人形たち

木耳

人形たち

 父さんはあまり家に帰らず、帰ってきても言葉を発せなかった。わたしも部屋にいることがほとんどで、はじめのうちは家族といっても他人同士が三人で暮らしているみたいで、家はずっと静かだった。お姉ちゃんが中学にあがるまえのことだ。母さんがどこかへ消えてしまったのは。

 母さんがいたころは、父さんももう少し人間味があったようにもおもえる。笑っているところや、台所で母さんに抱き着いているところをわたしはみた。それに、物心がつくまえの僅かな記憶だけれど、遊んでくれたことだってある。母さんは子どもや動物を可愛がるのがうまく、ぬいぐるみや人形に息吹をあたえるのがうまかった。目玉がぎょろぎょろして、恐ろしくおもえたおもちゃの赤んぼうも、母さんが動かしながら台詞をあたえると、愛おしくおもえた。父さんも母さんの言動を真似るかたちで、きっとわたしたちを愛おしんでいるようにおもえた。そうやって父さんはわたしたちのなかに参加できた。そのときはまだ不自由だとしらなかった、街をただよう潮風はわたしたちを抱き、ささやかな祝福をあたえてくれた。

 誰も直したり建て替えたりしないまま潮風に錆びていくこの街で、母さんの身体にだけは錆びも老いも浸食してこないようだった。それにたいし父さんは醜く、手は瘤やたこで硬くなり、皮が剥がれて、皺ができ、まるで醜さの呪いを父さんにだけ押し付けていったようだ。母さんを失って、一時期は家中ごみ溜めのようになった。捨てられないあれこれたちで。部屋を掃除する人がいないと、当然だがそうなる。わたしと姉は、母さんの手伝いはしていたけれど、それでも自分ごととして家事をした経験はほとんどなく、家庭というものはあっという間に消えさった。父さんもはじめのうちはそれらを引き受けたが、わたしたちにお金を置いてあとは仕事しかしなくなった。家のことでなんどか叔父に怒鳴られている父さんをみた。子どもに見せまいとしても見えてしまうそうした瞬間が、わたしたち姉妹すらすっかり変えてしまった。父さんは父さんで、生きていくのがやっとだった。

 ぽっかりと巨大な穴があいたような家が嫌で、わたしは家の外に居場所をつくろうと躍起になった。わたしたち姉妹は生活費と称して、周りの子たちより多くお小遣いをもらっていたから、お姉ちゃんに内緒で、その時々で会話の輪に入れそうなものを買いあさった。もともと興味のなかったゲームやおもちゃ、ゴテゴテしたシール、派手な色したおかし、みんながつけてる雑誌の付録のアクセサリー。年頃の女の子を何者かにしようとするパステルの色合いたち。どれも母さんが買ってくれなかったものだ。そのことがバレて、お姉ちゃんがわたしをぶった。わたしにはそれが、うまく友達をつくれないお姉ちゃんのやきもちみたいに思えて、それでしばらく口もきかなかった。そんなことがあって、お姉ちゃんがお金を管理するようになった。

「ももはいつも調子に乗るもん」

 お姉ちゃんがそういうのが、わたしは嫌だった。ある日わたしはそういわれ、コップに入っていた飲み物をお姉ちゃんにおもいきりかけた。お姉ちゃんはまたわたしをぶった。お姉ちゃんは家で、気丈に振る舞うようになった。こういう事情を抱えた家にはよくあることだとおもう。わたしはよく家がいやになって、海のそばをひとりで歩いた。ほんとうにいやだったのかはわからない。夜、迎えにくるのはいつもお姉ちゃんだった。家々のあかりが転写された、海の光に、お姉ちゃんの作り物めいた白い肌がかがやいていた。それは空虚で綺麗だった。

 お姉ちゃんと同じ綺麗さをもつものを、わたしは中学校の芸術鑑賞会でみることになる。二年生の秋、学年全員で人形浄瑠璃を鑑賞した。そこは史料館と劇場が一緒になった建物で、上演されたのはたしか、親が誤って子どもを殺してしまう悲しいお話。わたしには人形の目が怖かった。人形の目――そこにいる彼ら、彼女らにはすべて、物語や儀式における役割が存在したが、目にはその外側にあるものが宿っているようだった。わたしにはそれが恐ろしい。だが情念定型として、ほんらいよりも頭部が大きくデザインされた彼女らは、決まった舞台、決まった物語のなかにおいて人間よりも人間らしく振る舞う。

「キモい」という言葉がどこかから聞こえる。男の子の声。「こわい」「生きてるみたい」展示物のなかには人形のもつ不気味な雰囲気を払拭しようとしているものもあり、陽気な音楽に合わせて首や手が動く仕掛けがあり、かえってそれが人形たちの身体の不自由さを強調しているようにおもえた。だがそれは、黒子たちに操られ、声をあてられ、自由よりも自由になる。わたしはしばらく、舞台のうえで美しく死んでいく人形と、展示されて重力にしばられ虚空をみつめる人形が、頭から離れなかった。劇場では毎日、ほとんど同じ演目が上演されるらしい。そのたび、なんども彼女は切り殺されるのだ。そうでなければ、役割をうしなってひたすらに脱力するだけ。

「見んなや」

 二人で晩御飯を食べるとき、わたしはお姉ちゃんの目に見入ってしまう。そこにもこうしている以外の、いつしか担ってしまった役割の外側にあるなにかが、宿っているんじゃないかとおもって。お姉ちゃんは笑って目を伏せた。

「なんも。目やに付いてる」

 といってわたしは誤魔化す。お姉ちゃんは服のそでで目をぬぐった。きたない。お姉ちゃんはじぶんの意志だったり、言葉だったり、とにかく頭のなかから出てくるものがほとんどなくて、そのときは不気味におもえた。

 父さんは帰ってくると酒をあおって、言葉を発するでもなく、まるで誰かが慰めてくれるのを待っているように黙って、テレビをみていた。わたしはそんな父がいやだったけど、お姉ちゃんはそんなことないようで、「お父さん」といつも声かけた。お姉ちゃんの側から何を切り出すでもないそれを合図として、父さんは弱音を吐けるようになった。

 父さんは子どものころ、いつも友達たちの輪に入れなかった。親からは物売りをたのまれていた。虫のたかった野菜たち。しけたキャベツやかたちのわるいトマト。売れなければ家族のなかで存在感がどんどんなくなっていく。そういう親のもとで育ったのだ。だからといって子どもらしい笑顔ひとつ作れない父さんは、きっと居間でそうしているみたいに路上でただ黙って、誰かが買ってくれるのを待っていたに違いない。その果てにあったのが厚く堅い皮膚だった。だからきっとわたしたちを愛するのにも合図が必要だったのだ。

 わたしには姉ちゃんが、父さんを必要以上に慰めているようにおもえてならなかった。そしてそれは、操られているようにおもえた。母さんがまだそばにいたとき、いつも「お茶をもっていってあげて」とか「お父さんの食器を片づけて」と言われていて、そうしたことがわたしたちの役目だったことを思い出す。「お父さんとも遊んであげて」「怒ってるから謝って」父さんはその沈黙ゆえに、わたしたちの黒子として機能していた。それは暗にわたしたちの成熟を否定していた。

 だがそれすら、父さんに与えられた配役であるようにおもえた。醜く、混濁した、もうどうにもならないほどに錆びた、父としての。それは憐れであり、取り残されたわたしたちが捨てられなかった、あの人形たちをおもわせた。わたしたちが汚しきって、散々手足を好き勝手にうごかされたまま、まだ家のどこかにあるあの人形に。

 わたしはそんなことが繰り広げられる居間という空間がいやで、自室にこもって本を読んで過ごした。父さんも、この街も、みんな誰かを待ったまま潮風に老い、朽ちていくようだった。痛々しく空虚な瞳をふせて。

 そんなお姉ちゃんがいつもと違う振る舞いをみせたことがある。高校をでてすぐバイトをはじめたお姉ちゃんは、たまに帰るのが遅くなることがあった。父さんはなにも言わなかったが、わたしは気になって、それとなく聞いてみた。なんと彼氏ができたというのだ。それは同じバイト先の学生で、家の近所まで送られて、上機嫌で帰宅するお姉ちゃんは家にいるのとははやはり違う。うっすらと姉妹にだからわかる性の香りをただよわせ、お酒を飲んでいるのか帰宅するとすぐ風呂に入って寝た。

 わたしはそれが無性に腹立たしく、また滑稽にみえた。どうして苛つくのか。年頃にはそぐわない幼い恋愛にたいしてか。おそらくちがう。遅くにお姉ちゃんに何もいわない父さんにでもおそらくない。「指輪もらってん」と自慢してくるお姉ちゃんに、わたしは「そう」とそっけなくこたえた。なにより明らかなのは、まぎれもなくわたし自身が、お姉ちゃんに役をあてがっていたことだ。わたしの手をはなれようとしているお姉ちゃんがいやだった。そうだ、お姉ちゃんの姿は、わたしが望んだものでもあったのだ。わたしもまた成熟を否定され、それに応え、そしてまたお姉ちゃんの成熟も否定していた。幼稚な空洞をもとめていた。

 結局お姉ちゃんは、わたしがおもっていたよりもずっとはやくに別れることになった。

 わたしは安心するとともに、わたし自身はやく家から離れるべきだと考えた。もうここにいてはおかしくなってしまう。そうして家を出て、わたしはわたしとして暮らすようになった。

 お姉ちゃんはというと、それからずっと、お父さんのそばにいる。フルタイムの仕事をするのは苦しく、パートをやっている以外は家にいるらしい。それでも姉さんは幸せそうで、わたしがおもう限り、これは主観において、ずっと美しかった。彼女が暮らす日常には様式があり、それが緊張感を与えていた。それがお姉ちゃんの生命だった。彼女には役割があり、役割を失うときっと脱力してしまう。自由な場においておそらく、お姉ちゃんはどのように振る舞っていいのかわからない。

「母さんがいなくなったとき、わたしたちとことんダメになったやろ」

 それは今もだとわたしはおもう。

「そんときあんた、お菓子だのおもちゃだのやたらと買ってさ。あれ、じつは羨ましかった。わたしあんとき、なんも欲しくなかったから。欲しいものがあるん、羨ましいなって」

 わたしが実家に帰った日、酔ったお姉ちゃんはいった。わたしにも焼酎をすすめる。わたしはお茶でいいと断った。

「お母さんな、ももの方が好きやってわたしにいってん。おねえちゃんより、もものほうが可愛いって。それで、ずっとお母さんがほしかってんけど。なくなっちゃって」

 お姉ちゃんはそのとき四十を越えていて、質感の違う白髪が髪に混ざり、それを染めたりもせずに、もう結婚なんて諦めているようにみえた。かつての同級生とも話していない。だからそういった焦りはないらしい。

「お母さん、ひどいなあ」といったきり、わたしは何も喋らないでいた。するとお姉ちゃんはわたしを抱きしめ、髪の毛に顔をうずめた。これがおそらく、お姉ちゃんなりの愛情表現だった。そして役目だった。わたしはそれを跳ねのける。

「わたし、似てきたかな」

 それもまた、どこか台詞がかっているようにおもえ、わたしは何かいいかけてやめた。それもそういう言葉にならない台詞みたいだった。出されたお茶には一口もつけず、中学のときみたいに居間をあとにし、去ったときのまま時間が止まっている自室でねむった。

 

 母さんはどこへ行ったんだろう。

 わたしは小さいころ、母さんを一人で探しにいった。お姉ちゃんにぶたれた日のことだ。近所で母さんはよく猫に餌をやりにいっていて、遠回りしてから家に戻るのがいつものルートだった。だからわたしは過去に連れて行ってもらった記憶とともに田舎道を歩いた。夜だった。いくつもの家にあかりがともって、その全てが門を閉ざし、わたしをしりぞけているようだった。猫たちの居場所には一匹の死骸が転がっており、それが余計にわたしを寂しくさせた。わたしは死んだ猫をかかえ、どこまで歩いても、どこにも辿りつけそうにない道を歩いた。街頭さえ消えた路地に、わたしは一体の人形と出会う。赤子のように頭が大きく、ぎょろぎょろとした空虚な目をしていた。「あそぼうよ」どこかで聞いたことがある声で人形が話した。わたしは彼女とおままごとをして遊んだ。

 その遊びには父さんも、そしてお姉ちゃんも参加できた。父さんは人形を優しい手つきで撫で、お姉ちゃんはごはんをたべさせる。プラスチックの野菜が、口を表現するための人工的な空洞に吸い込まれていった。「おいしい。ありがとう」死んだ猫が動きだし、わたしにじゃれついた。「だいすきだよ」わたしはおそろしくなって、お父さんにすがりついた。するとお母さんの声がした。「ももちゃんはお父さんのこと大好きだもんね」お父さんは照れくさそうな顔をし、わたしの頭をなでた。お母さんは死んだはずの猫を抱えあげ、黒子のように前足を動かしてみせた。「にゃあ」わたしはお父さんの手を強引に突き放し、いった。「死んでるんやで。その子」「死んでないにゃあ」背筋がぞわりとして、いてもたってもいられなくなって、わたしは走った。走って逃げた。お母さん。海風がはこばれてくる路地を走った。ただの夜よりも暗い暗闇のなかを、より何もないほうへと。ほんとうに何もなかった。そうしなければならないという強烈な意志や目的のようなもの、空洞の身体をつらぬく軸のようなものが。求められてそれに応えるという役割が。あるいはあったはずの欲望や衝動が。わたしには何にもありやしない。そう思ったとき、今度はほんとうのお姉ちゃんが、わたしを迎えにくるのがみえた。

 

 起きるとお姉ちゃんがつくったであろう朝ごはんを並べてあり、お父さんは出かけているのかまだ寝ているのか、居間にはいなかった。「おはよう」と台所から声がし、すぐに近づいてきた。「おはよう」と返す。わたしは昨日出されたままのお茶を手に取り、お姉ちゃんにかけた。お姉ちゃんは頭からお茶をかぶって、すこし戸惑ったような表情をうかべ、それからわたしをぶった。

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人形たち 木耳 @ponchan

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