10 逢瀬

 新フェンサ王国宰相〈黒衣の貴紳〉ロキが薬湯のカップを卓上に置いたとき、部屋の奥から、道案内をしてくれた虜囚シャルビィとレスクバの兄妹を死に追いやった狂戦士近衛兵が、大回廊に乱入して来た。

「宰相閣下、どういうことだ? 我らは、仲間を殺されているのだぞ!」

「私のお客人です。手を出さないで戴きたいな――」

 宰相ロキが制止するのも聞かずに、憎しみに瞳を燃やし矢箭を放った戦士がいた。エルフ族の女神官グズルンが円卓を盾代わりに横倒しにし、サピエンス族の女弓手レイベルを庇うように伏せて矢を防いだ。

 俺は、大抵の鳥獣を眷属化できる。自律型魔道具オートマタのトンボはどうか? 試す価値はある!

 大人が両手を拡げたほどの翼幅をもった、トンボが、頭上に飛んで来た。

 ――ヨルムンガンド様を我らが主と認識した。

 トンボの口が、ピカッと光った。敵と識別された狂戦士達が、赤い閃光を受けて、胴体をまっぷたつにされた。――そいつは魔法使いが扱う攻撃魔法〈アストラル・レイ〉ができる。


 シュボッ……。


 黒衣の貴紳が両手で双眸を覆い、

「ほら、言わんこっちゃない」

 俺の連れの女子二人も目を伏せた。

 〈アストラル・レイ〉は、物体に触れると高熱反応を起こし、切断できる。宰相ロキは、魔道具トンボを使役するには至らないものの、原理は知っているようだった。――だが、狂戦士達はそのあたりの理屈が判らない。

 ノッポな宰相ロキは、髪を腰まで伸ばし、まるで女のようだ。

「女王と英雄の逢瀬の場に踏み込むほど私は無粋ではない。しかしながら、貴方達も気が気ではないでしょうね。――転送してさしあげましょう」

「ロキ? 何を考えているのでありんすか?」

「ここでの私の役割が終わったのですよ」

「役割って――?」

「個人的な趣味ですよ。今は内緒です」

 意味深な笑みを浮かべたロキが短く術式詠唱する。――途端、俺と連れの女子二人は、王宮の隠し部屋に飛ばされた。


               *


「変態!」女子二人が叫んだ刹那、石化してしまった。――部屋には強力な魔法陣結界が張ってある。「ロキめ!」そんな俺も石化してしまったようだ。――だが、何が起きているのかは理解できた。

 女王ブリュンヒルドにより、シグルズは寝台に仰向けに寝かされていた。二人とも一糸まとわぬ姿で、筋肉質の男は、意識があるものの身体が麻痺しているようだった。


 アース氏族とヴァン氏族はもともと別々の亜神氏族だったが、北にあるアース氏族の王国・アスガルドがユグドラ大陸を統一する過程で、南のヴァン氏族の王国ヴァナンを取り込んで、アース=ヴァン氏族となった。アスガルド王国とヴァナン大公国が氏族名を冠しているのはその名残りだ。だが統一された亜神氏族は、大多数を占めるサピエンス族との混血が進み、氏族的アイデンティティーを喪失してしまった。

 シグルズは、絶滅したとみなされている亜神純血種に先祖返りをしているらしい。

 ――女王はシグルズの子種を採る気だ!


 女子優位の一方的な営み。おびただしい数のモルフォ蝶が部屋中を舞い飛び、数十個体が二人の身体に停まろうとする。だが、男の身体に馬の乗りするような恰好で、新フェンサの女王ブリュンヒルドが腰を妖しく動かすたび、ためらうように、ふわりと胡蝶が舞い上がっては停まり、また舞っては停まるという所作を繰り返した。

「環境変化は多くの種族を滅ぼしてきんした。文明も同じ。どんなに優れていたとしても、適応するには新しいタイプに形を変えることが必要になりんす」

 エルフ族の寿命は三百年で、サピエンス族の三倍だ。そのぶん若さも長く保っている。若々しく見える女王だが、その実、百歳を超えているはずだ。

 ブリュンヒルドは、シグルズの耳元で、

「サピエンス族の文明よりもエルフ族のフェンサ文明のほうが古うござりんす。《災厄》さえなければ、サピエンス族など根絶やしにできんしたのにな。ここ数百年で、畜人・サピエンス族が、エルフ族に対して優位になりんした。エルフ族とサピエンスとの混血が横行してやす。これって獣姦でありんすえ。――純血を尊ぶ兄は躍起となって取り締まってやすが、わっちとシグルズさんとの間にどんな子が生まれるか、個人的に興味が湧きんした」

 行為の最中である女王、俺と供の女子二人は、シグルズの記憶を共有することができた。――恐らくは、ブリュンヒルドの悪趣味な、精神操作系術式によるものだろう。


               *


 ――こんなことがあった――


 花崗岩を積み上げて石垣とした、山の頂に近いムスペル大公国〈夏の離宮〉だった。湖が望めるテラスで、先代大公モディが刺殺されていた。殺害したのは宰相が放った刺客だ。

 話しを聞いたシグルズが駆け付けたとき、すでに大公は息絶えていた。

 宰相ミミルは顎鬚の老人だ。その人が、

戦争いくさに敗ければ誰かが責任をとらねばならぬ。今回の中津洲ミッツガル遠征では国軍三万中二万が討ち死にした。国軍を指揮した元帥は自決した。あの時点で王は退位すれば良いものを、いつまでも王座にしがみつき、あまつさえ愛妾に産ませた庶子を王太子に就けようと図った」

 シグルズの父親は、アスガルド王家から逃されてきた亡命者だ。ミミルに保護され食客となり、廷臣に推挙された。父親が亡くなるとシグルズが跡目を継ぎ、ミミルの孫娘と婚約した経緯がある。――宰相にはさんざん世話になって来た。だが、だからといって弑逆しいぎゃくは良くない。

 仏頂面をしたミミルが、

「シグルズよ、不満か? まあ良かろう、討ちたくば我が背中を刺すが良い。その前に一つ問う。汝が同じ立場ならどうした?」

「国家は臣民のために、王家は臣民の代行者に過ぎない。自分も、ミミル卿同様に我が手を血に染めたかもしれません」

 シグルズは天を仰ぎ涙した。


 女王が嘲笑した。

「シグルズさんは、義理のお祖父じいちゃん候補と、同罪でありんすなあ」

 しかし女王ブリュンヒルドの心の闇も逆に、こちら側に晒すことになった。


               *


 スルト火山の麓だ。

 物事の時系列を考えると、現在の女王というよりは、前世の記憶といったほうが良い。

 エルフ族の古代帝国フェンサ全土が、夜中なのにも関わらず、昼のように明るくなった。森が焼け、畑の作物が枯れ果てた。

 災厄は続く。スルト火山が爆発し、麓にあった帝都の大部分が火砕流に呑みこまれ、皇帝・皇后も巻き込まれて逝ったのだが、皇女の一人が、偶然、海岸の離宮に居合わせ難を逃れた。

 災厄が収まり、離宮を拠点に復興をしようとしていた矢先、〈海の民〉の大船団が襲い掛かって来た。

 生き残った帝国兵は少ない。それでも海岸の離宮で、上陸した敵と三日間にわたる激闘の末、敗北した。戦士であった男子は皆殺しとなり、若い娘達は逃げられぬように、手に孔を穿たれ、慰み者にされた。女達はその後、奴隷として、金銀財宝を積んだ輸送艦船倉に押し込められて連れ去られる。その中に皇女がいたことは言うまでもない。

 不幸にして、女王ブリュンヒルドは前世の皇女であった記憶をもって生まれたため、現世の記憶しか持たないエルフ族の王ギューキーを格下の幼児のように扱い、袂を分かつ。――女王は孤独だった。




王国志:設定書(人物・地図)

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049


主要登場人物イラスト;集合図

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966


図解:自律型魔道具オートマタのトンボ

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093076144365732

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