第11話 傘 (to you.)
6月。
俺の住んでいる地域も梅雨入りし、小雨の日が長く続くようになり、蒸し暑く汗ばむ日が増え、着実に夏に近付いていた。
「クーラー設置しろ! 暑い暑い!」と文句ばかりの季節になったが、男子にとっては嬉しい行事が同時に始まった。
「去年は南と違うクラスで体育も合同組じゃなかったからさ、話を聞かされる度に自分の運を恨んでいたけど、そんな恨みも今日で全部が報われるわけよ」
「俺は去年も見てるからな。一年でどれくらい成長したのか、それを見極めさせてもらうよ……」
「同じクラスとわかってから約2か月……。今日という日をどれだけ待った事か……」
男子更衣室ではこれから目の当たりにする奇跡のような光景に気持ちを昂らせ、同じ感情を共有するように手を握り合うアホもいた。
男どもがなぜ騒いでいるのかというと、今日から体育がプール授業になるからだ。
第二次性徴の奴隷と化している男子にとって、女子の水着姿は刺激的で誘惑的で、図らずも感謝の念から前傾姿勢の体勢を取ってしまう男子もいるだろう。
男子の名誉の為に念押ししておくが、あくまでも人間の神秘に謝意を示す意味で腰を折っているだけだ。それ以上は詮索してくれるな。
上半身半裸の男子たちが心を躍らせながら列を成してプールまでの細い通路を押せよ押せよと進んでいく。
日光を浴びてキラキラと反射する水面の先に、女子の姿は無かった。
「男子、こっちだ。3組はこっち。4組はこっち。一列5人で名前順に整列」
ギリギリ座っていられる熱さのプールサイドに腰を下ろし、プールを背にして体育教師から名前を呼ばれて出席を取る。
出席を取っていると更衣室の方から女子の楽しそうな声が聞こえ、男子は先生の話を無視して全員が声の方に視線を向けた。
座っている男子たちの対岸を水着姿の女子たちが恥ずかしさを滲ませながら早足で歩いていく。
女子の多くはタオルで体を隠すようにしていて、男子の中では不満を口にする声も小さく漏れていた。
「お前ら気持ちはわかるが今の時代はセクハラとか、そういうので訴え――」
「おい! 来たぞ!」
先生の注意を遮り、誰かが歓喜の声を上げると間違いなく男子全員が固唾を飲んで通路の出口を注視した。
「「うおおおおおっ!!」」
男子の雄叫びと同時にゆりなが数人の女子と一緒に現れた。
男子たちはゆりなの水着姿を何とかして見ようと遂には列を乱して立ち上がるヤツまで現れた。
「おい、マジかよ!?」
男子たちはゆりなの水着姿を期待していたが、数人の女子がゆりなの姿を隠すように壁になり、ゆりなの姿は女子の壁の隙間から見えるか見えないか、そんな程度だった。
男子がガードをしている女子に不満をぶつけていると、先生がお調子者の頭を下敷きに使うボードで叩き、事態を収束させた。
とはいえ授業中も性の奴隷たる男子たちは隙あらば女子の水着姿を眺め、自分の体との造りの違いを熱心に観察し、意見を活発に交わしていた。
「でもマジでいいよなぁ、島崎は。
南の水着姿をいつでも見られるんだからよ」
「はぁ?」
「そうだよな。付き合ってるんだから、夏とか2人で海とか行ったんだろ?」
「行ってない、行ってない! それにゆりなちゃんに悪いだろ」
「紳士ぶるなよ、むっつりが! 確かに南の胸のサイズはややがっかりだが――」
――バシャッ!!
俺も考えていなかった訳ではなかった点を指摘され、ゆりなの体をちゃんと見られている事にイラついて、そいつの顔に水を掛けてやった。
「胸が小さかろうと補って余るあの顔面偏差値の高さ。
俺が島崎の立場なら土下座してでも個人的に水着ショーをしてもらうけどな!」
男子中学生の欲望を惜しげもなく堂々と言い放ったそいつは周りの男子から拍手を貰っていたが、俺はもう一発顔面に水をぶっかけてやった。
「生徒会長に立候補しました2年1組の中川です! 私が生徒会長になったら――」
放課後になり、部活で走っていてもやっぱり水泳の授業が話題に上がった。
「俺も南マネージャーの水着見てぇよ……」
「マジそれっす。でも俺ら1年には佐々木がいるんで」
集団で走りながら、何とも下衆い話をしている。
「クソ生意気だけど、佐々木マネも正直羨まし過ぎる!」
「……やっぱスゴいんか?」
「……マ~ジでスゴいっす」
「「ぐわぁぁぁぁぁっ!!」」
3年の先輩たちはみんなヤケになったみたいに全速力で走り出し、下級生たちは笑いながら先輩たちの背中を追いかけて走った。
部活が終わってもまだまだ明るいくらいに日が長くなり、片づけを終えた生徒たちがグループをいくつも作って校門の前でダラダラとしゃべっている。
ゆりなと部活の事で少し話をしておきたかったけれど、部活終わりの同じクラスの女子と話している姿を見かけ、用件は夜に個人的に伝えるでもいいし、最悪明日になっても問題ないかと話しかけずに帰宅する事にした。
「俺が思うに一番の失敗は部内恋愛禁止にしていなかった事だと思うんよな」
帰る方向が同じ部活の仲間と帰っている途中、どういう縛りがあれば俺とゆりなが付き合わない未来があったのかという意味不明な議題で盛り上がっていた。
「いや俺が告白に告白を重ねていたら今頃は」
「無理無理! 相手にされねーよ」
「実際、どうやって距離を詰めたんですか?」
去年を知らない1年生は俺にキラキラした好奇心を俺に向けていた。
「えー? どうだったかな?」
俺が質問をはぐらかそうとしていると、去年までゆりなと同じクラスだった島田が肩を組んできた。
「1年よく聞け? こいつはこんな人畜無害みたいに振舞っているけど、南ゆりなと付き合うまでいった、超絶策略家だからな!
南は入学したばかりの頃はクラスの男子と全然しゃべんなかったし、休み時間には教室からも出ないくらい交友関係無かったんだから!」
「マジっすか!? どうやって仲良くなったんですか?」
1年生は島田の話を聞いて、ますます目をキラキラさせ、俺は島田の腕を乱暴に解いた。
「まぁ……、基本は挨拶じゃない? 朝とか、廊下ですれ違った時とか。
相当嫌われてなければ、挨拶だけなら返してくれるでしょ」
「挨拶だけでいいんですか? なんか、こう、一笑いさせて印象付けた方が良いんじゃないですか!?」
「なんで先輩がグイグイ来るんですか。
相手が警戒しているのに意味わからん話を長々とされても面白くないでしょ?
好きでもない相手なら余計にそうですよ。こっちは楽しく話しているつもりでも、相手からしたら何で知らない人に時間取られてるんだろうって」
「「おぉ……」」
全員から感嘆の声が上がり、俺は何の説明をしているんだと頭を抱えた。
「優輝せんぱーいっ!」
不意に女の子に大声で名前を呼ばれ、俺以外の男子も全員が声の方に視線を向けた。
「さよーならー!」
道路を挟んで向こうから女子たちに囲まれた佐々木さんが大きく手を振っていた。
気まずさしかない状況でどうしようか迷っている間も佐々木さんはずっと手を振っていて、佐々木さんの周囲の女子が俺に「はよ、手ぇ振り返せや」という目で俺を睨みつけ、部員たちはワクワクしながら俺の次の行動を期待していた。
俺が仕方なく小さく手を振り返すと、佐々木さんたちは嬉しそうにキャーキャー騒ぎながら走り出し、佐々木さんは跳ねるようにお辞儀をした後、彼女たちを追いかけて走っていった。
「そして体育祭以降は雛ちゃんにも好かれている、と」
「まぁ、あの魂の激走をされてしまってはね。惚れても仕方ないよな」
「ウチの学校の人気女子ツートップから好かれるとか、前世でどんだけ徳を積んだんだよって感じだけどな」
「島崎先輩。佐々木は1年男子のアイドルなんす。勘弁してくださいよ……」
みんな好き勝手な事を言っているが、俺自身、佐々木さんに好かれているんだろうなという実感は抱いていたりする。
これでゆりなの件が無ければ、たぶん俺は佐々木さんの好意ともっとちゃんと向き合っていると思う。
ゆりなとの関係を振り切れないのは俺がゆりなとの今を惜しいと思ってしまっている証拠で、そろそろ俺も本格的にこの関係について考えなければならないのかもしれなかった。
6月中旬になり、雨の日が長く続いた。
みんなが大好きなプールは体育館でのバスケやドッヂボールに代わり、部活はグラウンドが使えず、校舎内の廊下の一角を借りて筋トレばかりしている。
筋肉量が少ない俺にはとっては回数をこなすのが辛くて仕方がない日々だった。
天気予報では久しぶりに曇ってはいても降らないという予報だったのに午後から雨が降り始め、3日連続で部活は室内トレーニングとなった。
繰り返す筋トレで太ももに力が入らず、プルプルになりながら壁に寄り掛かって座っていると、佐久間キャプテンと田中先輩が次は何をするか相談していた。
筋トレと言ってもやれる量は決まっていると顧問の先生も言っていたし、これ以上は筋肉を傷つけてしまうかもしれないと2人は話していた。
「みんな聞いてくれ!」
佐久間キャプテンが手を叩いて注目を引き、離れたヤツが集合したのを見計らって口を開いた。
「雨で筋トレメニューが続いて疲労が溜まっていると思うから、今日はここまでで練習は終了する。
期末テストも近いから帰って休むなり、勉強するなりしてゆっくりするように!
解散!」
部活が早く終わり、みんな喜んでこの降って湧いた放課後のアディショナルタイムをいかに使うか、早速相談が始まっていた。
俺も遊びに誘われたが本当に筋肉が限界だったから、帰って休む事にした。
早く帰ろうと思って下駄箱に来たところでロッカーの折り畳み傘を当てにして傘を持って来ていなかった事を思い出して、暗澹たる思いで手摺りにしがみつきながら3階にある自分の教室に向かい、一歩一歩、熱湯風呂に足を浸けるかのようにゆっくり階段を降りて、ようやく下駄箱まで戻って来た。
「あれ、ゆりなちゃん。どしたの?」
昇降口の軒先でゆりなは薄暗い雨の空を見上げていた。
「優輝くん。友達に傘を貸したんだけど、持ってると思ってた折り畳みが入ってなくて、どうしようかなって」
「そうだったんだ……」
「筋肉痛、大丈夫?」
ぎこちなく靴を履く俺を見て、ゆりなは心配そうにしていた。
「ダイジョブ、ダイジョブ。今日はもう帰って休めるし」
ゆりなの隣に立って雨の様子を確認すると、雨の勢いは弱くなっていた。
「ゆりなちゃん、これ使って」
俺は自分の折り畳傘をゆりなに差し出した。
「嬉しいけど、優輝くんはどうするの? 濡れちゃうよ?」
最近ゆりなに友達が増え、クラスの男子とも話せるようになってきていたから、俺の偽彼氏としての役割も終わりが近いのかと心配していたが、ゆりなの態度に変化はないように思えた。
「ウチの方がゆりなちゃんの家より近いし」
「だったら私が優輝くんの家まで一緒に行けば――」
「いや、折り畳みに2人は入れないでしょ。いいからこれ使って」
俺はゆりなに折り畳み傘を持たせると、太ももの痛みを堪えながら家路を急いだ。
その夜、数日ぶりにゆりなからメッセージが届き、目を通した俺は心を激しく揺さぶられた。
『今日は傘を貸してくれてありがとう。
期末も試合も近いから、風邪ひかないように気をつけてね。
それからちゃんと言えば良かったんだけど、本当一緒に帰りたかったな……。
そしたら一緒に傘にも入れたし……。
最近全然2人だけで話してないし、大会が終わってからでもいいから、また遊びに行きたいな。
また明日学校で。おやすみなさい』
こんなメッセージを貰って、明日俺はどんな顔でゆりなに会えばいいのだろうか。
悶々として寝付くまで時間がかかった。
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