王国志
五色泉《ごしき・いずみ》
Ⅰ 南海航路
第01話 大陸から来た男
ヴァナン大公国ユンリイ大公の元年、春。
「暑い国だな」
俺・ヨルムンガンドは、相棒と一緒に、舳先に
艦隊は、ユグドラ大陸南部から
ムスペルは大きな島で、同名の大公国がある。そしてそれは同国が都城とする港町の名でもあった。
「水先案内人が来たな」
旗艦の
役人が、旗艦〈スキーズブラズニル〉に乗船して来た。
その役人に相棒が、
「自分は、ヴァナン大公国全権大使シグルズ・ヴォルスング。――家領本貫地はガイル荘、爵位は男爵だ」
艦隊を率いてきた相棒は、八十ソル(二百センチ)以上あるだろう偉丈夫で、黒髪に黒い瞳、褐色の肌、分厚い胸で精悍だが、不思議と人好きのする面構えをした三十男である。
「シグルズ卿、ヴォルスングという姓は、ヴァナン大公国では聞かぬ姓だ。アスガルド王家に連なる者に多い姓であると聞く。すると卿は王国からの亡命貴族なのか?」
「亡命貴族というのは自分というよりも親父だな。爺様の代にアスガルドの王との間でいざこざがあった。だから爺様は八男坊の親父を、ヴァナン大公国の親戚に預けた。爺様と一族が王に粛清されると、唯一生き残った親父が、ヴォルスング家の名跡を継いだってわけだ」
「そして卿が生まれたのだな。なるほど事情は判った。――まずは
鴻臚館の役人はレイベル・カンバンと名乗った。父親は伯爵だが、本人はまだ無爵だとのことだ。シグルズよりも一回り小さなレイベルは、大多数を占める人種・サピエンス族としては、標準的な体躯の人物だった。
役人に書類を渡すと、倉庫への積荷降ろしを部下に任せ、相棒・シグルズと俺は、レイベルの後について鴻臚館に入った。
港湾都市ムスペルは、城壁のような断崖に囲まれていて、外に出るにはトンネルになった城門を使うしかない。
町の区画は、運河が縦横に巡らされ、二十ほどの小島になっている。小舟が多く使用されている。小島間は半弧を描いた橋で、連結されることになる。雑然とした路地に並ぶ町屋は、石造りのものもあるが、概ね木造で、平屋か二階建てで、ベランダがついたものもが多い。
通りには露天商、行きかう人の群れ、そして稀に、物資を載せて街路を往来する、かの大きな生き物とすれ違う。
「これが象という生き物か!」
体高二百四十ソル(六百センチ)前後、最も高いところが丸くなった背中である。
シグルズの従者達が度肝を抜かれた。戦象シグルズが仕えているヴァナン大公が欲してやまない、大型草食獣だ。
シグルズが、たまたま前を通りかかった象の一頭に手を差し伸べようとすると、象は面食らったように、長い鼻を鞭にして、打ちすえようとした。
――危ないっ!
随行した水兵達の誰もが、次の瞬間に、シグルズが象の鼻で弾き飛ばされるのを想像したが、象は途中で勢いを弱め、シグルズの差し伸べた手にそっと、鼻先を触れた。褐色の偉丈夫が白い歯を見せた。この男は女子供や老人、それから動物に妙に愛されるところがある。
「シグルズには女難の相がある。せいぜい気を付けてくれ」
「ヨルムンガンド、忠告に感謝する」
絹地のブリオー(ワンピース)とブレー(長ズボン)の上からマントを羽織ったコーデは、平時における貴紳の盛装だ。
昼下がり、シグルズが沐浴と着替えを終えたころ、役人のレイベルがやって来て、宮殿に案内してくれた。
*
「シグルズ、どこの国も壁面には、
王宮は、土壁に漆喰を塗った木造建造物で、赤い列柱の回廊が中庭を囲んでいた。この柱というのは、上下が細く真ん中が太いエンタシス形状をしている。大陸では石製だが、ムスペル島の低地部は蒸し暑いせいか、石積よりも木造が好まれ、発達している。謁見の広間は中庭を突き抜けた奥にあった。
「流行りだよ」
レイベルの後について、相棒のシグルズと俺は、石畳の細道を進んだ。
ムスペル大公国はフレイヤ女大公が統治している。フレイヤ女大公は十代半ばの少女のように見えるが、資料によると、二十五歳なのだそうだ。きっと化粧術に長けた侍女が控えているのに違いない。
レイベルが、ヴァナン大公国からの贈呈品と目録とをシグルズから受け取り、フレイヤ女大公に申し送りした。その間、シグルズは、広間天井に描かれた絵を眺めた。
都市、神々、巨人族、英雄が描かれ、英雄は白い象に乗っている。
「装飾画のパターンはどこも一緒だが、戦象は大陸にはない、この島国のオリジナルだな」
ヴァナン大公国全権大使シグルズ一行歓迎の宴には、宮廷貴族も招かれていた。ヴァナンの貴族には、こちらの内情に通じ、シグルズを知る者もいた。
「シグルズ卿の武勲は、ムスペルは辺境ゆえに届くのがいささか遅れてはおりますが、
アスガルド王族であったシグルズの祖父がそうだったように、貴族は宮廷闘争で粛清されることがある。諸大公国の貴族達は、国家の垣根を越えて縁戚を結び、突如訪れる政変に備える。国外の親戚に子息の一人を里子に出しておけば、例え国内にいる一門が主君に皆殺しにされたとしても、家を存続することが出来るというものだ。
「――帰国したら
申し出は社交辞令でもある。シグルズはやんわりと聞き流した。
侍女達が広間に
「女大公殿下は、贈り物を気に入ってくれたようだな」
使節一行は、その答えがこの歓待と馳走であるのは理解した。ムスペル島では、良質の貴金属製品や良馬を産しないので、珍重される。代わりにヴァナン側が返礼品として期待しているのは、昼間、街で見かけた象、それから特産の宝石珊瑚や真珠だった。
それにしても――
「南方の野菜や果物はよしとしよう。魚も豚肉も良い。――だが
使節一行は面食らった。
姿焼きはさらに続き、コモドドラゴンが屈強な男達によって、モッコで担がれてきた。
バナナ葉で敷き詰められた広間中央に、でん、と置かれたときは、シグルズの随員達は声を失った。
供応役のレイベルが、
「コモドドラゴンは、仔牛を一口に呑み込み、人間もときたま襲う獰猛な四足獣だ。そして素早い。こいつを仕留めるのに猟師が腕一本もがれてしまいましたぞ」
接待役達は慌てふためいた。
だが、シグルズが、
「うおおおおおおっ」
猛烈に感動したと言わんばかりに、肉片をちぎっては、口に放り込んだ。
フレイヤ女大公以下臣下達は、シグルズの食べっぷりに満足した。
「こんなにも美味そうに食ってくださる賓客は稀じゃ」
厨房から駆けつけてきた料理長も、部屋をのぞいて喜んだ。
つられて、口にするのをためらっていたシグルズの随員達も、馳走に手を出し始めた。
見た目こそ良いものではないが、ムスペル島の
蜜酒とビールの角盃が供された。
酔いが回ったところで、フレイヤ女大公が聞いた。
「シグルズ卿、隣で伏している灰色のモフモフさんをお譲り戴けません?」
「ヨルムンガンドのことですか? 猫という生き物です。こいつは友なので、ご希望はかなえられません」
「じゃあ、せめて抱っこなど……」
「俺は抱っこが苦手なんだ」
「えっ、猫って、人と言葉が交わせるの?」女大公が目を丸くした。
「こいつは特別です」
長居は無用だ。俺は宴席から逃げ出した。
王国志:設定書(人物・地図)
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049
主要登場人物イラスト:集合図
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966
主要登場人物イラスト:シグルズ
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093076118685835
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