最後の「四章」

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「栞、俺と結婚しよう」


 図書室に、プロポーズが響き渡る。栞はスマホを握りながら、キョトンとしていた。


「けっ? 違っ、何で? えっ?」


 複雑な顔をしながら、疑問にたどり着いた栞は今もなお、困惑の目でコチラを見ている。


「栞を助けられるかもしれない。だから、俺と結婚してくれ」


「何言ってるの? それより、今まで何してたのよ。ずっと、もう、一人なんだって、怖かったんだよ?」


「ごめん。これからは絶対一人にはさせないから」


 席を立ち、近づいてくる栞。俺もゆっくりと歩み寄る。あの日、抱きしめてやれなかった栞を、強く抱きしめた。胸に収まる感覚が久しい。


 絶対に助け出す。道が無い? ふざけるな。作ってやる。俺の器に収まらない? 大きくすればいいだけだ。


「もう絶対、離さない」


「こっちのセリフだよ。どこ行ってたの! 結婚って何! すごい怖かったんだから……」


 あの日のように、栞が俺の胸で震えている。今度こそ、頭を撫でて、背中をさすってやれる。栞を慰めるからには、俺も覚悟を決めないといけない。


「栞、今から説明するから、一旦座らないか?」


 まだ助けられると決まったわけじゃない。俺だって早く助けられると知って安心したわけで、詳しく調べたい。


「このまま説明して。今は離れたくない」


 栞の可愛さに頬が緩む。この感じ、懐かしい。俺の背中に回っている腕が愛おしいので、このままで説明することにした。


「栞は生体移植って知ってるか?」


「知ってるよ。でも、私、親いないでしょ?だから無理なの。親族じゃないとダメじゃん」


 そう、生体移植は原則親族から行われるもので、他者からの生体移植は調べた限り無い。ならどうするか。結婚して仕舞えばいい。簡単な話。


「だから、俺が肺の片方やるよ。俺と結婚しろ」


「あっ……」


 俺が繰り返すと、結婚というワードの意味が分かったらしい。でもまだ納得出来ない部分があるのだろう。


「それでも無理だよ。血液型とか、臓器とか……」


「覚えてないのか? 俺はO型だぞ」


 O型は素晴らしいことにドナーに適している。それはO型には抗原が無いためであり、拒絶反応が起こらない。


 栞はA型。つまり、栞はA型かO型からしか臓器提供出来ないのだ。デート二日目、恋愛の相性が一番いいと書かれていたが、それだけでは留まらないらしい。


「でもでも、肺って二つじゃん。どうするの? 二つともくれるの?」


「あげるか! 栞が動いてないのは片方だろ。なら何とかなる……と思う」


 分かりやすく言うなら、左右の違いはあれど、動いている肺は俺と栞合わせて三個。肺の生体移植は半分を移植するので、一つと半分にしようということだ。


「理想論じゃん」


「栞っていう理想の彼女がいるんだ。不可能じゃない」


 俺のカウンターに栞は顔を埋めるが耳まで赤いので照れているのがバレバレだ。俺も恥ずかしいこと言っちゃったなって思ってる。


「蓮くんはそれでいいの? 肺無くなっちゃうんだよ。分かってる?」


「栞への誕生日プレゼントだよ。気にする必要ない」


 まだ問題は残ってる。親の説得もいるし、病院とだって相談する必要もある。医療費だって必要だし、それまでの間で栞が死なない保証もない。それに……大きな問題がもう一つ。


「蓮くん、そこまで生体移植のこと知ってるならもちろん知ってるよね」


 栞の冷たい声にドキリとする。生体ドナーの条件。六親等以内の血族と三親等以内の姻族であること。ドナーが提供を希望していること。そしてもう一つ。


「生体ドナーって、二十歳以上だよ」


「俺、留年してるから今年で丁度二十歳な気がする」


「無理無理。どうするのよ!」


 どうするったって、どうしよう……。脳死などの臓器移植は十五歳以上なのに対し、生体移植は二十歳以上らしい。


「病院に土下座しに行こう」


「バカなの? そんなのでいけるわけないじゃん」


「試す価値はあるだろ。それに、助けられるかもしれないんだ。年齢が理由で諦められない」


 俺は今日で十八歳。最短でもあと二年。それまで栞が生きれるとはお世辞にも言えない。ならば、無理矢理でも押し通すしかない。


「んんっ、でも、本当にいいの? 失敗だってするかも知れない。今までみたいな生活が出来るとも言い切れないんだよ?」


「俺は、栞がいれば、それ以外何もいらないって思ってる。嘘じゃない。俺と一緒に生きてくれ。もう一回言う。俺と、結婚してほしい」


 心底ずるいと思う。こんな言い方で栞は断れるはずがない。でも手段は選んでなんかいれられない。


 栞が余命宣告された日からもう既に九ヶ月は経っている。余命はわざと少なめに言うなんて言われてはいるが、確証はない。


 栞を助けるための一分一秒が惜しいから、俺は視線で返答を促す。


「お願い……します。私を……助けてください」


 この一年、ずっと隣で見続けていた栞の顔。でも、目の前の涙を流す彼女が、最も美しいと思った。幸せだけで溢れた顔を、初めて見た気がする。


「期待すんなよ」


 そう言って笑ってやる。この笑顔を守ろうと、もう一度強く決意した。


「ありがとう……絶対、助からないって、ずっと、ずっと思ってたから……もう、生きられないんだって、諦めてた。でも、諦めらんなかった。助けてって、助けて欲しいって、いつも願ってた。生きたいって、思ってた。蓮くんは、私のヒーローだね」


 溢れる涙を拭こうともせず、嗚咽を漏らしながら膝から崩れ落ちた。俺が押し付けてた栞の感情。生きたいって言葉が聞けてよかった。


「ヒーロー呼ばわりは辞めてくれ。俺は、栞の彼氏ってだけで十分戦えるから」


 その後は栞が泣き止むまで背中をさすってやり、久しぶりに学校を二人で歩いた。俺にとっては二ヶ月ぶりの登校だ。


 この二ヶ月、碌な生活を送っていなかったなと思い返す。食事は一食、外の光も浴びず、パソコンに張り付く毎日。我ながら酷い。


「ヒーロー呼ばわりは辞めてくれ。俺は、栞の彼氏ってだけで十分戦えるから。だって、カッコいいー」


 つい、十数分前に言った言葉で栞が煽り散らかしてくる。俺の優しさを返して欲しい。


「人の名言を嘲笑うなよ。黒歴史更新しちゃうだろ」


「流石、歩く黒歴史だね」


「はいはい」


 軽い咳をしながら笑う。夜空を見に行った日より随分と痩せている。目のクマも少し目立つし、顔色もあまり良くない。そんな視線に気付いたのか、説明してくれる。


「やつれてるのは蓮くんのせいだからね? どれだけ不安だったと思ってるのよ。メールも来ないし事故でもあったんじゃないかって不安だったんだから! 久遠ちゃんも連絡つかないって言うし。家まで行ったら冷さんは大丈夫の一点張りだし……もう会えないんじゃないかって、思っちゃった」


 俺は、病気を治すことばっかりで、栞のことなんて二の次だった。そうやって傷つけていた。まだまだ、俺は弱いと思い知らされる。


「家まで来てくれてたんだな。気づかなかった。ありがとう」


 父さんや久遠にも連絡を入れて置かないと。問題は山積み、期限は三ヶ月、失敗は許されない。いくら何でもハードモードが過ぎる。


「まずは親に言わないとな。早速明日でいいか?」


「うん。緊張するなー。結婚報告でしょ」


「まあな」


 初対面で結婚報告ってのはいかがなものかとは思うが、馴れ合ってる暇は無い。否定されても無理矢理結婚するつもりではあるし。

気づけばいつものように手を握っていた。へへっと疲れたように笑う栞が愛おしい。


 小説で、「彼女はちょっと強いだけの普通の女の子」的なフレーズをよく目にする。でも、頼れる人もいなくて、一人で病気と闘っている彼女を普通とは思えない。


 それに、俺にとっても、特別だから。

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