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 父さんの助けもあり、両親から手術の承諾を得た俺は、翌日から病院を何度も渡り歩いた。


 大病院は、近くに二十ヶ所ほどあるのだが、それでも片道三十分かかったりもする。となると栞を連れ回す訳にはいかない。基本的に一人で手術の申し込みに行くのだが、やはりドナーが二十歳未満の時点で断られる。


 母さんも渋々であったし、父さんだって仕事もある。久遠は高校最後の大会があって、助けを求めるのも簡単じゃなかった。


 そんな一人で抱えている中で、栞は目を見張るほどの勢いでやつれていった。現状が余計に足や頭を急かす。


 焦っても上手くいくはずがなく、病院をまとめた地図に斜線が増えていくだけ。もう残り一ヶ月しかないと、神経をすり減らしながらも体を動かした。


「お願いします! せめて検査だけでも!」


「何度も言いましたが、患者が居ないとどうにも……それに、ドナーが二十歳を超えていないなら検査しても、こちらでは対応しかねます」


 そう言われ、頭を下げられる。幾つもの病院を見て分かった。これは謝罪じゃなく出て行けという合図なのだと。


「そうですか……ありがとうございました」


 無理なお願いなことぐらい分かってる。明らかに足りないことが多すぎる。俺の年齢にしろ、保護者にしろ。そもそも本人がいない。それでも、今は栞に無茶させるべきじゃない。


 俺の前で強がってはいるが、相当無理している。そんな中遠出なんて正直バカだ。舌打ちをしながら自動ドアを潜り抜ける。


 俺が一人で行けそうな大病院はあと四ヶ所。県外へ出ればもうないことはないが余裕がないのは明白だった。


 俺はバスに乗り込み、先ほどの病院に斜線を入れる。次の目的地は栞の通院している病院だ。


「出来れば行きたくなかったんだけどな」


 静かに漏れた本音にまた一段と心が弱る。一度、俺はあの病院で取り乱し、声を荒げている。大して成長もしてないのに既に黒歴史。掘り返すのすら嫌になる。


 ふぅー、と深呼吸を挟み、心を入れ替える。十ヶ所を優に凌ぐ病院で断りを入れられているんだからダメージも少なくない。だとしても、自分可愛さで逃げてしまえるほど、猶予がある訳でもない。


 それに、今頑張らなきゃ栞が死んでしまう。それと比べたら何億倍もましだ。


 気づけばバス停に着いていた。数分歩いて病院に到着する。吸った空気がやけに重い。それでも俺は病院に入るしかなかった。


 担当してくれたのは栞の担当もしてくれている先生。そこはありがたいのだが、よりにもよって、と思ってしまう。


「君、栞ちゃんの彼氏だよね。どうしたの?」


 前回のせいでいい印象はないらしく、睨むような視線が飛んでくる。しかし、怯んではいられない。


「彼女を助けたいんです。話を聞いてもらえませんか?」


「やはり君なんだね。とりあえず聞くよ」


 はっきりと告げると先生はそう言って俺の話を聞いてくれた。その後は先生に懇願まがいのお願いをする。「やはり君なんだね」という言葉の真意を聞く前に、渋った声が聞こえた。


「正直……なんとも言えないね。えー、ドナーが十八歳な訳だし……、肺移植の難易度はトップレベル。他の病院じゃまともに取り扱ってもらえないだろう」


 何度も聞いた言葉がここでも繰り返される。生体ドナーに関する法律は無いのだが、決まりはある。


 決まりの中で邪魔しているのが、『二十歳未満ならびに自己決定能力に疑いがある場合にはドナーになることはできない』というもの。


「そう、ですね……」


 重々しい言葉に嗚咽が混じる。もう、断られたくないという思いが喉を塞ぐ。


「えー、でもね、成人年齢が引き下げられてから、ちょっと決まり事が変わってるんだよ」


 「どういう意味ですか?」と問う前に、一つの文を見せられる。


『十八歳から十九歳については、以下の条件が満たされていれば、親族間の臓器提供が認められる場合がある』


 その文に目を奪われる。今まで数百冊の本を読んできたが、ここまで魅力的な文には出会わなかった。それぐらい、俺が欲していた言葉だった。


 『以下の条件』にも特段難しいものは無かった。簡単にまとめるとドナーが精神科医から判断能力を認められていること、説明の上で書類に合意していること、特定の委員会に報告し、承認をもらうこと。まとめるならこの三つ。


 これなら、間に合う。ギリギリだけど、栞を助けられる。やっと針山地獄を抜け出した。


「えー、今すぐにでも、君の検査をさせてもらっていいかな?」


「もちろんです。お願いします」


 溢れそうになる涙を必死に堪えながら、レントゲンや精神の検査を受けた。先生曰く、概ね問題ないらしい。


 病院を出たら六時を回っていた。入る前と比べて空気が軽い。俺は栞に伝えるため家に向かった。


 バスの一番前の席に座り、先生の言葉を思い出す。栞の体が七月まで持つかが、一番の懸念点らしい。咳は以前とは比べ物にならないし、顔色も悪い。最近は食欲も少ないと言う。


 栞のアパートに着くと、すぐさまインターホンを押す。最近見れていなかった彼女の笑顔を久しぶりに拝める。


 しかし、数分待っても物音ひとつしなかった。メールも既読すら付かない。急いで栞からもらった合鍵を使い部屋に入る。念の為に貰っていたものだ。


 玄関にはいつも栞が使っているトレーニングシューズがある。外出はしていない。水の音も全くしないのでシャワーでもないだろう。


 嫌な憶測を振り払うように土足で部屋に上がる。リビングを見渡すと、フローリングに横たわる栞の姿があった。


 足がもつれ、息もおぼつかないまま栞に駆け寄る。すーっ、すーっ、と寝息のような音を出しながらうずくまっている。


「栞! 大丈夫か!?」


 肩を揺さぶりながら119番にかける。顔は照れてるときよりも真っ赤で呼吸もやや短い。大丈夫、大丈夫、と心を落ち着かせる。出来ることはやろうと緊急時にも備えて色々暗記してきた。


 住所と症状を手短に説明し電話を切る。胸骨圧迫も人工呼吸も覚えたし、なんなら練習だってした。AEDも買ったし、常備している。ここ二ヶ月の俺の努力を舐めるな。


 今回は息はある。なら回復体位と呼ばれる体制が一番いいらしい。すぐさま頭部を後屈させ気管を広げる。膝を曲げさせ、上の腕を首元まで持ってくる。そして一度息を確認すした。少しは落ち着いたように見える。


 数分後救急車が駆けつけ、先ほどまでいた病院に蜻蛉とんぼ返りする。父さんと久遠にはメールで伝え、病院のソファーに座り込んだ。


 出来ることが無くなったと同時に不安が襲う。正直なところ、もう大丈夫だと思っていた。


 まだ過程が定まっただけで栞の症状は何一つとして解決していないのに。あと一ヶ月あるからと油断していた。そんな怠慢がこの結果を招いたのだ。


 生存確認のためにも何度かメールを送ってはいたのだがそれでも一日に二度か三度。昼過ぎに送ったメールには返信が来ているけどその後に倒れていたら五時間もあのままだったことになる。


 もっと気をつけていれば、栞を気にかけていればこんなことにはならなかった。


「蓮! しおりん大丈夫なのっ?」


「……今はなんとも言えない」


 久遠が病院の角から顔を出した。ジャージ姿なのを見るに学校帰りだろう。そのまま隣に腰掛ける。


「でも、死んではないんだよね?」


「ああ、死んではない。けど、もう起きるかどうかは分からない」


 自分で発した言葉なのに鳥肌が立つ。さっきまではどうってことなかったのに足の震えも治まらない。栞の死が眼前にある事実が怖い。


 起きなかったら手術なんてできっこない。今日までの努力全部無駄になる。神でも仏でも閻魔でもいい。誰でもいいから栞を助けてくれ。


 結局、俺に出来ることはこんな神頼みだけ。


「ダッサ…………」


 非力で無力な自分に、愚かな声がかけられる。栞を守るって、助けるって決めたはずのやつが、なんで倒れるまでほったからしにしてるんだ。


「ほんっとにダサい!」


 急な声に体が跳ねる。声量はそこまでないがあたりが静かなこともあってハッキリと頭に残る。


「手術出来る病院見つけたんでしょ! 蓮の肺、しおりんにあげるんでしょ! ならなんでグズグズしてんの! そこまでやった蓮がカッコよくないわけないでしょ!」


 まっすぐ俺を見る瞳が、真に誰を思っているのかを伝えてくれる。


「バカじゃない? 昔話に出てくる王子様とかキスしかしないよ。それに比べたら、蓮は、すっごい頑張ってる」


 俺の崩れそうな肩をしっかりと支え、面と向かって許してくれる。そうだ……そうなんだよ。もう、これ以上頑張れないんだ。


 久遠の左手が、そっと俺の右頬に添えられる。


「全然寝てないんでしょ。くますごいよ」


 久遠の手は、そっと俺の後頭部まで移動し、ゆっくりと抱き寄せられる。優しさと温かさが本物で、有無を言わさない。


「お疲れ様。しおりんはきっと大丈夫だよ」


 俺と言う人間の弱さが、身に染みてわかる。その染みた弱さが涙になってるんじゃないかと思うくらい、ゆっくりと、涙を流した。


 不安で泣きじゃくるとか、何歳児だよ。本当にカッコ悪い。でも、多分ダサくない。


「しおりんが起きたら、良かったって安堵するんじゃなくて、待ってたぞって言ってあげればいいんだよ」


「そうだな。分かった。もう大丈夫」


 ゴシゴシと涙を拭う。同級生に泣きつくとか、全然ダサいんだけど。


「そっか、良かった。私はいつでもウェルカムだからね」


 そう言って久遠は冗談混じりに腕を広げる。いらないところでネタを入れてくるのはどこか栞と似ている。


「汗臭かったから遠慮しとく」


「嘘でしょっ!?てか酷っ!?本当に臭いのかな……」


 久遠はわざとらしく脇の下や服を匂う。


「冗談だって。一生嗅いでたいぐらいいい匂い」


「それもそれで気持ち悪いんだけど」


 久遠の返しに顔を合わせて笑う。そのあとは一旦久遠を家まで送り、帰宅となった。


 日を跨いだ頃に栞から「もう大丈夫」と電話が来た。一時的に呼吸困難に陥り、意識を失っていたらしい。念の為に手術までは入院することになって、俺としては一安心だ。


 それから栞は大きく体調を崩すことはなく、八月二十七日、手術当日を迎えるのだった––––。




 完結まで残り二話!!

 

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