第29話 ヨナーク戦役

 褐色偉丈夫のシグルズが人を騙すということはないが、国家の重鎮である以上、策謀をしないというわけにもいかない。ヴァナン大公国で宰相ミミルが謀反を起こした〈ミミルの乱〉の際、北の覇者ヨナークに対して、西のベルヘイム大公国と東のニーザ大公国を動かして牽制させた。

 そのノアトゥン辺境伯シグルズが放った〈草〉の報告によると、北の覇者・ヨナーク大公国を牽制する役割を担うことになっていた、東のベルヘイム大公国と西のニーザ大公国は、次のような動きをしたという。


 ――ヨナーク戦役・西部戦線――


 ヨナーク大公国の西、ベルヘイム大公国は、ユグドラ大陸北西部の草原にあり、騎馬民族国家だった。人口五万、通常兵力千五百騎ほどだが、有事の際は最大五千騎を動員できる。――同国は、国内の守備に二千騎を残し、残る三千騎を国境に集結させた。

 両国の国境は、ブリズス山脈の支脈が途切れたところにある草原だった。

 ヨナーク勢は、常備兵力一万五千のうち六千を西の国境に配備した。

 ヨナーク勢は、ベルヘイム勢の半数だが、騎兵で、精強だ。

 ヴァナン騎兵は、エルフ工匠ヴェルンドが鐙を考案したことで、馬術が習得しやすく改良されたが、鐙がない場合、騎手が、馬の腹にぴったりと脚をくっつけて走行させる必要がある。ベルヘイム騎兵は鐙を用いない従来の馬術だが、これはかなりの修練が必要だ。草原で家畜を追うベルヘイム人は、子供のころから馬に馴染んでいたので、その点が強みであった。

 ヨナーク大公国は騎兵がなく、代わりに一人乗りの戦闘用馬車・戦車を用いていた。しかも戦車隊を組むといった発想はなく、あくまで徒士百人隊を率いる士官のステータスに過ぎない。ヨナーク大公国の隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングは、旗指物を少なく見せて、兵員の半分を地面に伏せさせた。

 同数の騎兵と徒士が激突した場合、圧倒的に騎兵が有利だ。――ほくそ笑んだベルヘイム大公シアチは、隻眼大公の誘いに乗り、麾下の騎兵とともに隻眼大公麾下ヨナーク軍の陣に正面から突撃をかけた。


 対する隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングは――

 将を射るならばまず馬を射よという諺がどこぞの国にもある。だがヨナーク軍は弓矢ではなく斧槍を使った。地面に伏せていたヨナークの徒士が立ち上がり、敵騎馬が襲い掛かって来るや、立ち上がって馬脚を薙ぎ払い、騎兵を振るい落として仕留めたのだ。結果、ベルハイム騎兵は三分の一を失い敗退する。


               *


 ――ヨナーク戦役・東部戦線――


 他方、ニーザ大公国は、毒竜ファフニール騒動のどさくさを衝いてヨナーク大公国が掠め取った、北辺の城邑ノルズリの奪還に動いていた。

 ニーザ大公国も、ベルハイム同様に、通常兵力千五百ほどだが、動員をかけて五千をかき集め、一千を守備に残し、残る四千で攻勢をかけた。――守備兵二百ばかりの城邑に、駆け付けたのは、白髭のブラジ・スキルド元帥率いる戦車八乗徒士八百の兵だった。


 城邑ノルズリは、吊り鐘状をなす三百フーア弱(百メートル)の岩塊内部に、蟻の巣状に坑道を穿った要塞都市だ。崖の麓に石門がある。

 ノルズリの岩塊内部に、老軍師ホーコンが、直属の部下達を率いて、通路の随所を浅く掘り、革蓋を被せた甕を設置して回った。甕は下半分が埋まっている。

 敵の陣容を観察していた白髭の元帥が、展望窓のある岩塊のてっぺんから降りて来た。


「ホーコン小卿よ、何をしているのだ?」

「ニーザのことだ。坑道を掘って力攻めをしてくることは間違いない」

「なるほど、坑道戦術か、それは警報用の太鼓であるな。敵が近くを掘るほど、振動が大きくなり、音も大きくなる。――逆にこちらから坑道を穿って迎撃するのもありだ」

 老将が白い歯を覗かせた。

 ニーザ大公国構成民族・ドワーフ族は、鉱業を生業にしている。当然のことながら坑道を掘ることに秀でている。いわば工兵だ。ニーザ大公ガラールは、麾下の兵にノルズリの岩塊を包囲させると、坑道を穿って内部への突入を図っているのは明白だ。

 老軍師ホーコンは、ニーザ大公国軍が、三本の坑道を掘り進め、近づいて来るのを察知すると、麾下のヨナーク勢が、大釜から煮え立った熱湯を、敵の坑道に流し込む。――これで少なからぬ攻め手が大火傷を負い、退却した。

 老軍師は、さらに坑道を、敵ニーザ大公国軍本陣の裏側にまで延長した。

 敵の坑道も一部再利用して裏側に抜けた白髭のブラジ元帥が、勇士五百名とともに夜襲をかけた。――戦とは心理戦だ。ニーザ兵四千とはいえども、いったん陣の裏側を衝かれると脆い。敵は大混乱に陥った。

 大公ガラールは、背後の篝火に仄暗く浮かぶ、白髭の将領を見た。

「おまえは、何者だ?」

「ヨナークのブラジじゃよ」

 白髭の元帥は、斧槍を片手にもたれかかり、残る片手で、長い白髭を弄んでいた。

 ニーザの大公が、長剣を引き抜く。

「嘘だ。あり得ぬ。五百かそこらの兵で、軍勢四千を打ち破るというのか? これは夢だ。ただの夢に違いない!」

 そう、わめき散らしながらおどりかかってくる両横腹に、元帥麾下の徒士達が構えた多数の槍穂が突き刺さる。――大公ガラ―ルは両膝を土に着け、前のめりに倒れた。大公を討たれたニーザ大公国は敗走を始めた。

 ブラジ元帥は麾下兵達に、

「倅どもよ、儂はおまえ達を誇りに思う。さあ、引き揚げようぞ」

 そう命じて、出てきた坑道から城邑ノルズリの正門に、意気揚々と引き返した。

 ヨナーク大公国は、西部戦線に引き続き東部戦線にも勝利し、北の覇者の面目を保った。そしてユグドラ大陸全土が思い知るのである、――ブラジ・スキルドは無双であると。


               *


 ――ヴァナン王国――


 ヨナーク大公国の東西戦線にいた〈草〉が伝書鳩を飛ばし、ノアトゥン辺境伯シグルズに報せた。――あくまでも、ヨナーク封じ込めを意図したものだったが、ベルヘイム、ニーザの両大公国は、〈東西挟撃〉という言葉に踊ってしまったのだなと、密書を読んだシグルズは思った。――とはいえ今しばらくは時間が稼げるというものだ。シグルズは、ドワーフ族出自の差配・ドバリンに、自ら出撃することを伝えた。


 副都ヴァナンからノアトゥン辺境伯領を経由して、北にある中津洲ミッツガルへ向かうのが〈覇者の道〉だ。そこから南にそれた、東流するエリバ河北岸に拠っている城邑の一つがウトガルダである。

 美麗な弟王と戦象を並べた副王である王姉グルベークが、

「ユンリイ、いよいよ敵地に入りましたね」

 ウトガルダの周囲は広葉樹の低い山並みに、枝葉状に開析された平地がいくつもあり、耕作地になっている。――王族出自である宰相ミミル一門に相応しい豊かな土地だった。

 オッドアイの双眸をしたユンリイ王は、城邑ヴェストリを落とすと、

「姉上が集めてくれた兵員三万から五百を割き、守備兵として駐屯させ、残る軍勢で宰相ミミルと執政ホグニの兄弟が逃げ込んだウトガルダを包囲する――」

 ユンリイ王は、王姉グルベーグから贈られた面頬めんぽおで美麗な顔面を隠し、その上に兜をかぶっている。王が大常卿ウル・ヴァンを呼んだ。紅毛碧眼の大常卿は、人の発するオーラが天空に揺らめくのを観測する〈望気〉の術を会得している。王が城邑の兵員数を訊くと、馬上の大常卿ウル・ヴァンが、

「敵は二千ながら歴戦の勇士が多く、こちらは実戦経験の少ない烏合の衆ばかり。勝利は間違いないと思いますが、被害も甚大かと――」




王国志:設定書(人物・地図)

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049


主要登場人物一覧

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966


図解:徒士かち

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093077062166121

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る