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 4月18日、俺は自分の誕生日にも関わらず、自己嫌悪に襲われていた。あれからずっと、俺は栞を避け続け、自分のクラスも知らないまま進級した。


 栞や久遠からのメールも無視し、家族との食事も断り続けた。このままじゃいけないなんて分かってる。でも、怖い。いつか来る栞の死が怖くて、自分の部屋から出られない。


 助けてやりたいのに、自分は無力で、無知で、無価値で。余命系の恋愛小説を読んで、ヒントを得られないかと思ったが、大抵ヒロインは病気で死ぬ。


 主人公がヒロインを助けることが出来た場合もタイムリープやパラレルワールド、現実じゃない。当然だ。治らないから不治の病。病を治す方法なんて無い。


 もし俺が凄腕の医者であったなら、もし俺が人の臓器を操れる超能力者であったなら、栞を助けられたのに。


 でも結局、俺は俺。役職がつくならば、少年B。名前もなく、少年Aにすらなれない出来損ない。


 当たり前だと思う。人にはもともと器があって、その大きさに見合ったものしか得られない。陸上から逃げ、人から逃げ、栞から逃げたちっぽけな人間。人を助けたいなんて、ちゃんちゃらおかしい。


 普通の人間なら、それこそ小説の主人公なら、残された時間を大切にヒロインと愛を育むのだろう。


 でも俺はそれが耐えられない。なぜ、死ぬのに笑える。なぜ、もっと一緒にいたいと叫ばずにいられる。何が思い出作りだ。まだ一緒にいたいって思いがあるのに、悔いの無い死なわけがないだろ。


 時折、窓を通る夫婦を見ては将来を呪う。俺は、栞と一緒に生きていけたら、それだけでいいのに、それを許しちゃくれない。


 栞が助かる道があるなら、俺は命だって閻魔に売ろう。でも、そんな道、存在しない。茨の道でもあったなら、ここから動けたはずなのに。


 俺は、ただの高校生。血液型O型で、今日誕生日で、ちょっと足が速いだけの、読書好きな高校生。こんな凡人が栞を救う? 笑わせるな。


 そうやって、自己嫌悪と試行錯誤をループしていると、父さんの声が聞こえてきた。


「悪い、今日帰ってこない。一応母さん呼んでるから何かあったら言っとけよ。じゃ、誕生日おめでとう。祝ってやらなくてすまない」


 俺が一ヶ月も学校に行かなくても何も言ってこなかった父さん。それが楽でありがたかったけど、とうとう堪忍袋のが切れたのだろうか。


 お婆ちゃんを呼んでくれるのは、父さんの不器用な優しさなんだと思う。久遠の時はお世話になった。でも、今回に限ってはどうしようもない。


 命を救うなんて、出来るわけない。俺が事故にでもあって臓器提供出来ないかとも考えたが、どうやら自殺では臓器提供出来ないこともあるらしい。


 そんなことしたって栞は手術を受けてくれないだろうが、それぐらいしか思いつかなかった。


 気づけば時計は正午を指していて、リビングから昼飯のいい匂いがする。お婆ちゃんが何か作ってくれているのだろうか。


「ご飯出来たわよ。おいで」


 お婆ちゃんの優しい声に俺は恐る恐る部屋から一歩踏み出した。何も変わらないはずなのに、空気が冷たく感じる。引きこもりの弊害だ。


「久しぶりねえ、随分やつれたわね。筋肉も落ちちゃってるじゃない。はい、とりあえず食べな。蓮ちゃんの好きな鮭の塩焼きだよ」


「ありがと。腰はもう大丈夫なの?」


「いつの話してるのよ。お婆ちゃんまだまだ若いんだから」


 俺より元気なのには本当に驚く。変わり映えしない若々しさは一体どこから来てるのか。


 手を合わせて、ご飯を食べ始める。暖かいご飯はいつぶりだろうか。温もりのある白米が乾いた口内に張り付く。


 美味しいな……。俺、何やってんだろ……。


 気づけば、涙が流れていた。それでも、箸は止まらない。塩分が多すぎる塩焼きも、具沢山すぎる味噌汁も、和食に合わない牛乳も、全部、優しさの味がする。


「話、聞かせてくれる?」


「うん……うん……聞いて、俺さ、ダメなやつでさ、何も出来なくて、でもそれじゃダメで、助けなきゃいけない子がいて……」


 俺は、口の中にいろんなものを入れながら、顔を涙やら鼻水やらで濡らし、喚き声とも鳴き声とも似つかない声で栞のことを話した。


 助けてと言った栞の声が、何度も脳裏に蘇るのだ。怯えて震える栞を抱きしめてやれなかった。そんな俺でも、栞を助けてやりたかった。


 話している間、お婆ちゃんは終始うんうんと頷くだけだった。それでも話終わると、ゆっくりと口を開いた。


「蓮ちゃん、お爺ちゃんが死んじゃうってなった時、一つだけもうちょっと長生きできる方法があるかもって言われたの。臓器移植って言うんだけどね」


 俺はうんうんと頷きながら鼻水を啜った。知ってる。何度も考えた。何度も願った。でも栞が言っていた通り、臓器移植は厳しい。ドナーが現れる確率は本当に微々たるものだし、栞と一致しなければいけない。


 調べたさ。調べて分かった。今の栞と合致する肺が提供されることなんて無いと。栞が生きてきた十七年で無かった。あと三ヶ月。しかも手術は体力勝負。昏睡状態になってからでは遅い。だからもう……。


「それが無理って話よね。でも生体移植って知ってる?」


 聞いたことない単語に俺の耳は引っ張られる。


「生きてる人の臓器を人に移す手術なんだって。あの人は、しなくていいって辞めたんだけどね。詳しいことは知らないわ。でも知らないなら調べてみる価値はあるんじゃない?」


 お婆ちゃんの言葉に目を丸くする。俺は残りの昼飯を掻き込み、「ご馳走様!」と叫んでパソコンに張り付いた。


 生体移植といったか、すぐさま打ち込み、いくつかのサイトにアクセスする。多くの書物を読んで蓄えられた読解力で流れるように文を読む。


 これなら、これなら栞を助けられるかもしれない。俺は急いで栞に電話をかける。一コール目ですぐに電話に出てくれた。


『蓮……くん、どうしたの? 今まで何してたの? 大丈夫?』


「それも色々話す! それより今どこ?」


『今は、図書室にいるけど、そうじゃなくて、何でメールも……』


「ごめん切る!」


 俺は急いで図書室に向かった。二ヶ月も部屋から出ていないのに、足は動く。この時のために陸上をやっていたのではないかと思えるほどだ。


 電車が待ち遠しいが流石に走るよりは速い。電車に飛び込むと、中でもスマホで生体移植について調べる。


 出てくる言葉は恐ろしいものばっかりだ。ドナーが死ぬだとか犯罪だとか。心臓が止まりそうになる。でもそんな恐ろしいものじゃないのは分かってきた。


 学校の最寄駅に着くと、すぐさま全力疾走で栞の元へ向かう。なんて謝ろうとか、前口上まえこうじょうはどうしようとか、考えなきゃ行けないことはいっぱいあるのに、本気で走りすぎて脳に酸素が回らない。


 それでも、一度も止まることなく図書室についた。深呼吸を挟み、ドアを開ける。そして一言。


「栞、俺と結婚しよう」


 

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