第10話 Distance of the heart.





 5月下旬、中体連に向けての練習試合に見事勝利し、部内は次も勝ってやろうという雰囲気が満ちて、朝練から気合が入っていた。


「最後! トップスリー勝ち抜けダッシュ!」

「「うぇーい!!」」


 佐々木さんの笛の音と同時に横一列に並んだ1~3年生が30メートルくらいを約50人が一斉にダッシュする。


 始点に佐々木さんが、終点にゆりなが立っていて、2人の前を先に通過した3人が抜けていくという朝練最後の定番トレーニングだ。


 とはいえ足の速さは早々変わるものでもなく、抜けていく順番はだいたい決まっていて、俺は2往復目くらいにはいつも勝ち抜けしていた。


「次の練習試合は6月の中頃! その後、中体連の県予選が始まる!

俺は今のこのチームなら県大会出場も夢じゃないと確信している!

 次の試合まで真剣に、怪我無くやっていこう!」

「「うおおっ!!」」


 佐久間キャプテンが朝練終わりに部員に声を掛け、みんなが心のどこかで思っていた事を口にしてくれ、部員に更に気合が入ったようだった。


 1年生の時は仲良く運動をするような印象だった部活が、代替わりをして上を目指す部活に変化していた。

 俺もやるならどこまでやれるのか試したい気持ちがあるから、今の部活は去年よりもずっと意欲的に汗を流していた。




 部活の変化の他にもう一つ、俺の感じる変化があった。

「おはよー」

「あ、南さん! おはよー」


 ゆりなは「サボり」の日を境に性格が明るくなった。

 より正確に言葉にすると、今までゆりなが張り続けていた他人との心の壁がかなり薄くなったように俺は感じていた。


「2年になってから南、なんか性格が明るくなったよな」

 朝練が終わってイッチーと教室に向かう廊下の途中で、先を歩いていたゆりなの背中を視界に入れながら、しみじみとイッチーが呟いた。


「俺、南と小学校一緒だったからさ。小学生の時の南を知ってて今の南を見てるとさ、あの頃は辛い思いさせてたんだろうなって」

 イッチーは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ、友達と談笑するゆりなを見つめていて、ゆりなが小学生時代に暗い思いを抱いている事を何となく察している俺は、イッチーに掛ける言葉が見つからなかった。


 イッチーも感じた通り、ゆりなは変わった。

 これまで教室引きこもりだったのにあの日を境に休み時間は他の女子に混ざりながら廊下で時間いっぱいおしゃべりをしているし、最近は夜に友達と通話しているようで、俺がゆりなと連絡する時間も短くなっていた。


 これが続いてゆりなの抱えている「男子に対する心の壁」が消えたら、ゆりなも俺たちみたいに普通の学生生活が送れるようになるかもしれないと思いつつも、ゆりなが誰か男子と仲良くなって普通に恋をするのかと思うと、ゆりなが健全になっていってると嬉しく思いつつも、やっぱりどこか寂しさを覚えてしまう。


「やっぱり心境の変化をさせる何かがあったんだろうな」

 イッチーがニヤニヤしながら俺の脇を肘で数回突いた。

「な、なんだよ……。キモいぞ、その顔」

「あの南の心が和らぐなんて、相当デカい影響なり、経験があったんだろうなぁ」

「はぁ? 何が言いたいのかわからんのだけど」

「だからさ」


 イッチーは手を口の横に添えながら俺に近付き、意図を察した俺はイッチーの手の方に耳を寄せた。


「ヤッた?」

 俺はイッチーの言葉を聞くなりバッと体を離し、笑って逃げるイッチーを追いかけて、そのケツに強烈なサイドチェンジキックをくれてやった。




「お。佐々木さん、おっす」

「島崎先輩! こんにちは!」

 放課後、ジャージに着替えて部室を出ると、丁度ビブス入りの籠とラダーを運ぶ佐々木さんと出くわした。


「ラダー持つよ」

「え!? 大丈夫ですよ」

「いーから、いーから。向こうに行くのは一緒なんだから」

 そう言って俺は半ば強引に佐々木さんの手からラダーを受け取り、並んでグラウンドのサッカー部の使用エリアに向かった。


「そういえばもうすぐ体育祭だけど、佐々木さんは何に出るの?」

「それなんですよ~……」

 佐々木さんはわかりやすく肩を落とし、歩く速度が落ちた。


「私、足遅いのに男女学年リレーに出るんですよ~……」

 佐々木さんは感情をハッキリと顔に出すタイプの人で、今も不幸エピソードを話しているだけなのに泣き出しそうな表情をしている。


「そうなんだ。実は俺も学年リレー出るから佐々木さんのカバーしてあげるよ」

「え! ホントですか! 絶対お願いしますよ?」

 佐々木さんは俺のジャージの袖を掴んでブンブンと振って、さっきまで泣きそうだった表情を笑顔に変えていた。


 ――ただ一言二言交わしただけでこんなにコロコロと表情が変えられたら、男なら誰だって好意を持っちゃうよなぁ。


 完全に見下ろす形となっている佐々木さんの栗毛のつむじを見ていると、また佐々木さんが顔を上げ、バッチリと目が合った。


「そういえばゆりな先輩は一緒じゃないんですか?」

「あぁ。ゆりなちゃんは教室で友達と話してたから、もうすぐ来るんじゃないかな?」

「そうなんですね。最近、急に社交的になりましたよね」

「佐々木さんもそう思うんだ」

「あ! ごめんなさい! 偉そうでしたよね。ごめんなさい」

「いや、謝らなくても。2年の間でも言われてるよ。ゆりなちゃんが明るくなったって」

「そうなんですね。それってやっぱり島崎先輩の影響じゃないですか?」

「いや~、どうだろうね? みんながちゃんとゆりなちゃんと話をすれば、自然とこうなってたんじゃないかな?」

「例えそうだったとしても、やっぱり最初は島崎先輩の力ですよ!」

 空いた方の手でグッと拳を作り、佐々木さんは俺に力強く握ってみせた。


「ゆりなちゃんの力になれたのなら嬉しいかな」

「ラブラブで素敵ですね!」

 俺は佐々木さんの言葉に曖昧に笑みを返し、ラダーを置いてランニングに向かった。




 5月28日、体育祭当日。


 グラウンドの一周200メートルのトラックを全校生徒の椅子と教員や運営のテントが囲い、トラックの中は生徒の熱気で満たされていた。


『次は1年生から3年生まで繋がる男女学年リレーです』


 出場種目の呼び出しが掛かり、俺は前の1年生の後に続いてトラックの内側に入って行った。


「島崎先輩、ホントにお願いしますよ?」

 同じ種目に出場している佐々木さんが今にも泣きそうな表情で俺に助けを求めている。

「オッケー、オッケー。気楽に走っておいで」

 ――あの時の話ってマジだったんだ……。佐々木さんからのヨイショなのかと思っていた。


 不安そうな顔をしている佐々木さんをコースに送り出し、スタートの合図を待つ。


 ――パンッ!


 乾いた破裂音が辺りに響き渡ると同時に気分を高揚させるBGM がスピーカーから流れ、第一走者の1年生4人が走り出した。


 各学年4組あるウチの学校は1年から3年までが4色に組み分けされて、各種目の総得点で競っている。

 佐々木さんと同じ種目に出るのは事前に知っていたけれど、まさか同じ陣営になっているのは待機所に集合するまで知らなかったから、ガチガチに緊張している佐々木さんと目が合った時は頭の中に「マズい」というワードが浮かんだ。


 各100メートルを走る順番は生徒側で決められ、佐々木さんたちは男子が先に走ってリードを作る作戦らしく、もうコーナーの出口まで男子が走り、1位争いをしてなかなか良い展開を作っていた。


「佐々木さーん! がんばれー!」


 全校生徒がレースを応援する中、佐々木さんはバトンの受け取りに集中して走って来る男子の動きを真剣に見つめていた。


 バトンワークの瞬間、俺の目の前で佐々木さんは走り出しながら後ろに手を伸ばした。

 しかし、足が遅い事を自覚している佐々木さんの速度とトップスピードの男子との間合いが一気に詰まり、佐々木さんと男子が軽く交錯して佐々木さんはバトンを落としてしまった。


 歓喜と落胆の声が混じって上がり、佐々木さんが急いでバトンを拾っている間に後続が次々に佐々木さんを抜き去っていき、佐々木さんが走り出した時には最下位になっていた。


 走り始めた佐々木さんは当人が自覚している通り決して速くなかったが、前を走っている1年生女子もそこまで速い訳ではなく、8メートルくらいの差をつかず離れず走っている。


 トップは2年にバトンを渡すところまで進み、佐々木さんはカーブの途中を走っていた。


 俺は佐々木さんのバトンを渡す方へ走り、佐々木さんのゴールを待った。


 ノルマの100メートルを走り切り、最後尾でバトンを渡してコースの内側に入って来た佐々木さんは泣いていたが、俺は構わず佐々木さんの両肩を掴んで強引に自分の方に向かせた。


「可能な限り俺が取り返す。見てて」


 佐々木さんの返事は聞かず、俺はバトンの受け渡しゾーンに向かって走り、コースに出てクラスの女子からのバトンを待った。


 ――あと10メートルくらい。


 俺はバトンを最速で受け取れるように受け渡しゾーンの一番手前で到着を待ち、タイミングを見て全速力で走り出し、前方を見ながら後ろに左手を出した。


 一秒待たずに左手のひらを叩く硬いプラスチックの感触があり、反射的にそれを握って、あとは無心で前だけを見て、とにかく足を休みなく前に出し続けた。


 前にいた男子を20メートルくらいで外から抜き、カーブに入って遠心力で体が外に流れ始めて速度を落とすか一瞬迷ったが、泣いている佐々木さんの顔が俄かに脳裏をよぎり、体を内に倒して無理矢理遠心力を抑えつけてそのまま走り、カーブから直線に立ち上がる時には2位を走っている女子の背中がすぐ前にあった。


「こっち!」


 3年の女子の先輩が大きく手を振り、走る構えになったところに余力を全部出し切るつもりで突っ込んだ。


 バトンは2位の女子とほぼ同時に3年に渡り、俺はヘトヘトになりながらトラックの内側に入ってグラウンドに寝転んで目を閉じた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 胸に左手を当てて、視界を塞ぐように右腕を乗せる。

 左手には心臓が内側から強く体を叩く振動を感じられる。

 毎晩ランニングをして走り慣れているはずなのに、なかなか鼓動も息も整わない。太ももも焼けるように痛い。

 俺は全部を出し切って、しばらく一歩も歩けそうにない。


『さぁ! アクシデントに見舞われた白組ですが、驚異の追い上げで2位でバトンを繋いだっ! 1位の緑組は既にコーナーの半分を通過している! 果たして追い上げは届くのか! アンカーはトラック一周! 残りは200メートルだ!

 3位赤組、4位黄色組! こちらも接戦を繰り広げている!』


 視界を塞いでいても放送委員のお陰で今の状況がどうなっているのか、はっきりとわかった。


「島崎先輩……」

 消え入りそうな声と地面を擦る足音が倒れ込んでいる俺の傍にやって来た。


「……どう? 取り返せたでしょ?」

 腕をどけて目を開くと、そこにはほぼ泣いている佐々木さんの姿があった。

「はぃ……」


『緑、白、並んでゴーーーーール! 1着判定は校長先生に委ねられます!』

 アンカーの先輩が頑張ってくれたらしく、我らが白組は1位をおびやかすまで追い上げたようだった。


 ようやく体を起こせるまで回復し、運営のテントに目を向けると、校長の周りに数人の先生が集まって相談をしていた。


『判定が出たようです! 審議の結果! 緑、白、両組1位という事になりました!!』


 1位同着というあまり聞かない結果に校庭は大きく盛り上がり、緑と白組は特に大きな声が上がっていた。


 大いに盛り上がった競技が終わり、選手退場となったが俺は立つのがやっとで普通に歩くのもままならなかった。


「島崎先輩! 掴まってください!」

 ヘロヘロの俺を佐々木さんが小さい体で精一杯支えてくれて、何とか運営に支障をきたす事無く退場ができた。




「先輩、お茶飲みますか? すぐに取りに行って来ます!」

「いやいや、自分の水筒があるから大丈夫だよ」

「あ、これですか? すぐに準備しますね」


 佐々木さんに連れ添われながら自分の椅子に戻って座ると、佐々木さんは自分の席に戻らずに甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれた。

 リレーでは確かに佐々木さんを助ける結果にはなったけれど、別に俺だけの力で1位にまでいった訳ではないからここまで恩を感じられるのも少々心苦しい。


「先輩、どうぞ。あ! 手を動かすのも大変だったら飲ませてあげますよ」

「いやいやいやいや! 大丈夫、大丈夫! もうほとんど回復したから!

 ほら、佐々木さんもそろそろ自分のクラスに戻りな。俺はもう大丈夫だよ。付き添ってくれてありがとう」

 俺が笑顔を向けると、佐々木さんは本当に渋々といった感じで自分の席へ戻って行った。


「激走だったね」

 背後から平坦な声で話しかけられ、落ち着いた心臓が再び早鐘を打った。


「ゆ、ゆりなちゃん。……う、うん。ガンバッタヨ」

「後輩の為に立てなくなるくらい走ったんだ。優輝くんは優しいね」

 ゆりなは声を荒げている訳ではないのに、すごく棘を感じた。


「あれは事前に色々あったというか」

「色々ね……」

「ゆりなちゃん……?」

 ゆりなは無表情のまま、俺を見ようとしなかった。


「……次、私の出る種目だ」 

「頑張ってね!」


 俺の応援に反応することなく、ゆりなは入場門の方へと行ってしまった。


 ――確かに他の女子に固執した行動を取っていたとは思うけど、部の後輩だし、トラブルが起こる前から助ける約束はしてたんだから仕方ないだろ。


 疲れていて余裕が無かったからなのか、取り付く島もないゆりなの態度が妙に苛立って、それから一日中ゆりなと言葉を交わす事は無かった。

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