13万字で愛を綴る

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　翌日、俺は母さんと父さんと栞を呼び、卓を囲わせた。既に不機嫌な母さんと、何となく状況を理解した父さんが並び、対面に俺と栞の順で座る。

「蓮、久しぶりね、夕食にも顔を出さずに、何してたのかしら？」

　氷のような冷たい声で母さんは問う。無意識に背中が張った。栞も圧に押され背筋を伸ばしている。

「その話も含めて諸々するつもり。何から言ったらいいか分からないけど、こちら、綾波　栞さん。お付き合いさせてもらってる子」

　俺が手で示すと、母さんは目を見開き、父さんと俺を交互に見た。それもそのはず、今まで色恋沙汰など無かったのだから。

　「初めまして」と軽くお辞儀する栞に、困惑しながら会釈している。本題はここからだ。

「母さん、父さん、早速だけど……俺たち、結婚する」

　理由はあれど、結婚報告。その形式に則（のっと）り、結婚する旨を話す。

　栞を助けるためという名分はあるものの、それはあくまで結婚を早めた理由にすぎないと思っている。栞が病気じゃなくても通る道なら、真っ先に栞の命を盾にするのは間違いだ。

　二人とも疑問符を浮かべているが、先に正気に戻ったのは母さんだった。

「何を言ってるの？　学生婚が悪いとは言わないわ。でもそんな急に……ねぇ？」

　父さんはうんうんと同調する。俺だって理由なく学生婚なんて理解し難い。その上、俺が結婚できるようになったのはつい昨日のこと。余計に訳が分からないのだろう。

「分かってる。理由も今から話すよ。栞はさ、肺線維症っていう病気で、もうあと三ヶ月ぐらいしか生きられないって宣告されてるんだ」

　俺の言葉に両親の視線は栞を射抜いた。面識が多い分、父さんは困惑を隠す余裕がなくなっている。

　良くも悪くも、二人は栞に同情しているはず。自分の息子と同じ歳で死に直面した人を前に、何も思わない方が不可能。無理にでもそこにつけ込む。

「でさ、生体移植っていう、生きてる人の体から移植する手術があるんだけど、俺はそれで栞を助けたい。そのためには婚姻関係が大前提なんだ。俺は父さんたちに断られても結婚はするし、手術も受ける。その上で、承諾が欲しい」

　十八歳からは親の許可なしで結婚できる。だから結婚報告でしかない。拒否されたら縁を切るのも覚悟の範囲内。

　学生婚を反対する、理由がないという意見はもう潰した。ここからはアドリブ。できることなら合意を得た上で手術を受けたい。「私が喋るわよ」と、母さんはそっと息を吸う。

「言いたいことは分かったわ。でもそれって蓮の臓器を栞ちゃんにあげるってことでしょ。栞ちゃんには申し訳ないけど、蓮が傷つくなら、それは反対よ」

　重々しい言葉が母さんの口から漏れた。栞を助けられるのに、人を助けられるのに、反対する意味がわからない。でももう学んだ。声を荒げてもいいことなんて一つもないし、母さんを逆撫でするべきじゃない。

　俺は落ち着いた声で、「なんで？」と問う。

「理由は色々あるけど、蓮は今年度は大学受験よ？　そんな大切な時期に恋愛ならまだしも、結婚に手術。リハビリなんかも必要になるわよね。己の子の人生を左右する時期に、他人を助けてあげる義理は無いわ」

　栞の前で、キッパリとそう告げる。母さんのそれは冷たさであり、自分の子へ対しての優しさでもある。だから、栞に対しては棘が生まれてしまう。

　言葉に詰まっていると、追い討ちと言わんばかりに理由を付け足す。

「生体移植を受けて蓮の体は今まで通りの生活が出来るの？　死ぬってことはないでしょうけど無害ってわけでもないわよね。正直に答えて」

　母さんは変わらず俺をまっすぐ見つめている。

「合併症の危険もあるし、肺活量も二割ぐらい低下するらしい。でも、合併症は治療できるから、実質的には肺活量ぐらい」

　母さんの質問には躊躇わず答えた。昨日からノンストップで調べ上げている。危険性もデメリットも成功率も。実際、ドナーにもレシピエントにも最大限の注意が払われる。

　畳み掛けるまでにはいかなかったのか、母さんは首を捻る。

「そう……手術後の生存率は？」

「一年後は80%、五年後は60%、十年後は35%……」

　俺の答えを聞いて、母さんの目つきはより一層酷くなった。母さんからしたら、息子の人生を分ける大切な一年を捨てることになる。その上、助けた少女が今の自分の歳まで生きれる確率は微々たるもの。容易く頷けないのは当たり前。自分の息子を思うならより一層。

「期待値八年が良いとこでしょう。正直に言わせてもらうわ。私はその八年より、蓮の八十年の方が大切よ」

　面と向かって、ここまではっきりと言い切るとは思ってなかった。栞がどう思うかなんて二の次で、正論だけを武器に、俺を殴ってくる。

　母さんを睨む。久遠の喧嘩と一緒だ。相手は俺を思っていて、俺は栞を思っているからこその食い違い。もう失敗は繰り返さないって決めただろ。落ち着け。

「母さんは俺が栞をどこまで思っているか分かってない。栞が死ぬってだけで、部屋から二ヶ月も出られなかった。もし栞がこの世からいなくなったら、大学受験なんて話にならない」

　これは相当ダサい戦い方だと思う。でも俺が切れるカードは既に場に出した。あとは自分の弱い部分で脅すことしか出来ない。

　ただ、次の言葉で俺が母さんに討論で勝とうなんて早かったんだと思い知らされる。

「それは栞ちゃんがどうにかしてくれるでしょう。誰も自分のせいで愛人の人生を狂わせたいなんて思わないでしょ？」

　母さんの言葉に栞はゆっくりと頷く。栞も俺のしがらみにはなりたくないと思っているのだろう。

　無理やり聞き出すまで助けてと言わなかったのは、俺の後悔を減らすためだったのかもしれない。引きずる性格だと久遠も言っていたし、栞もわかっているのだろう。

「私は蓮がどれほど栞ちゃんを思っているか分からないけど、それはお互い様でしょう？　蓮も母さんがどこまで蓮を思っているか分かってないわ」

　痛いところを突かれ、またしても反論は出ない。

「母親が一番嫌なことは子供が傷つくことよ」

　母さんの言葉が、ずしっと腹の奥に落ちる。言葉の重みが俺とは桁外れだ。栞を助けるとかそれ以前の問題。まだ、俺には足りないものだらけ。

　これで話し合いは終わり、と母さんが俺に目を合わせる。説得は諦めるしかないのか……。

　「そっか」と負けを認めようとした時だった。

「一ついいかな、俺も玲さんと概ね同じ意見。蓮にとって大切な時期だと思うし、蓮が傷つく必要もないと思う」

　今まで無言を貫いてきた父さんが口を開いた。出てくるのはやっぱり正論で子供のわがままを諭すような口調だった。

「でも、母さんと一つ違うところがあるとしたら、俺は蓮の手術には賛成だ」

　母さん含めた三人が父さんの方を驚いた視線で見つめる。そんな俺たちが面白かったのか、少し苦笑した後、父さんは理由を話し出した。

「俺は玲さんと違って栞ちゃんと面識が多いっていうのもあるけど、高校生の時の恋愛って、どう出会っても引きずるからさ。俺、高校生の時、恋愛失敗してるんだよ。蓮には失敗して欲しくない」

　そうしておどけたように笑う。父さんの小説に高校生時代の作品が無いのは、高校生の時の恋愛を引きずっていて、思い返したくなかったからだと言う。

　だから、修学旅行を休んで栞と遊ぶことも、受験生なのに星を見に行くことも許してくれたのだと。

「それに、これは蓮のわがままだ。親としては聞いてやるべきだろ？」

　父さんは母さんに挑発する。俺と栞は口を挟むことすら憚（はばか）られる。母さんはその挑発に父さんへ相手を変える。

「わがままを聞くことも大切だけど、子供の間違いを正すのも親の役目でしょ」

「玲さんは蓮のわがままを今まで聞いたことある？」

　間髪入れない父さんの攻めに、母さんは一瞬言葉に詰まらせる。形勢逆転だ。それでも母さんは折れない。

「それでも、蓮が傷ついていい理由にはならないわ」

「傷ついてでも愛してる子を助けるっていうのはかっこいい事だと思うよ。それに、俺たちのわがままで蓮に別居を受け入れてもらってるんだ。ならお願いの一つぐらい聞いてあげるべきだ」

　父さんが優しい口調でまだ何かある？　と聞く。俺はまだ子供だけど、子供だからこそ、わがままが通る事だってあるんだと身に染みて分かった。近くにいた人は俺の弱さを見てくれている。

「今、別居の話は関係ないわ」

「なら蓮の大学の話も関係ないね。これはもともと二人の結婚と手術の話だ」

　完全に母さんが丸め込まれた。父さんが否定派だったら絶対に説得できなかったと思う。歯が立たなかった母さんが一瞬で手玉に取られる姿はちょっとしたホラーである。

　結論を待つ俺に父さんは口を開いた。

「とまあ、こんな感じで言ってみたものの、母さんの言い分は尤（もっと）もだ。大学受験も大切だしね。だから、俺と玲さんは二人の結婚、手術を認める。その代わり、蓮は母さんの希望する大学に受ける事。それでいい？」

　見事な折衷案だ。妥協も打算も許さないと語っている。これで手術が終わったあとは受験勉強地獄が確定した。

　父さんの協力もあり、今日の収穫としては十分だ。その後は生体移植とこれからしていくことについて説明し、大まかに理解してもらった。

「母さん怒りすぎなんだよ。長いって」

　歩きながら愚痴をこぼす。栞を駅まで送りながら、赤紫色の空に視線を上げる。あの後もまだグチグチと言われた。親にとって一番嫌なのは子供が傷つくこと、二番は子供と離れること、三番は初の彼女を連れてくること、らしい。コンプリートしてんじゃん。

「生体ドナーが二十歳って言ったら凄い怒ってたね。でも、それぐらい蓮くんを思ってるってことなんだよ。蓮くんの周りには強敵が多くて困っちゃう」

　いつものようにひひっと笑いながら手を繋いでくる。

「強敵って恋敵のこと？そんなマザコンじゃないし」

「確かにマザコンではないね。ヒーローだもん」

　そして意地悪が決まったかのようにしてこっちを見てくる。

「ヒーロー呼ばわりは辞めてくれ。俺は栞の彼女ってだけで十分戦えるから」

「おい、日を跨いでまで煽ってくるな」

　そう言うと栞は咳を笑い声で隠しながら笑顔を作る。まだ親を説得しただけなんだ。安心しちゃいけない。俺にはまだまだやることがある。