仕事が終わるから待ってて。その後デートしようよ」

「デ……?」

 ボクは美少女の言葉に固まった。


 取鳥の女の子は奔放なのだろうか? もちろんセクシャルな意味においてだ。

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