第8話 先輩 後輩




「1年3組! 松井翔也です! お願いします!」

 入学式から一週間が経ち、まだ仮入部ではあったが大勢の新1年生たちがサッカー部にやって来た。


 こうして緊張しながらも新しいコミュニティに飛び込む新1年生の姿を見て、去年の先輩たちには俺もこんな風に映っていたのかなと、時の流れを感じた。


「今年の入部希望、多くね?」

 竹内先輩と飯田先輩が隣でコソコソと話しているのが聞こえてきた。


「たぶん、っていうかほとんど目的はあっちだろ?」

 腕を組んだ竹内先輩が顎で示した先にはゆりなの姿があった。


「あぁ、そういう事ね。でも残酷な事実が待っているんだよなぁ……」

 飯田先輩は意地悪く笑いながら1年生たちの自己紹介を聞いていた。


 30人近くの自己紹介を聞き終え、時間が無くなっている為、2・3年の紹介は追い追いという事になり、早速部活体験のランニングが始まった。


 去年の自分もそうだったのだが、まともに走った経験がないと先導の先輩について走る事すらできない。


 学校の敷地に沿って校舎や体育館、グラウンドを周回するランニングコースがあり、他の部活の邪魔にならないように普段は校舎の方には行かず、グラウンドの敷地の外側いっぱいの半周コースを走るのだが、先輩たちは丸々一周のコースを選択していた。


「たぶん、ふるいにかけてるんだよ」

 俺が首を傾げながら走っている事に気付いたのか、竹内先輩が隣に来てこっそりと教えてくれた。


「目当てがサッカーじゃなくて別にあるなら、迷惑なだけだからな。

 姫様にお近づきになりたいなら、ここ以外でやってくれって事だ」

 そう言って竹内先輩は少しペースを上げて先を走っていった。


 とりあえず外回りを3周する指示が出ていたが、1周走れたのは18人。2周走れたのは6人。周回遅れにならずについて走れたのは2人だけだった。


 走り終えた1年生たちと3年生が話をしている間、俺たち2年生は歩きながら遅れている1年生の様子を見ていた。


「大丈夫か? 気分が悪くなってたら早めに言ってな」

「……はぃ」

「他の部活も走ってるから、歩くなら端に寄って邪魔しないで」

「は~ぃ……」


 何週も歩きながら、クタクタの1年生に声をかけ続ける。

 その間に遠山先輩を中心に、3年生が4月終わりに出発する修学旅行中の部活の進め方について話をしたりして、結局この日は走った後は歩いただけで俺の部活は終わってしまった。


 その夜、俺はジョギングの他に数本のダッシュとシュートの壁当てを1時間のメニューを自主練に加えた。




 翌日、前日に30人近くいた入部希望者は20人弱まで減っていた。

 他の部活の見学に行ってしまったのかもしれなかったけれど、前日はそれなりに丁寧に接したつもりだったから、なんとも複雑な気分だった。


 しかし増えた人員の姿もあった。


「マネージャー希望! 1年4組、佐々木雛です! よろしくお願いします!」


 ハキハキとした滑舌で自己紹介を済ませるとペコリと頭を下げ、顔をあげると佐々木さんの天真爛漫な笑顔が部員たちに向けられ、男どもは一瞬で心を奪われた。


 というのも佐々木さんは抜群に美少女だった。

 キレイな栗毛のロングヘア。目鼻立ちはハッキリとしていて、後にイギリスのクォーターと教えてもらった。

 身長は明らかに平均よりも低く、無意識に庇護欲が駆り立てられる。

 そして男子たちが気にしているのは、小さい体に似合わないほどハッキリと存在を主張している胸だ。

 これは思春期男子にとって、幸せ以外の何ものでもなかった。


 俺も海外の血とは、何とも嬉し――何とも顕著に現れるものだと人体の神秘に驚かされたのだった。


「マネージャーの仕事は南に聞いてくれ。南、頼むな」

「はい。佐々木さん、こっちに来て」

「はーい!」


 ゆりなと佐々木さんが部室等に連れ立って行く後ろ姿を、男子たちはいつまでも見守っていた。

 美人と美少女。片方だけでも奇跡の産物なのに、奇跡が2つも眼前に現れれば、誰だって目を奪われる。


「じゃあ、今日もマネージャーたちに格好良く走る姿を見てもらうか!」

 佐久間キャプテンが無駄に爽やかに練習メニューを発表し、にやけていた1年生の表情は一気に引き攣ったものに変わった。




「佐々木さんはっ、どうっ? 仲良くっ、やれそうっ?」

 俺はゆりなの家から近い公園で鉄棒を使って懸垂をしながらゆりなに尋ねた。


「うーん、2時間くらいしか一緒にいなかったからなぁ……」

 ゆりなは鉄棒の細い柱に寄りかかりながら、俺の問いに歯切れ悪く答えた。


「優輝くんも関わればわかるんじゃない?」

「そうっ! かもっ! ねっ! うへぇ……、終了……」

「おつかれ~。そういえば先輩たちが修学旅行に行ってる間は誰が指示出すのかは決まったの?」

「俺がやる事になったよ。とりあえず2年に関してはイッチー(市ヶ谷)と相談しながらメニュー考えるとして、1年生は去年の俺たちが何してたか思い出しながら考えようかなって」


 俺はリュックからボールを出し、リフティングを始めた。

 サッカー部に入ったばかりの頃は全くボールをコントロールできなかったのに、継続は力なりは間違いではなく、今では部内でも1、2番になるくらい上手くなった。


「優輝くんはさ」


 ゆりなが俺の前に立ち、右足を振ってボールを要求していて、俺はゆりなにパスを送った。


「佐々木さん、どう思ったの?」

「どうって、俺は話してないし」

「優輝くんって、そうだよね!」


 ちょっと強めのパスが足元に届き、トラップが乱れてボールがちょっと跳ねたけれど、リフティングでカバーして、ゆりなに返す。


「そうって、何がそうなの?」

「ひーみーつー」


 それからどう聞いてもゆりなは俺の問いをはぐらかすばかりで答えようとしなかった。




 前日から一転して、また入部希望者が爆増した。

 その要因は当然、ゆりなと佐々木さんの存在だった。


「えー。人数多いんで、自己紹介はいらないです。

 今日のノルマは外回り5周。コースは2年生が先導するからそれで覚えて。

 時間はいくら掛かってもいい。できないと思ったら途中で帰ってくれて結構。

 その代わり、帰ったヤツはサッカー部には入部させない。以上」

 佐久間キャプテンが呆れたように指示を出し、2年が先導して走り、入部をかけたテストが急遽開始された。


「みなさ~ん! 頑張ってくださ~い!」

 佐々木さんに送り出された1年生たちは走り始めこそちゃんとついてきたが、コースの案内を終わらせて俺たちが本来のペースで走り始めると、当たり前だが誰もついてこれなかった。


 ジョギングの効果が出てきているのか、持久走は部内でも早く終わるようになった。


「おつかれさまで~す!」

 佐々木さんは自分の可愛さを自覚していてそうしているのかは分からないが、とにかく愛想がよかった。


 佐々木さんが近くに来ると、溶けたチーズのように地面にへばりついていた1年生たちも佐々木さんの前では格好つけようとして膝を震わせながらも立ち上がる。


 ――去年ゆりなちゃんがマネになった時に見た光景だな。


 結局5周を走り切れたのは18人。それも仮入部から皆勤で参加しているメンバーが15人。新しく見る顔は3人。リタイアは10人で、残り数人は本当に帰ってしまった。




 4月末、3年生が修学旅行に出発し、週末の土日を含めて5日間、2年生が部活を預かる形となった。


「最初は外周2周でアップ! その後、筋トレ! じゃあ、行くよー!」


 正式入部した1年生は15人。

 みんなまだまだ体力が無く、ウォーミングアップのランニングにも体力の全部を使い切るようだった。


「よーい、ピッ!」

 ランニングと筋トレを終え、今は佐々木さんの笛の合図で30メートルダッシュをしている。


 ダッシュをする1年生を眺めながらイッチーと西岡と次は何をするか相談する。


 佐々木さんが見ているからスタートダッシュこそ全力なものの、ゴール付近では流している姿がちらほら見受けられる。


「チッ」

「どした、島崎? 何、イライラしてんの?」

 西岡が俺の苛立ちに気付き、肩に手を置いてグラグラと揺さぶり、西岡の行動にも若干苛立ちが増した。


「タラタラ走ってるの見るとイラつくんだよ。

 真剣にやれよ」

「まぁな。気持ちは分からんでもないけどさ、1年はまだ部活ってものが分かってないんだし、ウチの部は絶対勝つみたいな信条でやってる訳でもないじゃん?

 逆を言えば、こっちのスタンスが伝わってないから、どういったモチベーションで練習と向き合ったらいいのか、まだ分からないのかもな」

 西岡の言葉を受けて俺も自分の考えが一方的だったと下唇を噛んだ。


 西岡はお気楽なくせに色々と考えている。

 人当たりが良く、頭も良く、おまけに背も高い好青年。部内で本当の意味で彼女のいる2年生は西岡だけだ。


「島崎、兄弟いないだろ?

 年下との付き合い方を覚えるチャンスだと思ってみ?」

 俺は西岡に肩をすくめて、返事をした。


「思い付いたっ!」

 俺と西岡の話を聞いていたイッチーが手を上げながら声を弾ませた。


「はい! イッチーくん!」

 西岡はイッチーの高いテンションに乗り、テレビの司会者のようにイッチーのエアマイクを差し向けた。


「部内で練習試合をすればいいと思います!」

 俺はイッチーの提案に思わずため息を吐いた。


「それはイッチーが試合したいだけだろ……」

「いや、俺は賛成かな」

「えっ!?」

 西岡がイッチーの意見に賛同した事に、俺は驚いた。


「これまでずっと走ってばっかりだし、ボール触るって言ってもパスとリフティング練習くらいだったから、そろそろ1年たちのフラストレーションが溜まっててもおかしくないからな。

 3年生がいない間にこっそりっていう付加価値も与えておけば、1年との関係も良好になりやすくなると思うよ」

 西岡の話に納得できる点は多かった。


 勝手に練習試合をしてもいいのかと引っかかる所がない訳でもなかったが、俺自身も練習不足のせいで心に溜まったものを発散したい思いもあった。


「……わかった。やるか」

「「いえーい!!」」

 イッチーと西岡がハイタッチをして喜び、他の2年に伝達に走り、俺は試合の準備の為にゆりなのところに向かった。


「ゆりなちゃん」

「あれ? どうしたの?」

 マネージャーの仕事が無い時は座ってても構わないのだが、ゆりなは「頑張ってるみんなに悪いから」とずっと立って練習を観ている。


「次、練習試合する事にしたから、倉庫からビブスを出しておいて。

 それから試合のタイムキーパーもお願い」

「わかった。雛ちゃんに備品の置き場とか説明しながらやりたいから、いつもより少し時間が掛かるかも」

「わかった。こっちもメンバー分けで時間掛かると思うから、ゆっくりでいいよ」


 ゆりなが練習を観ていた佐々木さんの所へ向かい、一言二言、言葉を交わした後、倉庫の方へ向かって2人で歩き始め、俺は話を聞いてワイワイしている男子の群れの方に向かった。


「チーム分け決まった?」

 部員を集めている輪に加わり、イッチーに話を聞く。


「とりあえず1年生全員に出てもらう事にして、2年は審判と交代要員。

 チーム分けはグーとパーで分けようかって」

 さすが西岡。提案に問題は無いように思えた。


「時間はどうする?」

 西岡は俺の合流に気付いたのか、俺を見て意見を求めた。

「そうだな……」


 校舎の外壁に取り付けられている大きな時計に目を向けると、部活終了時間まで残り45分となっていた。


「前後半15分でやろうか。時間無いからさっさと決めよう」


 1年生にチーム分けを急がせ、2年の中でも前後半の審判を決めた。

 審判とチーム分けが決まったタイミングでゆりなと佐々木さんがビブスの入ったプラスチックの買い物かごを持ってきた。


「じゃあグーチームはマネージャーからビブス貰って!」


 グーチームは列になってゆりなの前に並び、なぜか名前を言ってビブスを受け取っていた。


 ビブスチームとジャージチームが対面し、西岡が笛を吹いて練習試合が始まった。

 俺はラインズマンとして前後へダッシュしながら中の状況を観察する。

 1年生たちは初めての試合に楽しそうにボールを追っていたが、10分過ぎる頃にはボールにアプローチする人間は少なくなっていた。

 ちなみに2年には1年生のフォローを頼んでいるから、2年きっかけで試合が動く事は無い。

 2年はへばった1年生たちに休ませまいとパスを出している。


 ――これで体力の無さを自覚して、ランニングの重要性を感じてくれないかなぁ……。


 得点無く前半が終わり、2年生の交代を含めて5分休憩を挟んで後半が始まった。


 後半は俺もフィールドプレイヤーになり、左のサイドバックに入った。

 後半になって1年生の中でも役割みたいなものが段々と見えるようになってきた。


 ボール取りに積極的なヤツ。攻撃を組み立てるヤツ。攻撃側になった瞬間に前線に走り出すヤツ、指示を待つヤツなどなど。


 確かにこういった人間性は試合の中でしか炙り出せない面だったと思えば、やる予定のなかった練習試合にも意味はあったと思えた。


 残り3分。1年生の足が止まったところで2年が自由にやり始め、水上からスルーパスを受けた佐藤が抜け出し、キーパーの藤井との一対一を制し、決勝点を決めて練習試合は終わった。


 短い反省会の中で俺は1年生たちの体力では30分の試合も持たなかった事を強調し、1年生たちは明らかに肩を落として帰って行った。




「反省会、けっこう厳しい事を言ってたね」


 夜、ゆりなの家の近くの公園で筋トレを終えて休んでいると、練習を見ていたゆりなが隣にやって来た。


「ただの遊び試合で終わってほしくなかったからね……。

 果たして何人に伝わったのか……、それはわからないけどね」

「それを教えていくのが先輩の役割なんじゃない?」


 そう言ってゆりなは大きめのトートバッグからクリアケースを取り出し、中に入っていた紙を俺に手渡した。


「今日の練習で1年生が着ていたビブスの番号と名前。

 それから私なりに気付いた個々の特徴も書いてみたの」

「えぇっ!? すごい!」

「全然すごくないよ! それよりも早く名前を覚えてあげないと」


 受け取った紙に目を通すと、ピッチの長方形の中に最初の立ち位置とビブスの番号、その下に名前が記入され、2枚目の紙に個々の特徴が書かれていた。

 その中には俺が見ていなかった1年生の事も一言書かれていて、俺は自分の傲慢さに嫌悪した。


 他の2年生は俺と同じで後輩ができるのは初めてなのに、俺よりもよっぽど後輩の事を考え、先輩として手助けをしている。

 それに比べて俺はといえば、目的も示さずに1年生たちの取り組みの態度に苛立ちを募らせ、あまつ自分の練習時間が削られているとさえ考えていた。


 思い返せば、俺も入部したばかりの頃はずっと今の3年の先輩に付きっきりで指導をしてもらっていた。

 もしかしたら先輩たちも今の俺と同じように苛立ちを覚えていたかもしれない。

 だけど練習中にイヤな思いをした覚えはないし、むしろ明るい雰囲気をいつも作ってくれていた。


 これからはそういう努力を俺も後輩にしていく番になったという事なんだろう。


「先輩ってのも大変なんだな……」

 俺がボソッと漏らすと、ゆりなは俺の手に手を重ね、優しく微笑んだ。


「ガンバレ、先輩!」

「……ウッス」

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